アメリカの誤算

On 2013年10月9日

 

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「 こんなはずではなかった!」  アメリカ合衆国、大誤算

京裁判が結審した2年後の 昭和25年10月15日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の総司令官マッカーサー元帥は、ウェーク島でトルーマン大統領と会談。

「 東京裁判は間違いであった 」と伝えた。

昭和26年5月3日、まだアメリカ軍による日本占領を続けていた最中(さなか)、米国議会上院の軍事外交合同委員会での、GHQ総司令官であった (4月11日、解任) マッカーサー元帥による証言の一部抜粋です。

「 日本人は、工場を建設し、多くの優秀な労働力を抱えていましたが、原料を産出することができません。 日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。 彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油の産出が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。 それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。 これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるであろうという恐怖感がありました。 したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです 」  

「 太平洋において米国が過去100年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考えます 」

参考文献:『 東京裁判 日本の弁明 』 小堀桂一郎 講談社学術文庫

当時の日本の人口は、およそ7,000万人。労働人口は3,000万人  ( ※ 農村以外、職業婦人は少数であった ) として完全失業率は40%、経済は確実に破綻。 当時の状況下では、国家の機能は完全に停止状態となり、国民は食べていくことすらできなくなります。
 その上、石油を含めた資源が入ってこないということは、工業生産が完全にストップし、日本人の生活が確実に崩壊することを意味したのです。 アメリカとイギリスが対日戦争を前提に共同で謀議し、江戸時代から日本と親交のあったオランダまでもが富の源泉である東南アジアの植民地支配継続を画策し、対日政策に積極的に協力。 こうして中国との共同戦線ともいえるABCD対日包囲陣により、あらゆる資源が入ってこなくなった日本の行く末は、工業そして経済活動が完全に停止、崩壊。 挙げ句の果てに石油が入ってこない状態にまで至れば、運送手段は動かすことができなくなり、店先からは品物の一切が消失。 電気・ガス・上下水道までもが停止、人々の日々の生活が行き詰ってしまうばかりか、武器も作れず、軍艦や戦闘機を動かす燃料がなくなり、よって自衛のために戦うこともできなくなり、戦わずして、「 白人国家に侵略された植民地になること 」 を意味したのです。

フィリピンで 、「犬猫同然」 の動物レベルと思っていた日本人に完敗し、部下を見捨てて敵前逃亡をしたマッカーサーは、栄光の軍歴に泥を塗った日本に恨みを持ち、復讐心に燃えていました。

占領軍最高司令官として日本にやってきたとき、アメリカ本国よりの第1指令、 『 日本を、二度と白人国家 ・ アメリカに対して立ち上がるとが出来なくなるまで  「弱体化」  させよ 』 との命令下、「 侵略戦争を仕掛けた日本人は悪人である 」 と信じ切っていたマッカーサーは、国際法規を踏みにじった 東京裁判 をやらせ、自分たちの意向を反映させた長期に渡る米軍占領に適した (※ 当初、50年以上にわたり日本を占領する予定であった) 占領法規となる『 日本国憲法 』をつくらせ、歴史を作り変え、古(いにしえ)よりの伝統と精神文化を破壊し、『 東京裁判 』、『 公職追放 』、『 焚書 』、『 教育基本法 』そして『 検閲 』を武器に、日本人を徹底的に洗脳し、贖罪意識を強烈に植えつけ、日本軍のありもしない残虐行為までをもあらゆる手段を使って宣伝し、祖国を守るためには絶対に欠くことが出来ない軍隊に嫌悪感を持たせることに成功しました。

その後も、学校教育とマスコミを支配し続け、日本人を支配する仕組みとなっていた官僚組織を温存し意のままに操る事によって、アメリカにとってコントロールしやすい 「誇りを失った日本民族」 に作り変えることの成功を見たのです。

ところが朝鮮戦争が起こって事態は一変しました。

アメリカは朝鮮半島で共産主義勢力の中国義勇兵の攻勢に合い敗走、朝鮮半島の南端にまで押し込められてしまったのです。朝鮮戦争の総司令官を兼務したマッカーサーは、旧日本陸軍の作戦参謀の支援を仰ぎ、日本軍の戦法を真似(まね)た戦術を取ることでなんとか38度線まで押し返したところで戦争は終結。

そのとき、初めて、東京裁判で弁護側が言ったことがすべて「本当」であったことに気づきました。

東京裁判における支那に関する日本側の主張の一番重要な部分は、共産主義の脅威です。

満州を守らなければソ連(現・ロシア)の強い影響を受け満州が赤化(共産主義化)する。それから支那も赤化する。

満州事変であろうが、支那事変であろうが、その背後にはコミンテルン(旧ソ連にあった共産主義を世界に広げる謀略組織)が働いていたと東条英機は主張したのです。

 

日本の「A級戦犯」を処刑して2年後、まさにそのとおりになってしまいました。 

シナ国民党軍が、ソ連の後押しによってシナ共産党軍を駆逐しシナ全域を支配するはずだったシナ全土は、満州国も含めソ連の援助を受けた八路軍 (シナ共産党軍) が支配する「 凶 惨 」主義国家になってしまったのです。 

 

その時はじめて、アメリカは事態の重大さに気がつきました。

 

マッカーサーは、満州や支那に対しては、共産主義勢力の拡大を抑えるために、「日本がやってきたようにやらなければならない」 という結論に達したのです。

しかし当時の大統領・トルーマンは、ソ連と戦争になることを恐れ、マッカーサーを解任しアメリカに戻しました。

本国に帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も権威ある公式の場で、「日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていた」 ことを証言したのです。

 

この証言により、

東京裁判はその意味『日本の侵略戦争を裁く』を失い、

東京裁判及び判決のすべては誤りであった 」 ことを、東京裁判のチャーターを発布し判決までをも事前に決めていた日本占領軍 総司令官自らが、世界に向かって認めたのです。

 

その後、日本を対共産圏の防波堤と共産圏諸国へのショウ・ウィンドウとすべく、急遽(きゅうきょ)、アメリカ主体でサンフランシスコ講和会議を開催。  (独立国家として最大の基本となる 『国防』 をアメリカに依存するという)アメリカの強力な影響下ではありましたが、とにもかくにも日本は独立国家として歩むことが出来るようになったのです。

 

(※) 「日米安保条約があるから、日本が戦争になった場合、アメリカが守ってくれる」と日本人全員が信じ、自衛隊不要論まで出ていますが、実は、自動的には守られていないのです。

 

日米安保条約には、2つの重大な項目があります

一、日本が実効支配しているエリアであること。 

(よって独島 『竹島』 は入りません。  また、尖閣諸島も実効支配が崩れたら、安保条約の対象から外れます)

二、アメリカ議会の決議が必要であること。

  (アメリカの国益が絡まない限り、賛成多数とはならず、助けてはくれないということです。また、アメリカが核攻撃を受ける等、リスクを負う場合には、当然、決議などされません)

 

 

 

シナの正しい歴史

かつて、白人国家の植民地争奪戦に出遅れたアメリカは、最後に残ったユートピア『支那』(中国)の利権を獲得すべく、ペリー提督率いる極東艦隊の四隻を送り込み、中継地点となる日本に開国を迫りました。

四方を海に囲まれ鎖国政策を敷き平和の中で暮らしていた日本人は、開国した途端、否応なく西欧列強の帝国主義、植民地収奪戦争の真っただ中に放り込まれてしまったのです。

アメリカは、日本が国家の存亡をかけて戦った大国との戦争(日清・日露戦争)で勝利し、当時の国際法規に則り、日本が獲得した支那に於ける権益のすべてを収奪すべく、オレンジ計画を策定、対日戦の戦争準備を十分に整えた後、日本を戦争に引きずり込み、勝利したのです。  

しかしソ連が先に満州国を侵略し制圧。 結局、満州国はソ連の支援下にあった中国共産党八路軍が支配。 日本の援助により豊かとなった満州国を得た中国共産党軍は、中国全土を制圧。

アメリカは支那の利権を手に入れることが出来なかったばかりか、日本の力を支那から排除してしまったばかりに防共の防波堤が消失。 (※ ヨーロッパでの防共の砦はドイツ)

結果、ソ連共産主義が台頭し世界に赤い触手を巧妙に伸ばし、支那を手始めに朝鮮半島やベトナム、カンボジア、ラオス、アフリカ大陸、中南米など、世界各国の共産主義化が開始されてしまったのです。

(※ 日本も、60年安保、70年安保の対応を誤っていたならば、共産主義暴力革命の餌食になっていたのかも知れません )

以降、世界は共産主義陣営対自由主義陣営の冷戦時代を迎え、アメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして共産圏諸国との数多(あまた)の戦争という泥沼にはまり、多くのアメリカ国民の血を流すこととなってしまったのです。

 

 

私たちは、完全に勘違いをさせられ続けてきた

独立国家として、よその国に守ってもらうのではなく、自分の国は自分で守らなくてはいけなかったのです。

「 日米安保 」 を御旗に、白人国家に刃向かわせないという目的達成のため、日本に軍事力、そして戦争の抑止力となる核を持たせない。 

それだけに止まらず、軍事力を背景にアメリカの言うことを聞かせる。 

なにより、他者依存による、祖国を守る意識の薄弱化 (国防意識の欠如) は、日本人の精神力の弱体化を招きました。 

ここにも、祖国を守る為の軍隊を忌避させ、日本をアメリカの支配下に置き続けるための、『 日本弱体化計画 』 の罠が、見事に仕掛けられていたのです。

 

 
お奨めの書籍

国破れてマッカーサー 中公文庫 西 鋭夫

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

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