日韓併合の真実⑰
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学校教育
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1904年 ( ※ 日韓併合前 )、伊藤博文が朝鮮統監就任時、韓国には正式な学校はなく、名ばかりの国立(官営)学校が4校あったに過ぎず、学校に通え朝鮮人は、せいぜい数千人程度でしかなかった。
伊藤は、教育の重要性を考えて『普通学校令』を公布し、統監府時代(1904年~1910年)だけでも、日本の資金で100校以上が築造されました。
1910年(明治43年)、日韓併合時における近代教育の学校は、日本の資金で100余校まで増えましたが、その他に「書堂」という儒教の古典と倫理教育を教えるだけの李朝時代からある寺子屋のような施設が見られるだけだった。 両方合わせても、人口のおよそ1%の14万人程度の児童を収容するだけでした。
朝鮮総督府は学校の増設に力を入れ、日本で集めた日本人の税金により義務教育課程の学校を増設。 1936年には公立学校およそ2,500校、1944年には5,213校となり、生徒数は239万8,000人に達したのでした。
総督府は義務教育だけでなく、高等教育にも力を注ぎ、1924年には京城(けいじょう)帝国大学(現・韓国の大学の最高峰であるソウル大学)が創設されました。
日本の大阪帝国大学は、1931年、名古屋帝国大学は1939年と、日本の二つの帝国大学よりも先に韓国の最高学府を作ったのです。いかに、韓国人の高等教育に力を注いでいたか、ご理解いただけるものと思います。
その他、日本は中等以上の教育制度の確立にも多大なる力を注いだのです。
1944年(昭和19年)5月末時点で、日本人が日本の税金で創設した各種学校の数は、
中学校75、高等女学校75、実業学校133、実業補修学校145、師範学校16、専門学校24、 大学予科1、大学(京城大学-現在のソウル大学)1であり、その総計は470校に達しました。
京城高等尋常小学校
京城帝国大学
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また、韓国人の教育向上のため、京城帝国大学の図書館予算は、東京帝国大学の10倍にも上ったのです。
この日本が作った学校制度により、戦後、韓国は教育を受けた人材を多数抱え、発展をみることができました。
当時の日本人にとって韓国人は、欧米列強が取った植民地政策とは全く異なり、植民地ではなく同胞、同じ国の人間として迎え、搾取ではなく、何とか早く一人前の独立国家になるよう援助していた事実が、このひとつをとってもよく分かります。
※欧米列強の植民地では自立させないための『愚民化政策』に基づき、学校を作らず、現地女性を強姦してできた混血児を準支配者階級にして、現地住民を支配させる中間職として使うためだけの(程度の低い)学校だけを作り準支配者として働けるように仕向け、植民地の有色人種たちは奴隷として学校に行かせることなどせず、征服者の為に子供のころから働かせ、搾取し続けてきたのです。
日本の左翼識者たちは、このあまりにも程度の低い植民地学校をもって、「欧米でも植民地に学校を作っていた。 日本だけが作ったわけではない!」 と真剣にのたまい、我々を自虐史観に幻惑するのです。