南京大虐殺の真実 26
なぜ、南京大虐殺が出現したのか?
先ず、南京大虐殺が出現した東京裁判とは 「偽証罪のない裁判」 であり、日本軍の残虐行為であれば、どんな嘘をついてでも 『証言』 を作り上げることが可能であった。
逆に、日本側弁護士による証拠を持った反論は一切認めることをしなかった裁判であったことを、私たちは忘れてはならない。
何よりも裁判決の根拠となる 『チャーター』 は、「日本軍に対する復讐に燃える」 マッカーサー元帥の意のままに作られたものであり、その判決は、「マッカーサーがあらかじめ決めていた判決」 がそのまま下されたことを、私たちは知らなくてはいけません。
私たち日本人が、国際法に基づいて裁判が行われ悪の組織である日本軍が裁かれたのだと信じてきた極東国際軍事裁判ですが、実は、法律など無かったに等しく、裁判の最中から戦勝国の間でも反対論が噴出、現在、日本人以外で東京裁判を 「公正なる裁判であった」 と信じている国家指導者は、どこにもいないのです。
大騒ぎしている中国と韓国は、日本より金を得るための 『外交カード』 にしているに過ぎないのです。
(南京占領の7日後 昭和12.12.20撮影 朝日版支那事変画報 昭和13.1.27刊)
「 中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった 」 ( カメラマン 佐藤 振寿 氏 南京占領の2日後 1937.12.15撮影 南京安全区にて )
第2次大戦後の戦後処理をめぐって、米・英・仏・ソの四大国の代表が集まり、ナチス・ドイツの暴虐無尽の侵略性と共謀性を将来への見せしめの為に断罪すべく、国際法に 「平和に対する罪」 と 「人道に対する罪」 の2項目が、新たに作られた。 こうして 『 ニュルンベルク国際軍事裁判条例 』 ( 以下チャーターと呼ぶ ) が作られ、ナチス・ドイツの戦犯が処刑されました。
重要なことは、ドイツでは、ナチスの指導者だけが対象だったのです。
この法律に基づき、マッカーサー元帥が最高指揮権を掌握(しょうあく)し、裁判を統括することになった日本では、ニュルンベルク国際軍事裁判条例を基に、マッカーサーが 『 極東国際軍事裁判条例 』 ( チャーター ) を作り、あらゆる職種から戦犯を作り出し、「 東京裁判 」 ( 極東国際軍事裁判 ) が行われることとなったのです。
敗戦国の指導者を、戦勝国が軍事裁判にかけて処刑するということは、かつて歴史にその例を見ないことでした。
そればかりか、文明諸国が遵守してきた 「法なければ罪なく、罪なければ罰なし」 を完全に無視した、まさしく国際法をも蹴散らした 「後からじゃんけん」 であり、「国際法上は無罪」 となる敗戦国の人間たちを、犯罪者に仕立て上げるべく、「事が終わった後」 から (法律の専門家ではない) マッカーサーが作った 「根拠にしてはいけない法律 (チャーター)」 に基づいて行われたのが、私たちが今でも信頼している、東京裁判なのです。
( ※ 戦勝国側は、どんなに国際法を逸脱した犯罪行為であっても、一切裁かれることはなかった )
(A)『 平和に対する罪 』 は、昭和3年から昭和20年まで一貫して日本の世界制覇を目的とした侵略戦争を、陸・海軍と政府が一丸となって遂行したという架空の歴史を創作し、適用。
(C)『 人道に対する罪 』 は、アウシュビッツでのユダヤ人大虐殺の断罪を想定して作られたが、日本にはアウシュビッツにあてはまるものがない。捕虜や民間人を大量虐殺したという記録もない。そこで創り出されたのが、『 南京大虐殺 』 であった。
このシナリオに基づいて、「 偽証罪は問わない、検証もしない。」という、どんな嘘であっても日本にとって不利な内容であれば証拠採用されてしまう、とんでもない裁判、「東京裁判」 が行われた。
後から作られた証言が次々と証拠書類として提出され、一切の検証作業なしですべて証拠採用されていった。
日本側弁護団による反証や反論は、その一切を黙殺された。
この間、NHKラジオは毎晩 『真相箱』 という 「GHQによる制作・総指揮」 の番組を、劇的に音楽入りで放送させられ、旧日本軍の残虐性をあることないこと誇大宣伝し、GHQの検閲を受けていた新聞各紙も、NHKと同じ内容で報道し続けるしかなかった。
占領下の日本は、これに対する反論や批判は一切封じられ、学校でも子供たちに、GHQにより作られた歴史教育が徹底して行われ、日本人は戦後世代の私たちばかりか、その子供たちにとっても、「南京大虐殺」 が、歴史の事実となってしまったのである。
ちなみに、東京裁判では、「20万人もの南京市民を虐殺した」 となっています。
この数字の根拠は、ウラン原子爆弾(原爆)とプルトニウム原子爆弾(水爆)という2種類の、それぞれの破壊力を実地テストで確認する為に落とした広島と長崎で、実験のモルモットとして大量に虐殺された日本人の民間人の数が、当初およそ20万人であったことから、アメリカ軍の原爆による民間人の大量虐殺を、日本軍による支那人の民間人大量虐殺に話題をすり替え、原爆の悲劇をうやむやにし、かつ贖罪の歴史認識を日本人に植え付ける意図をもって 「20万人がよかろう」 とGHQが出してきた数字であり、議論する価値は、ない。
※ 原爆の話が出たので、原爆のトリビアを一つ。
京都も原爆実験の候補地であったため、その破壊力を正確に計測するために、焼夷弾による民間都市爆撃 ( ※ 国際法違反の犯罪行為 ) の対象から外されていたことが、今では明らかになっています。 たまたま候補地の中から今回は広島と長崎に落とされただけで、『 日本古来よりの都の 「文化遺産」 を守ってくれたアメリカ人の英知 』 として、(今までの日本のように) アメリカをたたえる必要は無いのです。
ここにも、GHQの意向に沿った 「アメリカ大好き人間を育む」 ための 『教育とマスコミの支配により、私たちの歴史認識と考え方が作られた』 ことの証左が潜んでいるのです。
( 南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊 )