「英語が話せれば国際人」は、自虐史観でしかない

On 2016年2月2日

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日本弱体化計画

敗戦の翌年の春、占領下の日本にアメリカから教育使節団が来て、日本の学校教育を2週間ほど見学し、日本の生徒には「日本語は難し過ぎる」と判断し、「日本語をローマ字にせよ」と迫った。

50年後の平成9年、文部省は小学校1年から、ローマ字ではなく英語を教えると発表した。

アメリカは日本の教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。

國破れてマッカーサー  西 鋭夫(元スタンフォード大学 教授)より引用)

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アメリカに二度と逆らえなくすべく「日本を弱体化させる」ために行った「日本占領政策」よりも格段に進んだ決断を、50年たったら日本人が自らの手で断行しようとしている・・・

 

 

「自国語が使えるあなたがた日本人が羨ましい」

国民の多くが「英語を上手に話せる」フィリピン人が持っている、日本人への正直な気持ちです

日本人は、日本語を卑下し英語を持ち上げ、最近では国語教育よりも英語教育に力を入れようなどと誤った考え方が「進歩的」ともてはやされるようになってしまいました。

語彙(ごい)が世界一豊富な日本語で書き、話し、考え、学ぶからこそ、世界で最も優秀な開発力と工業力と情緒を持っている国民性が発揮されていることを気付かせないように、自虐史観を植え付けたい「左翼な知識層」と自虐史観に染まり抜いた年寄りたちが牛耳る「親米的な経済会」は企んでいるのです。

私が海外に駐在して知ったこと

1.東南アジアなど旧植民地国の人が英語が上手なわけ

 彼らは真顔で言いました。

「植民地にならず自国語が使えるあなたがた日本人が羨ましい」

「自分たちは英語を話さなければ生きていけないのです」

旧植民地では、知識階級は旧宗主国の言語で勉強、読書、仕事をします。
フィリピンで英語を解しない人は知的階級ではないので、本など読まず、従ってタガログ語の本など置いてないのですね。

国民が英語を話す知的階級と、タガログ語しか話せせない一般大衆に、階級分離してしまいます。
国民の同胞感という点では、これは大きなハンディです。

我が国では、国民の分厚い中間層そのものが知的階級であり、日本語だけで知的教養を得られる、という幸福な状況にあります。

我が国は、先人たちのおかげで植民地にならず、明治時代からフランス語やドイツ語も含め、いろいろな国々に主体的に学んできました。

また、日本人は日本語だけで大学まで勉強できる恵まれた国なのです。

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2.日本を知らなければ相手にされない

ビジネスの場面でも、社交でも、学校でも、こちらが日本人だと知ると必ず訊かれることは「日本ではどうなの?」。
本や雑誌を取り寄せて日本の政治経済、伝統文化、歴史などを慌てて勉強する駐在員や子女の多かったこと・・・

「日本を知らなければ相手にされない」とは、多くの在留邦人が感じていることだと思います。

いくら英語ができても、日本の事を知らなければ、単なる二流の英米人に過ぎません。海外の人々が出会いたいのは「一流の日本人」なのです。

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「フィリピンの本屋では英語の本しかなかった」

前にフィリピンの本屋に行った時、英語の本しかなくて、タガログ語の本がほとんどなかったことを思い出しました。

母国語で大学レベル以上の知識が学べることは本当に恵まれているし、幸せなことだなと感じます。

 

mmmmm伊 勢 雅 臣

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「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

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