小野田少尉からのメッセージ

On 2014年7月6日

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歴史を考えるとき、今の世界情勢や常識で判断するのではなく、
その当時の状況や常識や正義で物事を判断しないと、大きく間違える。
『帝国陸軍軍人小野田少尉から日本国民へ伝えたい!
 大東亜戦争の目的と靖国神社の意味』
ご紹介を頂きました、小野田でございます。

私は今まで、この席を借り、あるいは他の会合で「黙って靖国神社にお参りして頂きたい」

それをお願いしてまいりました。

今、平沼さんが言われたように、靖国神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。
「命を賭けて」と言って、いわゆる解散をしました。

何故、「命を賭けて」今日お参りできないのか!
私は敢えて首相をけなしたくありません。

しかしながら、一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。

果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。

私は国の手違いによって、十五年間靖国神社におまつりをして頂きました。

もし私がその時に本当に死んでいたとすれば国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいったのであり、
また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。

それがなんで「同情」の対象なんでしょう。

「誇り」を持って死んだ人に対して、
何故ただ黙って「ありがとうございました」と
感謝の念を捧げられないのか!

私は小泉首相に大反対であります。

靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと、
色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。

また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご承知のことと思います。

事後法(東京裁判)など裁判ではありません。
A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、
決して我々の認める名前ではありません。

私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。
それは、先ほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴致しました。

しかしながら、現在の日本において何故「開戦の詔書」を拝聴する機会が無いのかということであります。

ものには「終わり」があるということは、「はじめ」があるからである。
「結果」があるということは、「原因」があるからであります。

「開戦の詔書」は、私は本当に入隊するまでの間、しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。
今でもよく憶えております。

「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」
(このような事態は決して私の本意ではない。)
と仰せられているのであります。

終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども、

「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起ッテ一切ノ障礎ヲ破碎スルノ外ナキナリ」

(日本の自存自衛の為には、立ち上がる他はない)

陛下の言われている所に、大東亜戦争の真の目的がハッキリと示されているのであります。

〓何が侵略戦争でありましょう!!!!!〓

それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、この靖国神社に黙ってお参りをし、そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。

その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、私はそをれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。

どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、一部言葉の違いがあるかもしれませんが、
意味においては私は絶対に間違ってないと思います。

私は国の為を信じて三十年間戦い続けてきました。
だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。

だけど、私と同じ時に死んだ、この仲間の気持ちは私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、皆様にそう伝えたいわけです。

ご清聴ありがとうございました

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「正しい日本の歴史」 (目次)



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