南京大虐殺の真実 17 空室清野作戦

On 2013年9月2日

 

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空室清野作戦 「 3光作戦 」

 

 蒋介石の日記 昭和12年11月22日

「 抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。  戦争前には思いもよらなかった事態だ。  (中略)    敗れた時の計画を先に立てるべきだった。  撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱のすざまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ 」

                       

 シナ74昭和12年10月26日、中国軍撤退時の上海の火災

中国軍が市街地から撤収していく際,自ら火をつけた

 

独 ・ ソ の最新装備を備え、日本軍の10倍以上の兵力を持ちながらも敗れた中国軍およそ40万人は、南京に向かって敗走を始めた。

中国兵は、逃げる行きずりに女とみれば「ボーナス」として年寄りでも幼き子供であっても何人もの中国兵が寄ってたかって代わる代わる死ぬまで強姦し、日本軍に利用されないための 『 空室清野作戦 』 と称して、民家に押し入り抵抗する者は殺害し、めぼしいもの (金品や食糧など) はすべて略奪した上で、火を放ち、建物や農作物のすべてを燃やし尽くした。

中国軍が通過した後は、どこも一面焼け野原、焦土となっていた。 

蒋介石は、この蛮行のすべてを日本軍の仕業として国際連盟で強力にアピール。 

戦後、自虐史を植え込むための東京裁判に於いて、すべて日は本軍の仕業となり、日本人が書いた小学生向けのマンガ図書  はだしのゲン  では、日本軍が行った「 三光作戦 」として( 子供に見せてはいけないSMチックな漫画を使って) 徹底的に批判され、日本軍は残虐であったと 「ウソの歴史」 を小学校の純粋な子供たちに刷り込み続けている 。

 

 

クリックすると綺麗に見れますはだしのゲン (2)

※  【 三光作戦 】と呼ばれた、日本陸軍の焦土作戦名。 ・・・ はだしのゲンなどでおなじみ、殺し尽くす、焼き尽くす、奪いつくす、「日本軍がとった蛮行である」と 、戦後、日本人左翼 が騒ぎ朝日新聞などのマスメディアが火をつけガソリンまで撒いて大炎上させた。 

しかし「 三光 」 とは日本語ではなく 中国語 であり、中国軍が敗走の際に好んで使った残虐行為そのものであった。  「三光」などという言葉は日本では全く使われてはいないし、日本人には存在しない残虐な概念である。

また、軍規 厳しき日本軍では、絶対にありえない行為である。 

それでは、「はだしのゲン」 では、どうして「三光作戦」などというネーミングを (日本軍の残虐行為として)使うことができたのか? ・・・ 文科省の官僚よ、教育委員会よ、学校長たちよ、答えてみたまえ!

 

現代の日本人の言うところの中国人、「 国際的な正式名称は支那人 」 ( 実は、さまざまな民族・国家が存在し、支那の地で弱肉強食を繰り返してきたのです ) の戦争においては、古来より、強姦 ・ 略奪は、兵士にとっての報酬であり役得であり、戦うモチベーションであった。

軍律を厳しくし、これらを取り締まることは戦意低下を招く為、愚行とされてきた事実を、我々日本人は、しっかりと知るべきである。

 

「神国日本」を誇りとし、「命を惜しむな、名を惜しめ!」と名誉を最も重んじる世界唯一の精神文化を持ち、世界一厳しい軍紀を厳守、「 武士道精神 」 を敵国軍に対しても如何なく発揮し、「 礼 」 と 「義」 を重んじ、世界の軍隊から 称賛されてきた 精強の日本軍 とは、全く異なる思考回路をシナ兵たちは持っていたことを、私たち日本人は、学ばせてもらえなかった。

学ばせてもらえなかったばかりか、事実とは全く正反対の「デタラメな日本史」を、今でも学ばされ続けているのです。

 

 

第2次上海事変に敗れた中国軍は、当時中華民国の首都であった南京を中心として重火器を備えた防衛線 (複郭陣地) を構築し、抗戦する構えを見せた。

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

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