南京大虐殺の真実 9 安全区
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安全区(難民区)の存在
昭和12年12月13日の南京陥落前より、南京城内 (南京市) には、「 国際委員会 」が管理する、安全区 (難民区) があり、民間人はすべてこのエリア内に避難し、日本軍もこのエリアには一切の砲爆撃を行わず、避難民の安全を確保しました。
安全区では、日本の中国進出を敵視し日本人を蔑(さげす)んでいた三か国 ( 米 ・ 英 ・ 独 ) の代表者15名からなる国際委員会が、日本軍の行動を徹底して監視し、万一問題行動があった場合は、日本の大使館ならびに軍司令部宛てに厳重抗議がされるだけでなく、即座に各国の大使館経由で世界に報告され、糾弾(きゅうだん)される体制にありました。 南京市内に住む民間人は、全員この避難区に避難していましたので、万が一、日本軍の乱暴狼藉があったならば、即座に報告される体制が整っていたのです。
また日本軍は、米英との戦争回避を主眼に置いていた時期であり、国際委員会に対しては最大限の配慮をもって当たっており、間違っても武力で彼らを抑えつけようなどとは考えもしていない時期です。
それだけでなく、明治以降、日本の軍隊は、世界最高峰の誉れある「厳しい軍律が、厳格に守られている軍隊」として、世界各国で称賛され尊敬を集めていた歴史の真実を、私たちは知るべきです。
(南京入城3か月後 昭和13年3月撮影)
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「正しい日本の歴史」 (目次)
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