シナに嵌められた、明治の日本

On 2017年9月2日

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「明治29年(1896年)、日清戦争の翌年、ロシアと清国(李鴻章)は、対日攻守同盟という密約を結んだ。その内容は、日本が清国を攻めればロシアが助ける。ロシアが多額の賄賂を李鴻章に渡し、清国(李鴻章)は満州をロシアに売り渡す。

我が国は、この密約を知らず、この密約に基づいて満州に雪崩れ込んできたロシアを血を流して満州から追い出し、清国は、売り渡した満州を日本のお陰でただで回復した。

巨額賄賂をロシアからもらった李鴻章の子孫は、今は名を変えてアメリカで大富豪として生きている」高山正之

 

中国人の狡猾さは、今も昔も全く変わってはいない。

数千年にわたり中国を領主として仰ぎ、教えを請い、貢物として美女を献上し、中国と同化することを悲願としてきた朝鮮人も全く同じ。

 

「戦前、日本の“中国通”には、中国が“他者”(似て非なる相手)という認識が欠けていた」と評論家の江藤淳氏は喝破していたが、まさしくその通りである。

顔かたちや皮膚の色も近く、中国の文化を色濃く受けた日本から見て、一方的に理想や正義を中国に投影し、期待した反応が得られないと今度は幻滅と失望を感じ、最後はエスカレートする性癖のことだ。

このことは、現代日本の対中姿勢、そして南北朝鮮に対する戦前から現代に至るまでの感情にも当てはまる。

日本人と中国・朝鮮人とは、考え方・情緒・歴史・地政学的な位置づけ・残虐性・性癖・DNAすら根本的に異なる民族であることを、歴史から学ばなくてはいけない。

 

 

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」(目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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