南京大虐殺の真実 22 南京事変の経緯
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南京事変の経緯
独・ソの援助を受け、最新装備と10倍近い兵力を持つ中国軍に対し、圧倒的な戦力差、兵站が整わない状況不利の中、日本陸軍は奮戦し中国軍を各地で撃破。
12月10日、南京城に対する総攻撃を開始。
12日18時、多数の死傷者を出しながらも南京の要害、紫金山要塞に立てこもる中国軍を3日にわたった死闘の末、陥落させた。
紫金山奪取により、南京城東南部の全面攻撃の戦況は俄然(がぜん)有利となり、唯一の遁走(とんそう)経路にひしめいていた敵兵や揚子江の対岸に逃れようとする敗残兵に対して猛射をあびせた。
13日午前10時、海軍の第11戦隊も南京到着、(揚子江を上ってきた) 砲艦が一斉に砲門を開いて江上( 揚子江) から渡江する敗走兵を打ちまくり敵を殲滅(せんめつ)した。
「 実に理想的の包囲殲滅戦を演じたのである 」 (歩兵第30旅団長 佐々木到一少将)
この時のおびただしい敵の遺棄死体や江上に上がった死体、また武器を捨てて逃げる中国兵を掃射したことと、逃走する際に揚子江渡河に失敗し溺れ死んだ多数の中国兵の写真が、のちに 「南京大虐殺」 の火種となった。
( ※ しかしながら、万を超える死体であっても戦闘行為による死体である 。また、逃げる敵を殲滅することは、古今東西(ここんとうざい)戦(いくさ)の基本であり、正当な戦闘行為である。 ましてや、逃走する際に溺死した敗残兵に対する責任は、日本軍に無い )
日本軍は、南京城を囲む各地で中国軍との激闘が繰り広げられ、そのすべてで中国軍を撃破、多くの捕虜を獲得した。
「正しい日本の歴史」 (目次)
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