靖国神社 8

On 2013年8月13日

 

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村

応援クリック お願いします!

 

 

靖国神社とは、なんであるのか

 

世界中、どこの国に行っても戦没者(英霊)を祭る立派な「英霊墓地」があり、ことあるごとに国家元首を始め多くの国民が参拝に訪れ、日本の総理大臣や国会議員そして外務省の官僚たちは訪問時、その国の英霊を祭る墓地には礼装して参拝し、敬意を表しています。

「国を守るため」命をかけて戦い、戦死した方々に対して、最大の敬意を示す。

これは、『 世界の常識 』なのです。

その常識が通用しない国が、世界で唯一、1ヶ国だけ存在します。

そう、その国の名は、日本。

英霊墓地をないがしろにし、批判し無視し、足蹴(あしげ)にするような国など、世界中どこを見渡しても、どこにもないのです。

日本だけが、「英霊墓地を批判することが、正義」となっているのです。

 

なぜ、そのような、世界の常識から隔絶した、愚かな国民に成り下がってしまったのでしょうか?

 

私たちの祖国、日本は、明治以降多くの国難を乗り越え、また祖国を護るために戦争で死んでいった方々の、死に物狂いの働きがあったればこそ、有色人種国家で唯一、植民地としての苦汁を味わうことなく済んだのです。

結果、日本は経済的にも豊かになれたのです。

そればかりか、全アジア、遠くアフリカにまで「 有色人種でも白人と戦って独立を得ることが出来るんだ!」という民族意識の変革に多大なる影響を及ぼし、白人国家の植民地からの独立が次々と果され、大いに感謝されているのです。( ※ しかし、この事実は、なぜか報道されない)

大東亜戦争での、彼らの 「死を覚悟した」 死にもの狂いの戦いがなかったならば、日本は、中国の利権収奪を国是(「マニフェスト・デスティニー」)としたアメリカの中継地として、植民地になっていたでしょう。  そればかりか、その後何百年間、有色人種は白人国家の植民地・奴隷として苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)にあえぎ続けていたことは、間違いがないのです。

明治以降、欧米列強の植民地支配勢力に対して、日本軍兵士の死を覚悟した死にもの狂いの活躍により、大東亜戦争後、アメリカ軍による占領が終了してからの日本は、『 独立国家 』 として、目覚ましい発展を遂げることことができました。

これもすべて、祖国のため、愛する家族を守るため、愛する故郷を思いながら散華(さんげ)された、多くの日本軍兵士と協力して下さった民間の方々の皆様のおかげなのです。

 

大東亜戦争のさなか、日本軍の兵隊は、夜集まると故郷の話をすることが多かったそうです。

彼らはいつも故郷に残してきた、大切な家族、恋人のことを思いながら遠い戦地にいたのです。

彼らの思いは、「子は元気にしているか」 「母は元気か」 「兄弟は元気か」 「恋人は何をしているのか」 「妻は元気か」 「生まれたばかりのまだ見ぬ子は、どんな顔をしているんだろう」 常に故郷を想い、大切な家族を、子を、恋人を、必死に思いながら、遠い戦地で 「アジアの解放(東亜の解放)の為」 「御国の為」 「故郷(愛する家族)を守るため」 「子供たちの将来のため」 に戦って散華されたのです。

その御霊(みたま)が、愛する祖国に戻って眠る場所。

それが、靖國神社なのです。

今を生きる日本人として、やるべきことがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

 

 

Comments are closed.