日本軍による従軍慰安婦狩りの出現経緯
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強制連行を創作した、吉田清治とは?
吉田清二は、終戦後の昭和22年に、下関市議会議員選挙に、当時、日本を暴力とテロをもって破壊し転覆させた後、彼らの理想郷である共産主義国家の樹立を真剣に画策していた『日本共産党』から立候補、
129票しか獲得できず落選したという経歴を持つ。
また、入獄暦 (犯罪歴) については、本人陳述では、金九 (朝鮮独立運動の首領) を輸送したかどで、昭和15年6月、憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の懲役となり、昭和17年6月、諫早刑務所を出所となっているが、実際の罪名は、アヘン密輸にからむ「軍事物資横領(おうりょう)罪」であった。
要は、「ウソで塗り固めた人生」を、さも真実の如く吹聴する特技を持った人物だったのである。
吉田清治
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平気でウソをつく元・犯罪者の、それも被害者の証言をねつ造したデタラメな手記を、朝日新聞は大きく取り上げ、徹底したキャンペーンを張り、日本を貶めたのである。
昭和52年、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第2次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。
昭和57年、第1次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。
昭和58年、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した。
その後も、朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。
ねつ造が発覚していた従軍慰安婦は、真実となった
平成元年8月14日、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と報じた。
平成3年8月11日、朝日新聞ソウル支局勤務の植村隆記者による、従軍慰安婦の記事が掲載された。これが、新聞報道第1号である。
この記事は事実に反する内容を多く含んだ「誤報」にも関わらず、韓国の様々な新聞に転載され、慰安婦問題がクローズアップされた。これを発端として国際社会にいわゆる従軍慰安婦問題が提起されていくこととなる。
また、「日本軍により慰安婦にさせられた手口」の韓国人慰安婦による証言は、韓国軍が朝鮮戦争当時、アメリカ軍の要請に基づき行った慰安婦狩りの手口と、全く同じであった。
また、ベトナム戦争当時、韓国軍がベトナムの女性に行った、何十万件にも及ぶ残虐非道な強姦事件や、拉致・監禁の上「従軍慰安婦」にさせた手口とも瓜二つであった。
なお、植村記者の妻は韓国人であり、同国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事である粱順任の娘である。
粱順任は、日本政府に対して、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こし、日本政府から金を取ろうと仕掛けた。また、平成23年5月、日本政府からの補償金に絡む詐欺事件でソウル市警に逮捕されている。
朝日新聞の植村記者は、「でっちあげた『従軍慰安婦問題』を朝日新聞に連日掲載することで、日本から賠償金名義の大金を、妻の母親と共にせしめようとしたのである」と言われても、反論ができないのである。
平成3年12月6日、福島瑞穂(現・社民党党首)、高木健一などが日本政府に慰安婦補償を求めた初の損害賠償請求裁判を提訴し、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件として裁判が開始される(平成16年、最高裁で敗訴確定)。
これを朝日新聞は、当該訴状で「親に売られてキーセン(売春婦のこと)になった」と記載されているものを「軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した」と書き変えて報じた。
平成4年1月、宮沢喜一首相の訪韓を前にして、その5日前 (という抜群のタイミング) の朝刊から、朝日新聞は、朝鮮人慰安婦のキャンペーン記事を掲載した。
朝日新聞が歪曲した慰安婦記事
( 国会答弁の映像 )
(クリックすると綺麗に見れます)
同時期、韓国メディアも従軍慰安婦問題を大々的に取り上げた。
朝日新聞は「 慰安所、軍関与示す資料発見、民間任せ政府見解揺らぐ 」、「 部隊に設置指示、募集含め統制・参謀長名で、次官印も 」、「 謝罪を、補償をの声さらに 」 など事実無根の記事を連日掲載し、宮沢の訪韓はデモ隊が待ち受けるなかで行われた。
宮沢首相は、盧泰愚大統領に対し、従軍慰安婦の詳細な調査を約束。謝罪外交の極みと揶揄(やゆ)される、日本を貶(おと)めるだけの無責任極まりない『河野談話』への伏線をひいた。
「宮沢首相が青瓦台( せいがだい:韓国の大統領官邸 )の記者会見場で、卑屈(ひくつ)な表情を浮かべている姿が記憶に生々しい、1時間15分の首脳会談で、宮沢首相は8回も謝罪と反省を繰り返した ----。韓国の大統領主席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」 (毎日新聞 ソウル支局の下川特派員)
平成4年3月、秦郁彦(はた くにひこ)が、吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言について済州島で現地調査を行ったが、まったく裏付けは取れなかった。 当時を知る島民は「この島(済州島)で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をした。
『私の戦争犯罪』は韓国語訳され、現地の済州新聞で住民の証言をもとに論評がなされているが、「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている。 秦は、同記事の執筆者である済州新聞記者・許栄善と面談の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという。(※秦は『正論』に調査結果を公表、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋平成5年3月号)に掲載し、菊池寛賞を受賞した)
このような状況下、同年(平成4年)、日本弁護士連合会(日弁連)は戸塚悦郎弁護士を海外調査特別委員に任命し、海外の運動団体と連携し、国連へのロビー活動を開始。2月、戸塚弁護士はNGO国際教育開発(IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と「従軍慰安婦」問題を国連人権委員会に提議、「日本軍従軍慰安婦」を「性奴隷」として国際社会が認識するよう活動していく。
当時、日弁連会長だった土屋公献も日弁連が国連において慰安婦を「性的奴隷(Sex Slaves またはSexual Slavery)」 として扱い、国連から日本政府に補償をおこなうように働きかけたと言明している。
その結果、平成5年6月、ウィーンの世界人権会議において「性的奴隷制」が初めて「国連の用語」として採用され、平成8年のクマラスワミ報告書では「軍隊性奴隷制(military sexual slavery)」と明記されることになってしまった。
社民党・党首 福島みずほ (元弁護士)
確認すべきサイト
「従軍慰安婦問題」は朝日新聞のねつ造だった。
http://jacklog.doorblog.jp/archives/25401881.html
慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士(社民党)
http://www.youtube.com/watch?v=W_seR0LVwyY