石原莞爾、お呼びでない!
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第二次世界大戦後、戦犯を裁くために行われた東京裁判では、東条英機元首相(陸軍大将)他7名は、昭和3年より昭和20年まで、世界征服を画策した張本人としてA級戦犯に指定され、東京裁判で死刑の判決を受け絞首刑となりました。
戦後、学校で学んだ世代は「 東条英機は、泥棒より悪い奴!」 と教わり、私たちも学校の先生に「 アジアを侵略すべく、日本を太平洋戦争に引きずり込んだ、とっても恐ろしい陸軍の親玉である 」 と教わり、そんな悪い戦争指導者たち(A級戦犯)が合祀(ごうし)されている靖国神社に参拝してはいけないのだと、私たちは今でも信じています。
しかし、不思議なことに、A級戦犯で刑が確定した人物が25名もいたにもかかわらず、A級戦犯として7人が吊るされたにもかかわらず、ましてや、最も極悪非道な戦争犯罪は『 C級 』( 人道に対する罪 )に規定されている戦争犯罪であるにもかかわらず、C級戦犯の名前は誰も浮かばず、東条英機以外のA級戦犯の名前は分からず、B級戦犯に至っては言わずもがな・・・
A級戦犯 の1人でしかない「 東条英機 」以外の戦犯の名前が、なぜか浮かびません。
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もっと不可思議な話があります
東条英機が陸軍大臣となり、国を動かす立場になったのは、戦争が避けられないようになった昭和15年7月からなのです。
A級戦犯の条件は、昭和3年から、世界征服の共同謀議をした人間たちを裁くことです。
実は、戦犯指定にしてはいけない人物が、東条英機だったのですが、この 「 歴史の真実 」 を知っている日本人は皆無といっていいでしょう。
超弩級のA級戦犯、石原莞爾
もし、学校で学び、テレビで放送され、新聞・雑誌で報道され、私たちが信じ続けてきた日本の歴史が本当に真実であるならば、太平洋戦争の原因となった日中戦争の首謀者、『 満州事変 』 (昭和6年9月18日) を起こした張本人である「石原莞爾 」( いしはらかんじ・最終階級は陸軍中将 )こそ、まさしく「A級戦犯」として絞首刑になるべき極悪非道なるA級戦犯だったのです。
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しかし、皆さんは、ご存知でしたか?
石原莞爾は、『 戦犯 』 の容疑者にすら指定されなかった、という事実を。
起訴どころか、容疑者にすらなれず、逮捕状さえ発行されなかったのです。
部下の土肥原賢二ですら、A級戦犯に指定され、捕まって死刑になっているのに・・・です。
「 事前のGHQによる事情聴取で保身を図ることに成功し、それが認められた 」 と頓珍漢(とんちんかん)なことを平然と言い放つ、歴史学の大家の先生がいらっしゃいました。
果たしてそのような子供だましの理由で、太平洋戦争の最大の原因を作った人間の容疑を、無かったことにするでしょうか?
「 東条英機と対立していたから、GHQの好感を得た 」 (東京大学・京都大学・大阪大学ほか有名大学の教授たち) では、理屈にもなっていません。
「 病気だったから、戦犯指定がされなかった 」 (東大・京大・阪大ほか有名大学の教授たちやウィキペディア)という説が、もっともらしく聞こえています。
しかし、A級戦犯として早急に死刑にしなければならない極悪人を、病気ごときで免除するでしょうか? 現にほかの戦犯は、病気で入院中にもかかわらず、東京裁判に引きずり出されました。
病気で収監できないどころか、退院した石原莞爾は、地元の庄内・鶴岡で療養生活を送っていました。
その鶴岡の警察署まで舎弟に牽かせたリアカーに乗って出向き、「 自分は石原莞爾である!なぜ、自分を戦犯として逮捕しないのか!」 と怒鳴り込みまでしているのです。警察署長は、はたはた困ったでしょう。
ちなにみ、この時リアカーを牽いていた人物は、マス大山、極真空手創始者の大山倍達氏と言われています。
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なぜ、石原莞爾は全く罪に問われなかったのでしょうか?
有名大学の歴史学の偉い教授達ですら、いまだに、このナゾの答えを見いだせずにいます。私たちが「学び信じてきた歴史」に基づいて考察している限り、このナゾは永遠に解けないでしょう。
皆さんは、この本を読み進めることで、大きなヒントを得る事ができるはずです。
鋭い方であれば、答えが見つかるかもしれません。
※満州事変のもう一人の首謀者、石原莞爾の上司であった板垣征四郎(終戦時:陸軍大将)は、A級戦犯に指定され東京裁判で死刑判決を受け、絞首刑となった。
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※満州事変当時、石原莞爾の部下であった土肥原健二 (終戦時:陸軍大将) もまた、A級戦犯として東京裁判で死刑判決を受け、絞首刑となった。
土肥原健二
お勧めの書籍
『 最終戦争論 』 江川達也 著 PHPコミックス
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9