イントロダクション
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1941年12月5日、金曜日の朝の話
「俺たち、大声で文句を言ったんだ。『日曜日は外出禁止だ』と命令されたからだ。その上、『明日、土曜日の朝から演習がある』とのありがたいご命令を頂いた。俺には美しい彼女がいたんだ。週末しか会えないのに!それも空母3隻だけに演習命令だ。土曜日、パールハーバーからずっと離れた海原へ一晩かけてお出かけしましたネ。パールハーバーに帰ってきて、俺たち水兵は助かったと思ったと同時に、なぜ空母だけを助けたんだと不思議に思ったよ」
ワシントン大学教授 アレックス・エデルスタイン博士 (開戦当時、真珠湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の航空母艦の水兵)
ルーズベルト大統領は日本海軍が真珠湾へ向かっていることを知っていて、製造するのに時間と金がかかり、戦略上重大な機動力を持つ空母だけは隠しておいたのだ。しかし、アメリカが日本の暗号を解読していることを日本側に気づかれないように、他の軍艦(※老築艦のみ)を湾内に残しておいた。
アメリカ海軍史上、日曜日に演習したのは、この時が最初で最後だ。日本の零戦は、3隻の空母を沈めに来たのだ。必死になって探したのだが……
(国破れてマッカーサー 西鋭夫(スタンフォード大学 フーバー研究所 教授)著 中公文庫より引用)
日本海軍が秘策に秘策を練った真珠湾攻撃は、ハワイ時間12月7日、日曜日の早朝のことである。
「正しい日本の歴史」 (目次)
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