南京大虐殺の真実 28 証言
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東京裁判における証言
東京裁判では、多数の日本軍が行った正確な行為の証言・証拠提出がありました。
例えば、南京の病院で勤務していたアメリカ人、ジェームズ・マッカラム医師の昭和12年12月29日の日記。
「 ( 安全区に入ってきた日本軍は ) 礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。 若干のたいへん愉快な日本兵がいました。 私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました 」 ( 東京裁判 速記録210 )
さらに、こう書いています。
「 12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。 あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました 」
「 日本人の善行を一つ報告しなければならない。 とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。 彼らに患者の食料の不足を告げたところ、きょう、百斤の豆と牛肉を持ってきてくれた。 この1ヵ月というもの肉は食べられなかったので、この贈り物は大歓迎だ。 他に欲しいものはないかと言ってくれた 」 ( 『 南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編 』 p263 )
しかし、このような証拠は黙殺され、全て不採用となったのです。
( 南京占領の5日後 1937.12.18付 東京日日新聞より )
( 1937.12.15 南京占領の2日後 )
( 南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊 )
( イギリス系、ノースチャイナ・デイリー・ニュース 1937.12.18付 南京占領の5日後 )
戦禍の終わったことを知り、防空壕から出てきた南京の女性たちを庇護する日本兵ら ( 南京陥落の翌日 12月14日 朝日新聞 1937.12.16付 )
( 毎日版支那事変画報 1938.2.1刊 )
平和の戻った南京で、ジョン・マギー牧師のもと日曜礼拝を持つ中国人クリスチャンら
( 朝日新聞 1937.12.21付 「南京は微笑む」の記事より )
南京陥落直後、南京近郊にて中国人の子供と手をつないで歩く赤星昂(あかぼしたかし)少尉 (夫人提供)
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「正しい日本の歴史」 (目次)
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