日本国憲法は、こうして出来た!(まとめ)

On 2015年8月10日

 

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 昭和21年2月13日、GHQホイットニー准将は幕僚と共に、外務大臣吉田茂の官邸を訪れた。そして、今まで日本政府が検討していた憲法改正案をまったく不適当であるとし、総司令部の若手が1週間で作成した憲法草案を手渡した。吉田の顔はショックと憂慮で苦悶の表情であったという。

 ホイットニーは吉田が草案を理解し、検討するための時間を与えると言って、約30分間、庭に出た。15分ほど経った頃、外務大臣秘書官の白洲次郎が庭に出ると、ホイットニーは言った。 

「われわれは戸外に出て、原子力エネルギーの暖をとっているところです。」

 太陽をわざわざ「原子力エネルギー」と言ったのは、あきらかに原爆を暗示しての恫喝である。

 庭から戻ったホイットニーは、もし総司令部の草案に日本が同意しない場合は、マッカーサーは日本政府の頭越しに草案を国民に提示するだろう、その場合にはGHQは「天皇の御身柄を保証しかねる」とも明言した。

 

 さらにホイットニーは、日本側の記録によれば次のように語った。

「改正案は飽くまで日本側の発意に出つるものとして発表せられる事が望ましく、万一、米国案であることが世間に漏れるときは甚だしき双方の不為なれば秘密保持に甚大の注意を払われたく・・・」

 これはポツダム宣言12条の「日本国民の自由に表明せる意思に従い」、および、さらに国際法たるハーグ陸戦規則第43条の「占領地の法律の尊重」への違反を隠蔽(いんぺい)するためであった。

 新憲法は「9条」があることで「日本を守ることができない」と共産党のみが反対。

 他の全議員は、占領下での絶対権力者であるGHQの命令であり、天皇陛下の御命を人質にされては、くやし涙で唇をかみしめながらも賛成票を投じるしかなかった。国会は議員たちの嗚咽の中、新憲法を可決し終了した。

 こうしてマッカーサー総司令部の手になる憲法草案は、あくまで「日本側の発意」によるものとして制定された。

 

マッカーサーは後に、

「どんなに良い憲法でも、日本人の胸許に銃剣をつきつけて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしか保たないというのが自分の確信だ」と述べているが、その確信を裏切って、マッカーサーが「銃剣」でつきつけた憲法は、21世紀となった現在でも、一文字も改正されず、しっかりと残っている。

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

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