竹島問題と在日特権の歴史年表
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竹島問題と在日朝鮮人特権の歴史年表
この年表をよく読むと、いかに韓国が非道であったのかが(見解がどうのこうのではなく)よく理解できます。
1949年01月:李承晩、政府樹立直後の新年記者会見で日本
1949年02月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押
1949年04月:国連安保理、韓国の国連加入案を否決
1949年05月:米軍から李承晩政権への武器供与を停止
1949年06月:米、韓国撤退完了を発表
1950年01月:米韓軍事援助相互協定調印。が、米は韓国側か
1950年04月:韓国、空前の大インフレ。年間200%を超える
1950年6月 :朝鮮戦争始まる…
・北朝鮮怒濤の南下、北による統一直前に至る
・日本に大量の韓国人避難民が到着
同年7月 :GHQレッドパージを発動、日本占領方針を転換
同年9月 :国連軍出動
(安保理事会をソ連が欠席し、拒否権を行使しなかったので国連軍
国連軍怒濤の北上、あと少しで南による統一寸前。
GHQの命令で、旧日本海軍の残存部隊、国連軍に協力し
同年11月 :中国共産党 中国義勇軍で参戦
38度線付近まで押し返され、戦線膠着
1951年7月 :休戦会談開始
同年9月 :日本と連合国はサンフランシスコ講和条約調印、1952年4月 をもって日本が独立回復することが決まる
1952年1月
朝鮮戦争のさなか、(韓国を守るための)国連軍の後方基地と機雷掃海を引き受けてい
多くの日本漁船が攻撃され死傷者多数・拿捕された。
韓国が拿捕した日本船籍の船舶数:328隻(行方不明併せると
抑留された日本人の数:3929人
拿捕の過程での死傷者数:44人(殆どが射殺と溺死)
日本は抗議するものの、GHQ占領下で涙を飲む。
(※ 在日特権は3,929人の人質と引き換えに日本刑務所にいた400名弱に付与された。 これ以外は全て詐欺による取得と言える )
同年4月28日 :ようやく日本独立を回復
1953年7月 :朝鮮戦争、休戦協定成立。 (中国と北朝鮮軍事同盟を結ぶ)
・日本への避難民は帰国せず、日本に居着き、いつの頃からか「強制連行
・竹島占領は、まさに火事場泥棒だった。
■日韓基本条約締結、賠償(身代金)3億ドル( 韓国の国家予算を超えていた )、日本刑務所の在日朝鮮人に特権付与と引き換えに日本漁民開
(この3億ドルはボスコなど企業設立や工場建設、道路・鉄道・発電所・ダムなどのインフラ整備に使用され「漢口の奇跡」を起こした。 元々韓国は農業主体で、日韓併合まで工業は無かったのである)
■韓国の領土侵犯と朝鮮戦争(停戦中)これらの事件によりGHQ
警察予備隊>自衛隊の誕生である。 日本と朝鮮半島はアジアのスイ
1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視し、
「李承晩ライン」を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹
竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3,929人
その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間。 拿捕
拿捕した漁師を人質に取り、「日韓基本条約」と「日韓法的地位
1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの
つまり、在日コリアンが日本にいられる正当な理由はない。
ましてや、反日に凝り固まって恩を仇で返し続ける在日朝鮮人たちは、日本に居座り
配慮しても配慮しても、どれ程意を尽くしても、満たされるほど不
感謝してしかるべきなのに、罵詈雑言の雨あられ。
これが、「日本軍による被害者」と学校で教えられ、テレビや新聞が報道してきた在日及び韓国との真実の歴史だ。
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9