満州帝国

On 2015年10月9日

 

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主要都市、大連

 

 

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「満州は日本が中国から奪い取ったものだ」

などという人がいるが、戦前・戦中の日本人にそんな意識は毛頭なかっただろう。

少なくとも中国人の大多数を占める漢民族にとって満州は、万里の長城の外にある化外の地、異民族(清をつくった女真族など)の住む土地でしかなかった。

 

大連も、不凍港を欲しがっているロシアが19世紀末に目を付けるまでは「青泥窪(チンニーワ)」と呼ばれた寒村に過ぎず、日露戦争に勝った日本がそれを引き継いで本格的な都市づくりをした「日本人の街」であったからだ。

 

中国人(漢民族)は主として山東省などから後からなだれ込んできたのである。

 

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昭和20年になって日本本土が焼け野原になっていた時ですら、大連は拍子抜けするほど戦争の影が無く、食料や酒も豊富な「別天地」。

学生であっても、昼ごろ起き、散歩や読書、レコード鑑賞三昧の暮らしが送れた。

しかし、敗戦後、日本人の立場は激変。

進駐してきたソ連軍の統治下、中国の国民党・共産党の主導権争いが続き、日本人は「被支配民族」の地位に落とされてしまう。

食料も家も満足に無く、軍人、警察官、官吏らはシベリアへ抑留され、ソ連兵による暴力、強奪、レイプの恐怖におびえる毎日が続いた。

  (産経新聞 H27.10.9より抜粋)

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

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