「 カルタゴの平和 」 を得た、アメリカ合衆国
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カルタゴの平和と日本の占領政策の関係については、アメリカの高校に通っている孫の景子さんからの質問に対しての返答の手紙が、本として出版された 『おじいちゃん戦争のことを教えて』 ( 中條 高徳 著 )に、大変わかりやすく記述がありますので引用および一部追記させて頂きます。
法律を冒涜し、国際法を犯してまで、なぜアメリカは東京裁判を強行したのだろうか。アメリカは日本に対して、精神的 「カルタゴの平和」 を目指したのだ。 狙いはそれだったのだ。 おじいちゃんはそう思っている。
景子は世界史を学んでいるだろうか。 「カルタゴの平和」 は世界史に出てくる。
カルタゴは商業貿易を得意とするフェニキア人の植民市で、紀元前2世紀ごろ、大いに繁栄し、海賊や他国が恐れる強力な海軍力を有していた。 その繁栄ぶりはいまの経済大国日本の比ではない。 世界中の金銀をかき集めた大金持ちの国と思えばいいだろう。 カルタゴは地中海の海上権を掌握(しょうあく)する勢いを持っていた。
このカルタゴと新興ローマの間にシチリア島の支配をめぐって争いが生じたのがきっかけで、戦争になった。ポエニ戦争である。
ポエニ戦争は紀元前264年から紀元前146年にわたって3回戦われ、3回ともカルタゴが敗れた。
しかし、2回目のときは英雄ハンニバル将軍率いるカルタゴ軍に攻め込まれ、ローマ帝国は存亡の危機に瀕(ひん)したほどであったが辛くもローマは勝利することができた。
2回目の戦争の後、ローマは最も脅威となっていたカルタゴに過酷な要求を突き付けた。 多額の賠償金と領土の一部割譲、そして武装解除と自衛を含む対外戦争の禁止である。自国の防衛をローマに守ってもらえということであり、(独立国としての絶対条件である) 祖国を守るための軍事力を持てなくなったカルタゴは 「身軽になった」 と勘違いし商売に注力するという、今の日本とうり二つの状態となった。
カルタゴは得意の商業貿易を武器に、先の2回の敗戦から息を吹き返した。
前150年、隣国ヌミディアが侵略してきたがローマ帝国は沈黙、カルタゴ市民は祖国防衛のために反撃した。
これを条約違反と咎めるローマ軍が大挙して侵攻し、第3次ポエニ戦争が起きた。 非武装だったカルタゴは急きょ作った粗末な武器で必死の抵抗を試みるがローマ軍の敵ではなかった。 3回目の戦争でカルタゴに勝ったローマは、「カルタゴがあるからローマの平和が脅(おびや)かされる」と考えた。
どうすればいいか。
カルタゴを根絶(ねだ)やしにするのが一番いい。
そしてローマはカルタゴを徹底的に破壊し、作物が実らぬよう全土に塩まで撒き、焼き尽くし、女性から子どもにいたるまで皆殺しにして、カルタゴを地上から消してしまった。
カルタゴは滅亡し、街は17日間燃えつづけた。
かくてローマの平和は築かれた。
カルタゴを抹殺(まっさつ)することによって、ローマは平和を享受(きょうじゅ)することができたのである。
これをカルタゴの平和という。
第2次大戦に勝ったアメリカは、この例にならい、日本に対して「カルタゴの平和」を目指したのだ。
しかし、日本の一切を破壊し尽くし、日本人を皆殺しにする蛮行は、いまでは許されない。 では、どうすればいいのか。
日本人の精神を破壊し、骨抜きにするのがいい。 つまり精神的「カルタゴの平和」である。
そのためにこそ、東京裁判というショーは行われたのだ。 このことはきみが学んでいるアメリカの良識すら事実と認めている。
アメリカは日本を占領するにあたり、日本国民に 「戦争贖罪(しょくざい)意識」 をたたき込むために 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 と呼ぶ綿密な手を打った。
残念なことに、アメリカの狙いはだいたい成功したといえるだろう。
そしていま、そのことは由々(ゆゆ)しき問題を生んでいる。
( 中略 )
アメリカの日本リフォームの基本は、精神的 「カルタゴの平和」 だ。 日本を精神的に骨抜きにすることだ。 その為にも 東京裁判 は 日本人の心を左右 する上で、大きな働きをしたのだ。
敗戦で呆然となってしまった日本人は、自信を取り戻す余裕もなく、戦争の原因と責任はすべて日本にある、日本が悪かったのだ、日本は悪者だと繰り返される宣伝に、それと意識しないままにいつか洗脳された。
日本の過去はすべて悪かったのだと全否定する空気が醸成(じょうせい)されていった。
日本人は自分たちの過去、歴史にすっかり自信を失ってしまった。
だから次々と打ち出される(アメリカの)リフォームを唯々諾々(いいだくだく)と受け入れることになった。
それだけではない。自分たちの文化、伝統、歴史を肯定的にとらえられない雰囲気が蔓延していった。 アメリカの狙う 精神的 「カルタゴの平和」 は成功したのだ。
これは終戦直後、日本が主権を失っていた7年間に限ったことではない。 今でも尾を引いている。
例えば、日本の近現代史を否定的にとらえる考え方は今でも根強い。 そこに精神的 「カルタゴの平和」 を見るのは難しいことではない。
日本の近現代史を否定的にとらえる考え方を 「東京裁判史観」 と呼ぶ言い方があるが、まさに適切である。
( 中 略 )
終戦直後、アメリカが目指した精神的 「カルタゴの平和」 によって、日本の精神文化は崩壊した。 日本人は自分たちの歴史を否定することによって、文化や伝統までも忘却の彼方に葬り去った。 日本人は日本人であることに誇りが持てなくなった。 日本人の心はがらんどうになった。
カルタゴの滅亡から見える、日本国憲法 「 第9条 」
( 軍隊を持たない・ 他国の温情にすがって戦争を放棄する不戦の誓いである ) 絶対的平和主義は美しいイデアだが、無責任な感傷に過ぎない。
そのイデアを掲げて発布されたのが日本国憲法である。
だが、今なお多くの国民は歴史に学ぶことなく、それを「平和憲法」と呼び、うっとりと陶酔している。
( 山本 茂 「つくる会」理事 元九州女子大学教授 )
お勧めの書籍
おじいちゃん戦争のこと教えて 中條高徳 小学館文庫
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9