南京大虐殺の真実 13 通州事件
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通州事件
盧溝橋(ろこうきょう)事件が起きた昭和12年7月当時、北京(当時は北平)市街の東にある通州という町に約400人の日本人が住んでいた。 通州には日本軍とシナ軍の緩衝地帯として日本が親日家の殷 汝耕(いん じょこう)に組織させた冀東(きとう)防共自治政府があった。 軍隊は日本の守備隊140人と国民党の第29軍、それに冀東防共自治政府の保安隊約3千人が駐留していた。
盧溝橋事件から22日後の昭和12年7月29日、現在の中国・北京から東へ約12キロのところにあった通県 (現:北京市通州区北部) で日本軍守備隊140名と日本人居留民380名が突如として襲撃を受け、婦女子、乳児・幼児を問わず凄惨極まるリンチの末、惨殺された。
死者260名を超えた阿鼻叫喚の大虐殺事件である。
※ この、シナ人による鬼畜のごとき残虐な虐殺事件は、戦後、日本人作家によるマンガ 「はだしのゲン」 の6巻以降 ( ※ 5巻までは少年ジャンプ、6巻以降は共産党系出版社) で、日本軍によるシナ人の陰湿な虐殺事件として描かれる元ネタとなり、まだ何色にも染まっていない日本の子供たちに、 (日本を守るために散華された) 先人たちを貶める左翼な教育委員会と日教組による大々的な洗脳教育の大切な副教材となっている。
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昭和12年7月29日、通州事件が発生。
この事件は、戦後、アメリカ軍による6年8ヶ月にもに渡る占領下、GHQの検閲により一切の発表は禁止となり、以降触れられることがなくなり、私たち戦後世代は誰も知らない。
しかし歴史を正しく認識するためには、知っておかなければならない重大事件なのです。
通州事件とは、日本軍が各地で負けているというプロパガンダを信じ、日本が行った平和外交の結果、侮日意識が増した通州人の保安隊と学生たちが、警備の日本軍が少なくなった隙を突き、仕事のために滞在している日本の民間人に襲いかかった事件である。
140名の日本軍守備隊は必死の防戦むなしく全滅し、通州に住む日本人の民間人およそ380名に対し、残虐極まりない拷問と殺戮行為を行ったものである。
その手口は人とは思えぬ残虐さを極め、生きたまま両目をえぐりだし、両手両足を切断、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの 「助けて!」 との叫びを聞こえなくさせた。
子供の指をそろえて切り落とし、口の中に砂や生きたまま切り取った男性の陰部をつめて窒息死させた。
婦女子に対しても、大勢で強姦した後、生きたまま陰部を切り刻み、殴るけるの暴行を死ぬまで繰り返した。
生きたまま腹を引き裂き小腸を引っ張り出し殺害、婦女子は子供といえども一日中次々と支那人が強姦し続けた上で、最後には陰部を棒状のもので串刺しにし激痛を与え続けながら殺した。
喫茶店の女子店員たちは、何度も強姦(輪姦)された後に殴り殺された上で、切り取られた生首をテーブルの上に綺麗に並べられ、また別の日本人は生きたまま鼻や耳を削ぎぎ落とされ、最後には目を串状のもので突き刺されくり抜かれた。
斬首した女性に対する死姦、臨月の妊婦の腹から赤ちゃんを針金で強引に引き出してから輪姦の上、陰部から木の棒を突っ込み、串刺しにして殺害した。
生きたまま、刃物で鼻やのどや手のひらを突き通して激痛を与え、その穴に焼いたワイヤを通し、つないだ子供や女性を生きたまま木にぶら下げた。
空中にぶら下げる拷問である。
その痛みたるや、「すぐに殺された方がどれだけよかったか!」
「殺してください!」と叫び続けたという。
その後、銃弾で蜂の巣の如く穴をあけた。
生きたまま切断された生首を、蹴って遊ぶ一般の支那人たちまでもいた。
半殺しの生きた状態で頭皮から始まり、背中全体の皮を真ん中からナイフを入れ引きはがされ、激痛の中で半日ほど苦しみ、のたうち回りながらこと切れる者、手首足首を順番に切断し痛めつけながらなぶり殺していくなど、「必死に命乞いをする民間人」を残虐極まりない手口で虐殺した。
この残虐極まりない行為は早朝から始まり、翌朝、日本軍の偵察機が上空に現れるまで行われた。
日本軍が到着すると、それまで残虐行為を愉しんでいた多くの支那兵や学生たちは蜘蛛の子を散らすがごとく逃走、残された遺体は、あまりに惨たらしい拷問のため、男か女かの判別すらつかなかった。
支那人と平和友好的に付き合ってきた日本の民間人に対して行われた、人間がなせる業とは思えぬ残虐行為は、驚くことに、多くの支那人が見ている目の前で行われたのである。
あらかじめ日本人の虐殺を噂で知っていた通州に住む支那人は、その日、数千人が虐殺現場に集まって周りを取り囲み、日本人であれば吐き気をもよおす辛酸を極めた残忍な 拷問 ・ 強姦 ・ 殺害行為 を、おんな子供に至るまで、平然と、楽しげに見物していたという。
戦後、その残忍極まりない行為は「日本軍の仕業」にされ、朝日新聞とNHKは今でも「反省」を騒ぎ続け、日教組と教育委員会は、
「はだしのゲン」(マンガ)を使って、日本軍がシナ人に対して行った残虐行為として子供たちにまで徹底して教え込む愚行に出た。
女性は、幼児でも老婆でも何十人もの中国人に一日中、強姦されてから、なぶり殺された
今、仕事で中国に渡っている日本人たちも、いつ、こうなるか分からない
マスコミは一切報道しないが、中国人の人間性は、まったく変わっていない
シナに渡るのであれば、「自己責任」という言葉を理解しなさい
尖閣諸島でもめている中国の住民とは、このように、日本人とは全く異なる残虐な行為を、女だけでなく子どもに至るまでが平然と楽しめる 「残虐な嗜好性を持った民族」 なのです。
この時、虐殺された日本人はおよそ400人。
日本人の倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残忍であったため、この様子が同盟通信を通じて日本全国に新聞報道されると、あまりの惨(むご)たらしさに対支感情は極度に悪化、『平和外交』 を唱えるだけの無能な政府・官僚に国民の怒りは爆発、日本の世論は轟々として 「悪逆無道の支那討つべし」 の声が高まったのです。
しかし、それでも日本政府は、何もしないという「大人の対応」の平和外交方針を変えませんでした。
※ この残虐極まりない強姦・輪姦・死姦・リンチ・なぶり殺し・虐殺・略奪・放火の手口は、戦後の東京裁判で、すべて日本兵による 「南京大虐殺」 の残虐行為となり、無実の日本兵の多くが戦犯となり死刑となったばかりでなく、私たちは、南京で日本軍が残忍な行為をしたと今でも、信じ続けさせられているのです。
通州事件の画像は、私たちが正視に耐えられないほどの、おぞましいものである。
中国人の本質である「残忍さ」をえぐり出すことができてしまうため、中国に弱みを握られた政治家やマスコミや
を使命とする左翼な教育界の重鎮たちによって、『もっとも重要な歴史事実 ・トピックス』が隠されたのである。
この残忍極まりないシナ人たちの本性を見た当時の日本人は、「日中戦争やむなし」に傾いて行ったのである。
今の「英語が喋れれば国際人」などとトンデモ勘違いをしている日本人に、1つだけアドバイスをしておこう。
「シナ人の本性は、今も全く変わってはいない」
真実を知る勇気(無邪気?)のある方は、下記をクリックしてください。
※私たちの持っている中国人のイメージとは全く違い、残忍な虐殺が当たり前の支那(中国)人が行った
日本人民間人への拷問、大虐殺に関する写真ですので、ここには掲載しません。
目を覆わんばかりの残虐なる悲劇が繰り広げられました。 サイトを見る際には、注意してご覧ください。
しかし、これが「 現実 」なのです。
通州事件画像 (グーグル画像)
確認すべきインターネット情報
「 証 言 」
通州事件の惨劇
日本人皆殺しの地獄絵・其の三
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
日本人皆殺しの地獄絵・其の四
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1
日本人皆殺しの地獄絵・其の五
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9