年表 (昭和)
1926- 旧憲法・昭和時代
昭和元年 | 1926 | 12 | 大正天皇崩御。裕仁親王践祚。 昭和と改元。 | |
昭和二年 | 1927 | 3 | 渡辺銀行などで取り付け騒ぎ。 昭和金融恐慌始まる。 | |
4 | 兵役法公布。 台湾銀行救済緊急勅令案、枢密院で否決。第一次若槻内閣総辞職。 元老西園寺、「憲政の常道」により政友会総裁田中義一を次期首班に奏薦。 田中内閣の高橋是清蔵相、緊急勅令による三週間のモラトリアム発令。 恐慌を沈静化する。 | |||
5 | 第一次山東出兵。 | |||
6 | 憲政会、政友本党と合して立憲民政党結成(浜口雄幸総裁)。 東方会議開催。 | |||
12 | 日本共産党、「27年テーゼ」による再建を模索。 | |||
昭和三年 | 1928 | 2 | 第十六回総選挙 (初の普通選挙。 政友会は鈴木喜三郎内相の選挙干渉で大勝) | |
3 | 三・一五共産党大検挙。 | |||
4 | 第二次山東出兵。 | |||
6 | 関東軍河本大作大佐による張作霖爆殺事件 (満州某重大事件)。 治安維持法改正。 | |||
7 | 全国に特別高等警察 (いわゆる「特高」) 設置。 | |||
11 | 昭和天皇の即位大礼挙行。 | |||
昭和四年 | 1929 | 4 | 四・一六共産党大検挙。 | |
5 | 陸軍若手将校、一夕会を結成。 | |||
6 | 中国国民政府を承認。 | |||
7 | 「満州某重大事件」に関連し、田中義一内閣総辞職。 西園寺元老は「憲政の常道」に従い、民政党総裁浜口雄幸を次期首班に奏薦。 | |||
10 | ニューヨークで株価大暴落。 「世界恐慌」 の発端となる。 犬養毅、政友会総裁に就任。 | |||
11 | 大蔵省、金解禁を断行(井上準之助蔵相)。 | |||
昭和五年 | 1930 | 1 | ロンドン海軍軍縮会議開催。 日本全権は、前蔵相・若槻礼次郎、松平恒雄駐英大使など。 | |
4 | 共産党大検挙。 ロンドン海軍軍縮条約締結(補助艦比率を対米比率69.75%とするかたちで妥結)。 政友会はこの条約を統帥権干犯に当たるとして攻撃 (海軍艦隊派の蠢動に関わらず枢密院は通過する)。 | |||
9 | 橋本欣五郎など、桜会結成。 | |||
11 | 浜口首相、東京駅頭で右翼青年に狙撃される。 | |||
昭和六年 | 1931 | 3 | 桜会の宇垣陸相を担いでのクーデタ未遂事件(三月事件)。 | |
4 | 浜口内閣総辞職。 西園寺元老は「憲政の常道」に従い、民政党後任総裁若槻礼次郎を次期首班に奏薦。 | |||
5 | 閣議は官吏減俸を決定。 | |||
9 | 満州事変突発。柳条湖の満鉄線路爆破に端を発し、南満諸都市を攻略。 政府は満州事変不拡大を声明するも、出先軍部はさらに拡大を押し進める。 | |||
10 | 再び桜会によるクーデタ未遂事件 (十月事件)。 | |||
11 | 清朝の廃帝 (宣統廃帝溥儀) 擁立工作が関東軍参謀間で進む。 溥儀は天津軍の手引きで日本租界を脱出。 | |||
12 | 協力内閣運動に関する閣内不統一が生じ、第二次若槻内閣総辞職。 西園寺元老は苦慮した後に政友会総裁犬養毅を次期首班に奏薦。 犬養内閣の高橋是清蔵相は金輸出再禁止を決定。 | |||
昭和七年 | 1932 | 1 | 桜田門事件。朝鮮人李奉昌、昭和天皇の鹵簿に爆弾を投ずる。 犬養首相は恐懼して辞表を奉呈するが、昭和天皇は優諚によって留任させる。 蒋介石、汪兆銘と合作し、国民政府樹立。 上海事変。 | |
2 | 前蔵相井上準之助、血盟団員によって射殺される。 国際連盟から派遣されたリットン調査団、満州調査に当たる。 | |||
3 | 廃帝溥儀を執政とする満州国創立。 三井合名理事団琢磨、血盟団員によって射殺される。 | |||
5 | 五・一五事件。 首相官邸に闖入した海軍士官ら、犬養首相を射殺(「問答無用!」)。 犬養内閣総辞職。 西園寺元老は後継内閣奏薦に当たり、政党内閣か中間内閣かで非常に苦慮する。 結局、後者をとった西園寺の奏薦により、斎藤実内閣成立。 | |||
7 | ドイツ国会選挙において、ナチス第一党。 社会大衆党結成 (中央執行委員長・安部磯雄)。 | |||
9 | 日満議定書調印。 満州国承認に踏み切る。 | |||
12 | 国民同盟結党 (総裁・安達謙蔵)。 | |||
昭和八年 | 1933 | 1 | ドイツ、ヒトラー (ナチス党党首) が首相に就任。 | |
2 | 関東軍、熱河に侵入。 国際連盟、日本に勧告文を通知。 | |||
3 | 国際連盟に脱退通告文を送付。 「連盟脱退に関する詔書」 渙発。 連盟脱退。 アメリカ、ルーズヴェルト大統領就任。 ドイツ、ヒトラーの独裁始まる。 | |||
4 | 関東軍、山海関を越え華北侵入。 斎藤内閣、高橋是清蔵相の進退問題で動揺する。 | |||
7 | 神兵隊事件。 | |||
昭和九年 | 1934 | 3 | 満州国、溥儀を皇帝として推戴。 軍務局長に永田鉄山少将就任。 | |
4 | 天羽声明 (日本モンロー主義の表明といわれる)。 帝人事件。 | |||
7 | 斎藤内閣、帝人事件で総辞職 (現在では、帝人事件とは政友会久原派による完全な砂上楼閣だったと言われる)。 西園寺元老はさらに中間内閣を維持すべく、岡田啓介を首班に奏薦。 民政党が与党として協力する形となる。 | |||
11 | 若槻礼次郎、民政党総裁を辞任 (以後町田忠治を中心とする総務委員制)。 | |||
12 | ワシントン条約廃棄をアメリカに通告。 | |||
昭和十年 | 1935 | 1 | 国際連盟、日本の南洋委任統治継続を確認。 町田忠治、民政党総裁に就任。 | |
2 | 美濃部達吉貴族院議員の 「天皇機関説」 が問題化する。 国体明徴運動活発化。 | |||
3 | 衆議院、国体明徴決議案可決。 | |||
5 | 内閣調査局設置 (革新官僚 (共産主義勢力) の出城となる)。 | |||
6 | 梅津・何応欣協定 (国民党機関・軍の華北撤退を協定)。 | |||
7 | 土肥原・秦徳純協定 (国民党、チャハル省から撤退)。 真崎教育総監罷免事件。 後任渡辺錠太郎。 | |||
8 | 岡田内閣、国体明徴政府声明。 相沢事件 (永田軍務局長、執務室で刺殺される)。 | |||
9 | 美濃部達吉、貴族院議員辞職。 | |||
11 | 英国経済特使リース・ロスの対中共同借款に外務省反対。 日本軍、華北に冀東防共自治委員会を設立。 高橋是清蔵相、軍部の予算復活要求を退ける。 | |||
昭和十一年 | 1936 | 1 | ロンドン軍縮会議脱退。 | |
2 | 第十九回総選挙。民政党大勝。 二・二六事件勃発 (クーデター。 青年将校は三日間にわたり帝都中枢を武力制圧)。 後藤文夫内相が臨時首相代理となり、岡田首相の生存が確認され、クーデタが鎮圧されると岡田内閣総辞職。 | |||
3 | 西園寺元老は当初近衛文麿を奏薦。 近衛は再三再四固辞し、広田弘毅内閣成立。 | |||
5 | 民政党・斎藤隆夫代議士の「粛軍演説」。 軍部大臣現役武官制復活。 国民同盟・中野正剛代議士、脱党して東方会結成。 | |||
11 | 綏遠事件。 ドイツとの間に日独防共協定締結。 | |||
昭和十二年 | 1937 | 1 | 政友会・浜田国松代議士と寺内寿一陸相の応酬(「腹切り問答」)。 寺内陸相は解散を主張したが、閣内の意見は割れ、広田内閣総辞職。 宇垣一成に大命降下するも、陸軍は軍部大臣現役武官制を楯に陸軍三長官会議で陸相推挙せず。 宇垣内閣流産。 | |
2 | 林銑十郎に大命降下。 民政党与党。 政友会で内訌、鈴木喜三郎総裁引退。 代行委員制となる。 | |||
4 | 第二十回総選挙。 | |||
5 | 内閣調査局改組、企画庁となる。 政友会・民政党、林内閣退陣要求。 林内閣総辞職。 | |||
6 | 西園寺元老、杉山元陸相を推す側近意見を強硬に退けて近衛文麿奏薦。 近衛、挙国一致内閣を組閣。 | |||
7 | 北京郊外盧溝橋で日中両軍が衝突(北支事変勃発)。 政府華北派兵声明。 | |||
8 | 第二次上海事変。 北支事変の名称を「支那事変」に改める。 政府、中国政府断固膺懲を声明。 | |||
9 | 中国国民政府、第二次国共合作。 | |||
10 | 宇垣一成、荒木貞夫、池田成彬らを大臣待遇の参議として入閣。 企画庁と資源局を統合、企画院設置。 | |||
11 | 駐華ドイツ大使トラウトマンによる日中和平斡旋工作。 日独伊三国防共協定締結。 大本営設置。 | |||
12 | パネー号事件 (英国船パネー号を日本軍が誤爆)。 日本軍、南京攻略。 国民政府は武漢に移る。 | |||
昭和十三年 | 1938 | 1 | 厚生省設置 (厚相木戸幸一)。 第一次近衛声明 (「国民政府を対手とせず」)。 | |
3 | 国家総動員法案審議中、軍務課政策班長・佐藤賢了中佐、議員らに向かい「黙れ」と怒号。 社会大衆党・西尾末広代議士、近衛首相をスターリンに比し、衆院議員除名。 ナチス・ドイツ、オーストリア併合。 | |||
4 | 国家総動員法公布。 電力管理法、日本発送電株式会社法成立。 | |||
5 | 近衛内閣改造、宇垣一成外相、池田成彬蔵相・商相、荒木貞夫文相。 | |||
6 | 宇垣・孔祥煕会談。 | |||
7 | 張鼓峰事件 (朝鮮・ロシア国境張鼓峰において日ソ軍衝突)。 宇垣・クレーギー会談。 | |||
9 | 宇垣外相、興亜院設置に反対して辞任。 英仏独伊間にミュンヘン会談。 ドイツのチェッコ領ズデーテン地方併合に関し協定。 | |||
10 | 日本軍、武漢三鎮占領。 | |||
11 | 近衛首相、第二次近衛声明。 国民党・汪兆銘派と日華協議記録に調印。 | |||
12 | 汪兆銘、国民政府を脱出、ハノイへ向かう。 興亜院設置。 | |||
昭和十四年 | 1939 | 1 | 第一次近衛内閣総辞職辞職。内大臣湯浅倉平は、自己の責任において平沼騏一郎を奏薦した。 近衛元首相は枢密院議長に就任。 | |
4 | 政友会分裂。 革新派と正統派に分離し、革新派は中島知久平を総裁に推戴。 | |||
5 | 第一次ノモンハン事件 (日本軍・満州国軍と、モンゴル軍・ソ連軍衝突)。 政友会正統派大会は久原房之助を総裁に選任。 | |||
6 | 日本軍、天津の英仏租界を封鎖。 | |||
7 | 有田・クレーギー会談 (英仏租界の解放を求めてクレーギー英国駐日大使が申し入れ)。 アメリカ、日本に対して六ヶ月の猶予の後に日米通商条約廃棄を通告。 | |||
8 | 第二次ノモンハン事件 (日本・外蒙古軍=ソ連軍、再び衝突。 日本側死傷率七割)。 独ソ不可侵条約締結。 平沼内閣は「欧州の情勢は複雑怪奇」と声明し、退陣。 阿部信行組閣。 | |||
9 | ドイツ軍、ポーランドに侵攻。 英仏、ドイツに宣戦。 第二次世界大戦勃発。 阿部内閣、今次欧州大戦への不介入を声明。 | |||
10 | 価格等統制令。 各種統制諸法公布。 | |||
11 | 野村吉三郎外相、グルー米国駐日大使と国交調整会談開始。 フランス大使に援蒋ルート停止を要求。 | |||
12 | グルー、新通商条約の締結を拒否。 朝鮮総督府、いわゆる「創氏改名」実施。 衆議院、280名が連名して阿部首相の退陣を要求。 閣内は議会解散を巡って紛糾。 | |||
昭和十五年 | 1940 | 1 | 閣内紛糾の末、阿部内閣総辞職。 内大臣を中心とし重臣から意見を微する新形式の下問奉答システム稼働。 米内光政に大命降下。 | |
2 | 民政党・斎藤隆夫代議士、戦争政策を批判して衆議院除名。 | |||
3 | 社大党、斎藤隆夫除名を巡り紛糾。 除名反対派の片山哲らを党籍剥奪。 社大党分裂。安部磯雄党首離党。 議員間で聖戦貫徹同盟結成。 汪兆銘、南京国民政府を樹立。 | |||
4 | ドイツ、デンマーク・ノルウェイを電撃作戦で席巻。 | |||
5 | ドイツ、ベルギー、オランダを降伏させる。 | |||
6 | 湯浅倉平内府辞任、後任に木戸幸一。 近衛文麿、枢密院議長を辞任。新体制運動推進を声明。 イギリス軍、ダンケルクから撤退。 イタリア、英仏に宣戦布告。 ドイツ軍パリを攻略、フランス降伏。 | |||
7 | 社会大衆党解党。 米内内閣、畑俊六陸相辞任、後任陸相を陸軍が推挙せざるため倒壊。 政友会久原派解党。 近衛文麿に大命降下。 第二次近衛内閣発足。 閣議で「基本国策要項」決定。 政友会中島派解党。 | |||
8 | 民政党解党 (衆議院は無党派状態に陥る)。 仏印進駐に関し松岡・アンリ公文交換。 | |||
9 | 日蘭経済交渉開始 (小林一三特使)。 日本軍、北部仏印に上陸。 日独伊三国同盟締結。 | |||
10 | 閑院宮参謀総長辞任、後任杉山元。 大政翼賛会発会式(近衛文麿総裁)。 | |||
11 | 最後の元老・西園寺公望病没。 | |||
12 | 大政翼賛会、臨時中央協力会議開催。 内閣改造、内相に平沼騏一郎、法相に柳川平助(一挙に右翼的色彩がつよまる)。 | |||
昭和十六年 | 1941 | 3 | 企画院事件 (企画院官僚の和田博雄、勝間田清一などが治安維持法違反で検挙)。 | |
4 | ドイツ軍、ユーゴスラヴィア・ギリシアに侵入。 ソ連邦との緊張関係高まる。 松岡洋右外相、モスクワで日ソ中立条約に調印。 アメリカ国務長官コーデル・ハル、日米諒解案を交渉の基礎にすることを野村吉三郎大使に言明。 |
助け合いジャパンより転載