南京大虐殺の真実 8 南京大虐殺の真実

On 2013年8月31日

 

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「25万人が大虐殺された!?」

 先ず、このような大事件があった場合、その時点で大騒ぎとなり、以降段々と騒ぎが小さくなっていき、最後には人々の記憶から消えていく・・・・・

このパターンになることが一般的です。

 しかし、日本の教科書 (教育出版社) に初めて南京大虐殺が取り上げられたのは、昭和50年、当の中国の国定教科書では昭和56年までは、一切そのことに触れられていないのです。

( ※ 国定教科書には一党独裁の中国共産党の歴史認識がそのまま反映されます )

昭和56年までは、今では大騒ぎをしている中国においてさえ、「 南京大虐殺は、存在していなかった。」 のです。

 

 南京大虐殺が日の目を見るきっかけとなったのは、昭和46年8月、朝日新聞社が、本多勝一 ( ※ 在日朝鮮人帰化人の崔泰英と言われているが確証はない、謎の多い人物 ) 記者を起用して始めた連載記事 『中国の旅』 に  ( 被害を受けたはずの南京市民ですら知らなかった大虐殺 ) の記事を、どこで手に入れたのか分からない写真まで付けて、書いたことが始まりです。

 

日本陸軍が進攻した当時、中華民国(中国)の首都であった南京市は国際都市であり、欧米列強の公使館や各国の通信社までがあり、日本兵がおばあちゃんを殴っただけでも日本の大使館に抗議が来る時代でした。

南京市内には日本を敵視していた、アメリカ ・ イギリス ・ ドイツ の代表者15名からなる 「南京安全区国際委員会」 ( 以降、国際委員会と呼ぶ ) まであり、安全区 (難民区) を作り、全市民を避難させ、南京市民を戦禍から保護する活動を行っていました。

 

 当時の世界情勢を簡単におさらいします。

第2次世界大戦では同盟国であったドイツ (ヒットラー総統) は、この時点では日本を快く思っておらず、中国に軍事顧問団を送り、中国兵の鍛錬と兵器・武器の供与を(鉱物資源の見返りとして)行い、頑強な地下陣地まで構築指導し、日本の抹殺のための対日戦の支援をしていました。

そのほか、中国利権の拡大を狙っていたアメリカ・イギリスが中国への軍事支援を行っていました。

この 米 ・ 英 ・ 独 、そして中国軍が厳しく監視する中で行われたのが南京占領なのです。

私たちが信じてきた南京大虐殺が実際に行われたのであれば、アウシュビッツの大虐殺にも匹敵するインパクトを持っています。当然、事件発生時より、中国国内はもとより、国際世論の袋叩きにあってもおかしくありません。

 

それでは、いつ、この事件が現れたのでしょうか?

 

 この事件が、最初に世に出てきたのは、南京占領から9年後の、敗戦国・日本を裁くための極東国際軍事裁判 (東京裁判) の時です。

それまでは、南京戦を戦った当の相手国である中国・国民党や中国共産党も、南京に大虐殺があったなどとは、一言も、発言していません。

安全委員会の構成員である、米 ・ 英 ・ 独 の新聞・雑誌にもこのような内容の記述は、ありませんでした。

当時の 国際連盟 でも、南京事件 は議題にさえなっていなかったのです。

「 南京大虐殺事件 」は、東京裁判から始まった事件と言えるのです。

それ以前には、国際的にも、国内的にも、被害者である中国自身においてさえも、存在しなかった事件なのです。

 

東京裁判では、偽証罪を排除したため、日本軍の悪行(?)の数々が泉の水のごとくわいて出てきました。

偽証罪が無いということは、嘘でいいから、どんどん日本軍の悪行を具体的に提出して下さい。証拠採用しますよ。  万が一、後でウソが発覚しても一切罰しません。  「嘘をつきなさい。」と暗に勧めている状態であり、

「こんな拷問を受けた」 「道路にいくつもの中国人のさらし首が置かれていた」 「何万人もの民間人が洞窟に閉じ込められ殺された」 「頭の皮をはがされ殺された」 「〇〇少尉二人が100人切り競争をした」 ( 戦時中、そんな暇は、ありません。  欧米列強の監視下で出来るはずもありません。  しかも刀で人を切れるのは、刃こぼれや刀にべったりと付く油の為、せいぜい2~3人です )  「日本軍に略奪された」 「大勢の兵隊に強姦されていた」 「性器を切り落とされた」 「金目のものを強奪された上に放火された」 「陰部から串刺しにされ殺害された」 「さらし首があった」 等、ありもしない具体例が次々と、南京陥落から九年経った後に創作され、すべて証拠採用されました。

 

 南京大虐殺が主に裁かれたのは日本の東京裁判ではなく、南京法廷でした。  北京、上海、広東など一〇ヵ所で開かれた中華民国政府による法廷の一つで、いわゆる 「B C 級戦犯」 が対象となりました。
 この南京法廷では、“南京虐殺の実行者” に対する審判が主要な柱とされ、何かと議論の多い 「百人斬り競争」 の向井、野田両少尉が裁かれたのもこの法廷でした。
 大虐殺の実行者とされた谷 寿夫中将 (第6師団師団長) に対する判決文のなかに、虐殺数の内訳が出てきます。  谷中将率いる第6師団は、第16師団 (師団長・中島今朝吾中将) 、第18師団 (同・牛島貞雄中将)、第114師団( 同・末松茂治中将) などの部隊とともに、大規模な虐殺、放火、強姦、掠奪を行ったとされました。  これらの情報は東京裁判にも伝達され、そのすべてが重要な証拠となりました。

しかし中国人が証言した日本軍による 拷問 ・ 強姦 ・ 虐殺 ・ 放火 ・虐殺 の手法は、人肉を平気で食する中国人が好んで行う残忍極まりない手法ばかりであり、日本人では到底真似などできない方法であったにもかかわらず、すべては日本軍の残虐行為として証拠採用され、GHQの命令により日本国内で繰り返し報道され、ラジオで効果音まで入れて何回も放送され、後に私たち戦後世代も勉強し、テレビでも確認させられました。

 どんなにひどい虚偽の証拠・証言であっても、日本の反論は一切許されず、GHQの検閲により、NHKラジオや新聞各社は連日連夜、虚飾の具体例を報道させられ続けたのです。

占領下の子供たちには特別授業まで行い劇画タッチのラジオ放送を聞かされ、徹底して南京大虐殺ほか、様々な 「 歴史事実とは全く異なる、GHQにとって都合よく創作された日本軍の悪行 」 を教え込まれ、また日本軍を率いた人間たちは悪人と教わり続けました。

その結果、20万人~30万人もの中国人を殺害した 「南京大虐殺」 の存在が、( 被害にあったはずの中国ではなく、主に日本の ) 歴史の事実となっていったのです。

 

 私たちが、しっかりと認識していなければならないことは、マスコミと学校教育は、国民の考え方、意思、判断を決定する影響力を持っているということです。 

 

特に、新聞やテレビ、ラジオで大々的に報道されてしまったら、後で 「それは違う、間違っている、本当はこうなんだ!」 といくら言っても、人々には言い訳にしか聞こえず、「そんなことを言ったって、本当はやったんでしょ」 と心の中の声は叫び続けることとなり、あとの祭りとなるのです。

「 テレビ・ラジオや新聞・雑誌などのメディア、学校教育はウソをつかない 」と、心の心底では信じ込んでしまっている、日本人の悲しさです。

 

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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