敗戦後の日本②
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韓国・北朝鮮人の残虐行為と「三国人」発言
朝鮮人は、「自分たちは戦勝国人である、日本人は我々にひざまづけ!」とばかりに、GHQより与えられた戦勝国人としての治外法権を悪用し、白昼堂々と物資の強奪を行い闇市で売りさばき巨額の利益を得たばかりか、駅前の一等地に縄を張り、所有権を主張し、本当の持ち主が現れると暴力を用いあるいは殺害し、土地の不法占拠・不法取得まで行ったのです。 (東京の都心ですら駅前の一等地に朝鮮人経営のパチンコ店や風俗店が多い理由は、ここにあります) 戦前まで、ほとんど資産らしいものを持っていなかった彼らが、戦後の短期間に大きな資産を持ち、お金持ちが急増したのには、このような歴史があったからなのです。
この悪逆非道な朝鮮人たちの戦後の悪行を身近に体験した日本人は、朝鮮人に対し次第に嫌悪感を持つようになっていきました。
彼らの多くは、日韓併合するまでは奴隷階級だったため、日本の尽力により身分が回復し、名前まで付けることが出来るようになったにもかかわらず、韓国(朝鮮)ではまともな仕事には就けず、仕事を求め、給料の高さに惹かれ、密航までして自主的に日本に出稼ぎに来ていた朝鮮人であり、強制連行で連れてこられた可哀そうな人たちではなかったのです。
(※日本の学校やNHKテレビでは、これを強制連行と呼ぶ)
職を求め、日本政府公認で正規に来日した朝鮮人たちは、戦後、GHQの命令により帰国事業が進み、多くが帰国の途につきました。
しかし、戦勝国人として日本で何でもできると知った朝鮮人たちが、戦後、大挙して密入国などで来日し、日本に住み着いたのです。
また、朝鮮戦争で祖国の為に戦うことから日本へ逃げてきた、戦争中も朝鮮半島に住み続けていた朝鮮人たちからすると「 卑怯な人間 」たちも、数多くいました。
これが今の 『 在日 』 と呼ばれている人たちの実態なのです。彼らの口癖は、「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにを言うか!」でした。ありとあらゆる非道、残虐行為、違法行為を行って日本人を苛め、苦しめ、白昼堂々と日本人婦女子への強姦までをも平気で行い、暴力を背景に悪徳商売を伸ばしていったのです。(※ 1)
これが、私たちが学校で教わってきた、かわいそうな在日の方々の『真実の姿』なのです。
戦後の日本で、朝鮮人は、国民性として持っている 「 弱き者、立場が下の者に対する残虐性 」 からくる 非道 の限りを尽くし、旧日本軍の武器を強奪し 完全武装 までしていたのです。
ついには、そのあまりのひどさにマッカーサーをして、「 朝鮮人は、戦勝国人にあらず。 第三国人である! 」 と発言させ、アメリカ軍を使っての鎮圧に乗り出したのです。
マスコミが 「 差別用語 」 と批判している 『 三国人 』 とは、実は、差別用語などではなく、マッカーサーが 「 戦勝国人 」 に対して最初に使った、国際法にのっとった用語だったのです。
(※1)この時、あまりの残虐性から来る非道な限りを尽くす朝鮮人から日本人を守るべく、命をかけて立ち上がったのは、「 任侠道 」に生きるヤクザだったのです。 有名なところでは、五日間もの市街戦となり300名以上が死傷した「 浜松事件 」があります。 今では、在日朝鮮人が構成員の多くを占め(およそ30%)、なんでもありの残虐性を持った「暴力団」と呼ばれ恐れられていますが、「任侠道」がしっかりとあったころの日本人のみ構成されていた時代のヤクザは、まさしく任侠の人たちだったのです。
自称『朝鮮進駐軍』の朝鮮総連本部
後に朝鮮総連(北朝鮮)と民団(韓国)に分かれていった。
写真は、朝鮮進駐軍の総本山・在日本朝鮮人総盟中央総本部に日本の警察が家宅捜索に入った際
朝鮮人の妨害(襲撃)が無いよう警護する警官隊。
警棒しかない警察に、在日朝鮮人たちは機関銃や手榴弾で襲いかかった。
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「正しい日本の歴史」 (目次)
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