靖国神社 9

On 2013年8月13日

 

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ある兵隊さんの書いた手紙

 

子供の夢を見た

陸軍伍長 島田 重正

歩兵第五十六聯隊

昭和19年5月31日

ビルマ・モロコンにて戦死

佐賀県小城町出身 28歳

 お手紙有難う。自分の播いた野菜類が、どうやらものになって居るとの事大変嬉しく思ひます。営庭でも、食糧増産、自給自足の意味と思ひますが、野菜があちらこちらに播いてあり、立派に出来てゐます。

 はやいもんで、もう1ヵ月になりますね。先日写真をとつて送りましたが着きましたか。面会には誰も来ません。戦友諸君、皆、面会で楽しさうです。自分は到底来る筈がないと思い乍ら、日曜なぞは、若しや、なぞと思ふ事があります。

 それから先夜夢を見ました。男子が産まれて、雅子に似てゐるのです。その児を自分がお守りしてゐる傍に、正樹が遊んで居ました。偖、此の夢は正夢でせうか。調のお父さん、お母さん、武男さん、文ちゃんに宜敷く。名犬クロにもよろしく。

 やがて點呼、そして消燈。

 「正樹チャンおやすみ」。

 

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日本軍12中国人の子供も集まり陣中余興(昭和13年8月)

 

「 愛する幼子に、あと一度だけでいい、会いたい 」「 故郷に残してきた大切な恋人に、一目逢いたい 」彼らは、叶わぬと知っていながらも、そう必死に願いながら、「 大義 」のため、大切な命を日本にささげて下さったのです。

 

ペリーにより、無理やり開国をさせられるまでは、私たち日本人は自然を慈しみ、平和を愛し250年もの長きにわたり戦争をすることもなく( ※ 欧米諸国やシナでは考えられない平和の長さ )、平和に包まれた平穏な暮らしを続けてきました。

平和をこよなく愛してきたのが、日本人なのです。

( その平和を打ち壊したのが 「帝国主義」 を標榜(ひょうぼう)する西欧列強による、アジア侵略であり、その矛先が日本に向けられ、日本は軍事力を背景とした白人諸国により強制的に開国をさせられ、富国強兵を図らなければ欧米列強の植民地にさせられてしまう国際情勢だった )

戦時徴用された兵士は、誰も、絶対に、死にたくなど、なかったのです。

世界最強を誇った誇り高き大日本帝国軍人であっても、死にたいと思って戦地に赴く人間など一人もいません。

どんなことをしてでも、生きて、故郷に帰りたかったはずです。

しかし、日本を守るため、遠く離れた愛してやまない家族を守るため、子供たちのの将来の為、死ななくてはならなくなったとき、死に向かう覚悟が必要だったのです。

その覚悟とは、「 御霊は遠く離れた靖國神社に戻る 」と信じたればこそ、できたのです。

「靖国神社で、またみんなに会える」そう信じて死地に向かったのです。

最期にかわす言葉は、「靖国で会おう」

明治維新以降、日本の未来の為に、散華された方々の御霊が集い、安らかに眠る靖国神社。

 

「 悲壮なる決心をするだけに子供こひしさに心の鬼も防ぎ得ず。 未練がましくも幸ひ便りする機会を得て書き連ねる——常日頃 我いとし子を見つめては 心の悪魔払ひ来りし 」 ( 硫黄島で散華された一兵卒の硫黄島激戦の直前に書かれた遺書 『 昭和の遺書 』 角川書店より引用 )

 

残された家族とて、「 靖国に行けば、お父さんに会える 」 「 靖国に行けば、愛する息子にまた会える 」。そう信じていればこそ、国を恨まず、死んでいった愛する者への供養が静かに出来たのです。

死んでいった方々の、家族の、恋人の、その思いを、裏切ってはいけません。

世界で一番の道徳心にあふれる誇り高き日本人は、靖国神社をないがしろにしては、いけないのです。

ましてや、政争の具にするなど、言語道断の愚行なのです。

 

愛する者を戦地に送った国家が、その責任に於いて、日本人の心の柱である靖国神社に御霊を祀ってくれるからこそ、死んでいった兵士も、その遺族も、祖国を信じることが出来るのです。

 

そして、万一国難にあった時、私たちは、日本人として国を守るために命を懸ける覚悟ができるのです。

 

 

「日本には平和憲法があるから、ほかの国は日本に攻めてはこない」

寝とぼけたことが言える時代は、終わりました。

 

 

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お勧めの動画

九段/英霊来世AreiRaise

http://www.youtube.com/watch?v=41-GsLtzat4&feature=player_embedded#!

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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