南京大虐殺 2 南京大虐殺とは
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よその国に行くと現地のガイドを雇う。
仁和寺の法師みたいにせっかくの石清水八幡宮を見損なってしまわないようにするためだけじゃあない。
世間話をしているうちに思わぬ話を聞き出せるときがある。
南京に行った時のガイド戴國偉は 「実は南京大虐殺のネタは私が本田勝一に話した」 と言った。
本田は検証もなしで戴が話した通りに 「中国の旅」 を連載した。
「 筑紫哲也や久米宏がきた 」。 彼らも何の疑いも無く信じて帰った。
支那の吉田清治みたいな男だった。
(『変幻自在』 高山正行 週刊新潮 ‘13.11.14 より引用 )
私たちが信じている「南京大虐殺」とは
南京事件(南京大虐殺)とは、満州事変(昭和11年)に始まった日本軍による中国侵略は、上海にまで飛び火、中国奥地への侵略を続け、「 昭和12年12月13日、南京を陥落させた日本軍は、以降六週間に渡って、略奪、放火、暴行、強姦、そして20万人とも30万人ともいわれる中国人の殺戮(さつりく)を行った 」悪鬼羅刹のごとき日本軍の軍事行動のことです。
「 日本兵は、上海から南京への進撃中から諸種(しょしゅ)の残虐(ざんぎゃく)行為を行ったと言われ、南京市内での日本軍は、集団をなし人を見れば暴行を加え、あるいは射殺し、女を見れば強姦(ごうかん)し、略奪(りゃくだつ)放火はかって次第、死体はいたるところに累々(るいるい)と山をなし、道路は死体が重なりトラックや戦車が踏みつけて走り、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図さながらであった 」
日本では、昭和50年から、「突然」 教科書に掲載されるようになり、なぜか、本場の中国では、日本登場より遅れること6年、事件後40年以上たった、昭和56年になって、初めて教科書に登場。
以降、日本ではすべての学校で教えられ、新聞雑誌等で報道されNHKでは繰り返し特集番組がテレビ放映されるようになり、また中国には南京大虐殺の博物館までが完成した。
私たちが信じるようになった 「日本の負の歴史」 です。
日本の教科書に掲載されるおよそ30年前の東京裁判では、より具体的に日本軍の悪行が列挙されています。
「 南京が占領された後、最初の2、3日の間に少なくとも1万2千人の非戦闘員である中国男女子供が無差別に殺害され、占領の1か月の間に約2万の強姦事件が市内に発生した。 また一般人に成りすましている中国兵(便衣兵(べんいへい))を掃討(そうとう)すると称して、兵役年齢にあった中国人男子2万人が集団的に殺害され、さらに捕虜(ほりょ)3万人以上が降伏(こうふく)後72時間のうちに虐殺(ぎゃくさつ)された。 なお、南京から避難してきた市民のうち5万7,000人が日本軍に追いつかれ収容され、彼らは飢餓(きが)と拷問(ごうもん)にあって、ついに多数の者が死亡し、生き残った者のうちの多くは機関銃と銃剣で殺された 」 ( 朝日新聞法廷記者団著 「東京裁判」 )
NHKはこの内容に沿ったラジオ番組「 真相箱 」を、毎日毎日、より詳しく、より具体的に、リアリティを持たせるため音楽や叫び声まで付けて放送し、GHQの言論統制下(検閲)にあった新聞各社も、筆をそろえて連日書き立てた。
GHQに逆らうことはできず、書き立てるしかなかったのです。
占領下での日本人は、GHQの厳しい言論統制下にあって、これに対する反論や批判は一切認められず、抗弁のしようもなかった。
GHQによって検閲・操作された新聞雑誌の報道、GHQにより制作させられたラジオ放送であることを知らず、多くの日本人が、毎日続くこの (日本人が自戒の念を込めて作ったと信じさせられた) 報道と劇的なラジオ番組に頭(こうべ)を垂れ続け、小学校の高学年になると子供たちは学校の授業としてこのラジオ番組を強制的に聞かされ、これが「 真実の歴史 」となり、日本の外務省に至っては、常に中国の言うことは何でも聞き要求はすべて受け入れるようになり、中国にとっての 『最強の対日カード』 となっています。
果たして、この歴史は、本当にそうだったのでしょうか?
きっかけとなった、第一次上海事件より、歴史を確認していきたいと思います。 ( ※ 日本人は勘違いをしていますが、満州事変からではありません)
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9