「従軍慰安婦」の真実15 インドネシアでも仕掛けた!

On 2013年4月15日

 

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インドネシアでは

高木健一という「太平洋戦争遺族会」(※)に雇われた弁護士が、インドネシアで従軍慰安婦の実態調査をした。

(※太平洋戦争遺族会:朝日新聞記者、植村隆の義理の母である韓国人の梁順任が実理事会長。植村隆の義理の母は、この団体を舞台に詐欺を働き大金を手に入れた罪で逮捕された)

その際、「従軍慰安婦だったと名乗り出た女性には200万円(現地通貨に直すと価値は2億円)を進呈する」と宣伝した為に、2万2千人もの従軍慰安婦を名乗るインドネシア女性が殺到し「金銭目的で過去を捏造する」女性がインドネシアには多数存在する事が発覚、日本ではテレビで「従軍慰安婦問題」として日本軍の負の歴史として放送されたため、インドネシア社会で大問題となりました。

慰安婦12

高木健一 弁護士

この騒動に関してインドネシアタイムスのジャハム・アリ会長は、

「バカバカしい!  インドネシアに駐留していた日本兵は2万人。1人の兵士に1人の慰安婦がいたのか?」 

「この騒動が日本で放送される事は、両国の友好に何の役にも立たない」

「我々には、日本罵倒(ばとう)体質の韓国や中国と違って、 歴史とプライドがある。 『お金をくれ』などとは、インドネシアを360年間も支配したオランダにだって要求していないのだ!」

スノエ社会大臣は

「今回の事件の発端は日本側だ。悪質極まりない。インドネシアの恥部を曝(さら)け出し、インドネシア民族の名誉を傷付け、 両国の友好関係を損なうような日本人グループがいる事が明確になった。我々は日本人を逮捕できない。 日本人の手で解決(逮捕)して欲しい」

と、大変な不快感を表明した。

 

結局、インドネシアには「従軍慰安婦」など存在しないことが判明、この企みは完全に失敗した。

 

インドネシアで「従軍慰安婦問題」といえば、日本とインドネシアの友好を破壊したい者によって用いられた情報戦というのが、認識です。

 

それでは、なぜ インドネシアでは失敗したのでしょうか?

 

最大の要因は、国民性の違いです。

韓国人とインドネシア人では、まったく国民性、考え方が違っていたのです。

そのことを、朝日新聞の記者であった植村隆は考えもしなかった為に、韓国人の母親にアドバイスができなかったのでしょう。

日本人とは全く思考回路が違う韓国人は、インドネシア人とも全く異なる考え方を持っていたのです。

慰安婦13

スカルノ大統領

 

もう一つ忘れてならないこと

インドネシア建国の父であるスカルノ大統領は、大東亜戦争終戦後、再び、軍事力を背景にしたオランダによる植民地統治が開始された事に対し、ジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で『独立宣言文』を読み上げ、独立戦争を開始した。

その『独立宣言文』の日付には、西暦では無く、皇紀(日本古来の年号)が用いられました。

インドネシアの人々は、日本に感謝し(※特に、オランダ軍を蹴散(けち)らしてくれただけでなく、日本陸軍によるインドネシア統治の際、仁政(じんせい)を敷いてくれた今村均大将)、日本を愛していたのです。

それだけでなく、このインドネシア独立戦争に、敗戦後、日本に帰国する事なく「脱走兵」の汚名を着てまで参加した旧日本軍兵士、4,000人以上。

日本軍の無条件降伏(※日本は、ポツダム宣言受諾に基づく、『有条件降伏』)に伴い、オランダに渡さなくてはいけない日本軍の武器弾薬も、大変な危険を冒して、秘密裏にインドネシア軍に渡しました。

彼ら元日本兵が、大東亜戦争の大義である「八紘一宇」「アジアの解放」のため、インドネシア人を訓練・指揮し、率先してインドネシア独立の為、命を犠牲に戦いました。

インドネシア独立戦争で散華された旧日本兵は、およそ2,000人。

参加した旧日本兵の2人に1人が戦死し、その結果として、インドネシアは、自由と独立を勝ち取ったのです。

 

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インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 ―大東亜戦争は侵略戦争ではなかった  桜の花出版編集部

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「正しい日本の歴史」 (目次)

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