石原莞爾、 お呼びでない!

On 2013年7月22日

 

第2次世界大戦後、戦犯を裁くために行われた東京裁判では、東条英機元首相(陸軍大将)他7名は、昭和3年より昭和20年まで、世界征服を画策した張本人としてA級戦犯に指定され、東京裁判で死刑の判決を受け絞首刑となりました。

 

東條東京裁判での東条英機

 

戦後、学校で学んだ世代は、「東条英機は、泥棒より悪い奴!」と教わり、私たちも学校の先生に、「アジアを侵略すべく、日本を太平洋戦争に引き込んだ、とっても恐ろしい陸軍の親玉である」と教わり、そんな悪い戦争指導者が合祀されている靖国神社に参拝してはいけないのだと、私たちは今でも信じています。

しかし、不思議なことに、A級戦犯で刑が確定した人物が25名もいたにもかかわらず、ましてや、最も極悪非道な戦争犯罪は『C級』(人道に対する罪)に規定されている戦争犯罪であるにもかかわらず、C級戦犯の名前は誰も浮かばず、B級戦犯は言わずもがな・・・A級戦犯の1人でしかない「東条英機」以外の戦犯の名前が、なぜか浮かびません。

 

もっと笑える話があります。

 

東条英機が陸軍大臣となり、国を動かす立場になったのは、戦争が避けられないようになった昭和15年7月からなのです。実は、戦犯指定にしてはいけない人物が、東条英機だったのですが、この「歴史の真実」を知っている日本人は皆無といっていいでしょう。

 

もし、私たちが学校で学び、テレビで放送され、新聞・雑誌で報道され、信じてき続けてきた日本の歴史が本当に真実であるならば、太平洋戦争の原因となった日中戦争の首謀者、『満州事変』(昭和6年9月18日)を起こした張本人である『石原莞爾』(最終階級は陸軍中将)は、まさしくA級戦犯として絞首刑になるべき極悪非道なる戦犯だったのです。

 

石原莞爾石原莞爾(昭和9年)

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しかし、皆さんは、ご存知でしたか?

 

石原莞爾は、『戦犯』の容疑者にすら指定されなかった、という事実を。

起訴どころか、容疑者にすらなれず、逮捕状さえ発行してもらえなかったのです。

部下の土肥原賢二ですら、A級戦犯に指定され、捕まって死刑になっているのに・・・です。

「事前のGHQによる事情聴取で保身を図ることに成功し、それが認められた」と頓珍漢(とんちんかん)なことを平然と言い放つ、歴史学の大家の先生がいらっしゃいました。

果たしてそのような子供だましの理由で、太平洋戦争の最大の原因を作った人間の容疑を、無かったことにするでしょうか?

 

「東条英機と対立していたから、GHQの好感を得た」(東京大学・京都大学・大阪大学ほか有名大学の教授たち)では、理屈にもなっていません。

 

「病気だったから、戦犯指定がされなかった」(東大・京大・阪大ほか有名大学の教授たちやウィキペディア)という説が、もっともらしく聞こえています。

しかし、A級戦犯として早急に死刑にしなければならない極悪人を、病気ごときで免除するでしょうか? 現にほかの戦犯は、病気で入院中にもかかわらず、東京裁判に引きずり出されました。

病気で収監できないどころか、退院した石原莞爾は、地元の庄内・鶴岡で療養生活を送っていました。

その鶴岡の警察署まで舎弟に牽かせたリアカーに乗って出向き、「自分は石原莞爾である!なぜ、自分を戦犯として逮捕しないのか!」と怒鳴り込みまでしているのです。警察署長は、はたはた困ったでしょう。

ちなにみ、この時リアカーを牽いていた人物は、マス大山、極真空手創始者の大山倍達氏と言われています。

 

「なぜ、石原莞爾は全く罪に問われなかったのでしょうか?」

 

有名大学の歴史学の偉い教授達ですら、いまだに、このなぞの答えを見いだせずにいます。私たちが「学び信じてきた歴史」に基づいて考察している限り、この謎は永遠に解けないでしょう。

皆さんは、この本を読み進めることで、大きなヒントを得る事ができるはずです。

鋭い方であれば、答えが見つかるかもしれません。

 

 

※満州事変のもう一人の首謀者、石原莞爾の上司であった板垣征四郎(終戦時:陸軍大将)は、A級戦犯に指定され東京裁判で死刑判決を受け、絞首刑となった。

Itagaki_Seishiro板垣征四郎

※満州事変当時、石原莞爾の部下であった土肥原健二(終戦時:陸軍大将)もまた、A級戦犯として東京裁判で死刑判決を受け、絞首刑となった。

 

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土肥原健二

 

 

 

お勧めの書籍

『最終戦争論』  江川達也 著  PHPコミックス

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