敗戦後の日本③
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終戦後 、「 朝鮮進駐軍 」 武装部隊 が 首相官邸を襲撃
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『 朝鮮進駐軍 』を自称する(※正確な呼称は「在日本朝鮮人連盟」)、在日朝鮮人2,000人による「首相官邸襲撃事件」が、昭和21年に起きたことを知っている日本人は、まずいないでしょう。
約2,000人の在日朝鮮人「 朝鮮進駐軍 」部隊が完全武装して首相官邸に突入。 日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊(MP)に応援を依頼。 そこで米軍憲兵隊と朝鮮進駐軍との間で大銃撃戦闘へと発展し多くの死傷者を出したのです。
昭和20年12月、生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。
同年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件
昭和21年1月3日、富阪警察署襲撃事件
同年5月13日、長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。
これだけにとどまらず、歴史の教科書には一切書かれていませんが、このような悲惨極まりない事件が、在日朝鮮人により次々と数多(あまた)起こされたのです。
戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを 「 戦勝国民である朝鮮進駐軍 」 であると詐称し、3万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し、暴れまくりました。
在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に 『 朝鮮進駐軍 』 と名乗り、無差別に多くの日本人市民を襲い、金品や食べ物を強奪し、土地を奪い、多くの日本人女性を複数の朝鮮人の男たちが代わる代わる強姦し、日本人を身勝手な理由で殺害したのです。
GHQの記録に残っているだけでも、戦後、日本人が4千人以上殺害された記録が残されています。(※記録に残っていない事件の方が多く、一説には1万人近くが無残に惨殺されたともいわれている)
戦後の治安が整っていない空白を良いことに、『 朝鮮進駐軍 』 と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くしたのです。朝鮮進駐軍と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れつづけました。
これら朝鮮進駐軍組織は、「 朝鮮総連(北朝鮮系)」、「民団(韓国系)」、「 暴力団 」(※公安当局の資料によると、構成員のおよそ30%が在日。 任侠を尊ぶ「ヤクザ」から残虐な暴力団組織になったのは、実はここに問題の根がある)、「 街宣車でがなり立てる右翼 」(※公安当局の資料によると、右翼団体の70%以上が在日組織、およそ20%が同和。 任侠を売りとする純国産の右翼は10%にも満たないが、彼らは迷惑な街宣はかけない)などになって、今に至るのです。
特に、在日の右翼は、ところ構わず街宣車でたいへん迷惑な威圧行動を繰り返し、『 国を思う活動 』が、人々に迷惑をかける怖いものだと思わせ、日本人に、『 しっかりとした国を思う心 』が育たないよう画策しているのです。
国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み、治外法権の彼らによって「暴力」をもって「不法占拠」されてしまいました。
その土地には、韓国・朝鮮人経営のパチンコ屋、風俗店、焼肉屋、飲み屋などが出現し、「 一定期間占有(占拠)したら、その土地は占有した人の所有になる 」 という日本の法律に基づき、そのまま彼らの土地として登記され、現在に至っているのです。 敗戦直後の日本では、日本人の所有者は、治外法権を持った韓国・朝鮮人の暴力集団により脅され、暴力を受け、見せしめのために家族もろとも(幼子までもが)虐殺され、土地は強奪されるに任せるしかなかったのです。
その土地には、韓国・朝鮮人経営のパチンコ屋、風俗店、焼肉屋、飲み屋などが出現し、「 一定期間占有(占拠)したら、その土地は占有した人の所有になる 」という日本の法律に基づき、そのまま彼らの土地として登記され、現在に至っているのです。
実は、「 巨額脱税の温床 」とまで揶揄され、(日本本来の法律に照らしたならば)違法なギャンブル・賭博行為であり、様々に問題点を指摘されているパチンコ店の、およそ90%は、在日朝鮮人が経営しており、「ギャンブル産業」で、何千億という巨大な利益を、ほぼ無税で、吸い上げているのです。
農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのも朝鮮人であったのです。
駅前の一等地の土地を奪い取り、戦勝国人として治外法権を悪用し闇商売で財を成した彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織、あるいは右翼へと発展し、ある者たちは日本国籍を取り、政界にまで進んでいったのです。
昭和27年4月28日、GHQは日本占領を終結し、占領政策は終わりを告げました。 その際、日本政府は、朝鮮人の日本国籍を剥奪し、韓国籍・北朝鮮籍として朝鮮に帰るよう帰国事業を日本政府の費用で推進しました。不要の朝鮮学校と民団・総連も廃止を求め、解散を請求したのです。
すると在日韓国・朝鮮人は、なにを履き違えたか、「 我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ 」 と叫びだし、革命を叫んで、公共施設を不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。 警察も拳銃で対抗しましたが、射殺された人も出てしまいました。 警察では対処できなくなり、GHQは軍隊を動員して、戦後初の「 夜間外出禁止令 」(かつての戒厳令)まで敷いて、朝鮮人による暴動を平定したのでした。
日本各地で勃発した、死者まで出した大事件にもかかわらず、日本の歴史教科書には掲載されたことはありません。(※栃木や浅草などは戦場状態にまでなったのです)
逆に朝鮮民族学校の教科書には、差別と弾圧として掲載され教育されています。 もちろん、朝鮮人は被害者側としてであり、立ち上がったのは「 国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する抗議としてである 」と述べています。
昭和25年11月27日、「生活保護と住民税免除」を要求して長田区役所を襲撃する在日朝鮮人集団
日本政府は、このような朝鮮人が起こした様々な暴力事件の歴史を隠ぺいするだけではなく、在日の韓国・北朝鮮人に対しては、「生活保護」も無条件で支給するという愚挙をいまだに行っています。 ( ※ 平成23年度生活保護受給率。 日本人:1.6% 在日朝鮮人:5.5% )
本来、世界各国の法律では、「 生活保護とは、その母国が責任を持って行うもの 」とされ、当然、韓国では、在韓の日本人に対しての生活保護の支給など一切ない。
そればかりか、国の存立に致命傷となりかねない外国人参政権までをも、民主党と社民党は、要求されただけで積極的に与えようとしているのです。
在日外国人に参政権を与えるということは、例えば、日本の国土防衛上、戦略的に重要な地域に、特定のある国の在日外国人が大挙押し寄せ参政権を行使したら、その地域はある特定の国にとって有利となる(日本にとっては不利になる)条例(法律)が施行されてしまうという事態となり、日本の安全保障上から考えて、最も危険な行為なのです。
そればかりか、日本の防衛上もしくは戦略上、重要な拠点付近でも、諸外国のように法律で土地の売買を禁止することなく、平然と外国人(主に中韓)に売り渡すという、愚かとしか言いようのない愚挙を、いまだに平然と行っているのです。
隠され続けた「戦後、在日朝鮮人の真実」が良く分かる動画
https://www.youtube.com/watch?v=OFIf1B-ZKU4&feature=youtu.be
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9