南京大虐殺の真実 21 南京城内の様子

On 2013年9月4日

 

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南京城内の様子

 

 

シナ91南京入城式 昭和12年12月17日 先頭は松井司令官

「軍規が厳しく守られていた日本軍は、シナ軍のような虐殺などしない」

陥落した南京には多くの中国兵がいたが、国際法 (ハーグ陸戦条約) に違反し、民間人の衣服を剥ぎ取り 「便衣兵」 となり民間人を隠れ蓑にゲリラ戦を展開する者がおり、日本軍は対応に苦慮した。

( ※ 民間人を戦闘に巻き込まない為に、便衣兵は 国際法 で禁止されている。  民間人なのか兵士なのか見分けがつかず、民間人を兵士として攻撃してしまう危険性があるため  )

便衣兵は、国際法において兵とはみなされず捕虜扱いにはならない為、即決裁判で死刑とすることが慣例となっており、日本軍も国際法に基づき、法に則った対処を行った。

このことは、中国軍にその責任のすべてがあるとはいえ民間人にも一部被害が及んでしまった為、海外の一部で報道された。  これが後々、「南京大虐殺」 が東京裁判に出現したネタ元の一つになった。  また、便衣兵を死刑に処した際の写真が、南京大虐殺の証拠として採用されている。

また、一部の朝鮮人兵 (日本陸軍所属) による軍規を逸脱した残虐行為があったことは、事実である。

 

侵出した先では、「兵士へのボーナスとして、強姦、強奪、拷問、虐殺など、どんな悪事をしてもよい」としてきた世界各国の軍隊に対し、

日本軍は、皇軍であり世界に範を示す者として 「世界で一番厳しい軍規を厳守」 することを絶対としており、軍紀を厳格に守ることを兵士に強く求めてきた松井大将(司令官)は、この僅かな朝鮮人兵の軍規逸脱行為に心を痛めていたという。

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

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