朝鮮戦争秘話

On 2015年9月5日

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朝鮮戦争

朝鮮戦争、開戦3日後には首都ソウル陥落

 

昭和25年6月25日、朝鮮戦争が勃発。戦いに弱い韓国軍と油断していたアメリカ軍が潰走(かいそう)。朝鮮半島の南端にまで追い詰められ窮地に陥り、前線に投入した黒人兵士が消耗しきると白人兵士を守るべく、マッカーサー元帥は、日本政府に「憲法9条の廃棄」「日本の再軍備化」を迫った。
500年に渡る白人による有色人種への侵略と強奪の手法そのままの、太平洋戦争での戦い方を継承しようとしたのだ。

白人たちの侵略手法は、現地土人の一勢力に武器弾薬を渡しその他の部族を襲撃させ圧勝させて間接支配をする。

太平洋戦争に於いては、ビルマとインパールではインド人、フィリピンではフィリピン人を前面に押し出し備えに黒人兵を配して日本軍と戦わせ、白人は、逃げてきた土人兵士に対して機関銃で撃ちまくる督戦隊をしていればよかった。黒人兵が打倒されると早々に白人兵たちは手を挙げ白旗を振って3食ついた捕虜となった。

日本軍は白人の軍隊とは異なり、国際法を厳守し捕虜を虐待せず厚遇することを米・英・蘭・豪軍は兵士の隅々まで知っていたのだ。

昭和19年6月、アメリカ軍は日本の絶対国防圏にあるサイパン島に侵攻。激烈な反撃にあい屍を累々と築いたが、その全ては黒人兵であった。
白人兵が現れたのは日本軍の反撃が収まった14日目からである。

その前に行われたペリリュウ島の戦いはもっと激烈で、戦端が開かれた当初「これだけの損害を出してでもこの島は必要だったのか」と語られたほど死傷者を出したが、そのすべても黒人だった。

インド人とフィリピン人そして黒人兵士の代わりを、朝鮮戦争では日本人にさせようとしたのだ。
白人兵士を殺させないために有色人種を使う・・・アメリカの悪意に気付いた吉田首相はこれを拒否。

ことほど左様に「憲法9条」なるものは、とっても軽かった。


ついでの豆知識

朝鮮戦争では、釜山にまで追い詰められた韓国・アメリカ連合軍を救うため、元日本海軍兵士が戦死者を出しながらも掃海艇で機雷除去をし海路を確保、元陸軍士官が逆上陸作戦の計画を立てアメリカ軍が実行したことで、北朝鮮軍を押し戻すことに成功。戦争に勝利することができた。(※この事実は秘匿され続けた)
旧日本軍無くして連合軍の勝利はなかった。それどころか、退路を断たれ全滅していた。

 

歴史を正視しない韓国人

朝鮮戦争当時、北朝鮮の後ろ盾となり、義勇軍の名の下に韓国に攻め入り大虐殺を行ったシナ共産党軍の(ありもしないプロパガンダでしかない)「抗日戦争」勝利70周年記念式典に、嬉々として出かけプーチンの隣で尻尾(しっぽ)をふっていた朴 槿惠(パク クネ)大統領。

父親が大日本帝国の陸軍士官学校で学び、満州軍第8師団参謀として対日参戦したソ連軍と戦争をしていたことを、すっかり忘れているようだ。

大東亜戦争当時、韓国内では、志願兵の募集人員に対し数十倍もの志願者が列をなし、自らの意思で「誇り高き日本軍」として戦った歴史を正視できないらしい。特攻に志願し散華された少年航空兵までいる。

なにより韓国にとってシナ共産党軍は朝鮮戦争で戦火を交えた敵であり、ソウルを含む韓国全土を灰燼(かいじん)とさせ最貧民国家に陥れたばかりか、朝鮮半島の分断をもたらした当事者であった。シナは、いまだにお詫びも反省も一切していないが、韓国はそのことを非難したことなど一度も無い。

「韓国の歴史はファンタジー」とは、言い得て妙である。

 

 

日本に強制連行されてきた朝鮮人の正体

日本に居る在日の多くは、朝鮮戦争当時、祖国を護るために戦わず日本に密航してきた韓国人たちである。決して「戦時中に強制連行されてきた可哀そうな韓国人の子孫」などではない。

難民を、日本は何十万人も無条件で受け入れてきた。

マスコミも学校の先生たちも民主党や共産党の議員たちも、そのことは良く分かっている。分かった上で、それでは都合が悪いから徹底して隠す。

 

 

 

朝鮮戦争1

昭和25年6月28日、朝鮮戦争4日目、李承晩大統領と軍の高官が逃げ延びるためだけに、戦闘中の韓国軍兵士を置き去りにして、韓国軍が首都ソウルの漢江(ハンガン)に架かる橋を爆破。大勢の避難民が橋の上にいるにもかかわらず爆破作戦が実行され、2000人を超える人々が死亡したと言われている。また、戦場に取り残された韓国軍部隊は総崩れとなり、われ先に逃げ出した。韓国人の国民性を良く表したエピソードである。

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

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