被爆者の手記
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『少女・14歳の原爆体験記』(高文研)橋爪文著
(略)そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、
また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、
さまざまな調査、記録を行ないました。
その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。
治療は全く受けませんでした。
そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。
日本政府もそれに協力しました。
こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。
私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。
あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
このように原爆は人体実験であり、
戦後のアメリカの利を確立するための暴挙だったにもかかわらず、
原爆投下によって大戦が終結し、
米日の多くの生命が救われたという大義名分にすりかえられました。
「正しい日本の歴史」 (目次)
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