日韓併合の真実⑫

On 2013年8月2日

 

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日韓併合へ

日本の血を流した必死の努力により、韓国は独立を果たすことができました。

しかし、独立を果たしても大韓帝国には国家運営能力が備わっていませんでした。

腐敗しきった朝鮮王朝の治世下、国土は荒廃し、産業は育たず、人口は減り続け、国民は働くことを半ば放棄し、労働とは懲罰で行われるものであるとしか考えようとせず、役人は特権を享受するだけで、国土は荒廃し、不衛生極まりない環境で疫病が蔓延し治療する薬も病院も無く、慢性的な食糧不足の状態が続き、国に資金はまったく無く、 企業で言うところの倒産状態であったのです。

朝鮮王朝は、それでも享楽にふけり足りなくなった資金を用意するため、国民から強奪。さらに不足分は、日本をだましてロシアに様々な権益を売却し、そのお金でまた享楽にふけるのみでした。

日本がせっかく韓国を独立国家として清に認めさせたにもかかわらず、韓国の物乞い精神はロシアの浸透を招き、ついには日本の喉仏にあたる、対馬の目の前にある朝鮮半島の南端の馬山浦までをもロシアに軍港として売り渡そうとしていたのです。ここがロシア領となり、軍港及び要塞が構築された場合、その目と鼻の先には日本列島があるのです。そればかりか、満州から朝鮮半島の先端までがロシアの勢力圏となり、韓国がロシアの完全な植民地となるのも時間の問題となってしまいました。

世界最強の軍隊を持つロシアの勢力圏に、日本列島に匕首(あいくち)のように突き刺さっている韓国が編入された場合、次の侵略目標は日本。日本の船が日本海を自由に行き来することが出来なくなるばかりか、日本が、馬山浦に軍港を得たロシアの植民地支配を目指した侵略を受けることは、誰の目にも明らかでした。日本は、韓国の独立を守り抜くためロシアとの戦争を決意。明治三七年二月、日露戦争勃発。この戦争に多大なる犠牲を払いながらも日本が勝利したことで、韓国へのロシアによる侵略は完全に回避されたのです。

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当時、日韓合併に関しては、日本と韓国の双方とも、政府、民間問わず賛否両論の議論が交わされていた。

当時、世界の常識では、『帝国主義』が最も正しい国際常識として、「自分たちで自国を治め発展させることのできない遅れた民族は、先進国が支配し治めてあげる」ことが善とされていた。

アジア各国は、その考えに基づきほぼすべての国が白人国家の支配下となり、韓国は残された「治政能力の全くない未開の蛮族の最貧国」として、日露戦争の勝利により、世界5大国に列せられ、名実ともにアジアの盟主となった日本による統治が、欧米列強により強く期待されていた。

しかし、日本の世論では、「日韓合邦は百害あって一利なし」が多勢を占めていたのです。

韓国は、国を衰退させた寄生虫でしかない支配者(特権)階級の両班の多くが合邦に反対していたものの、朝鮮王朝や韓国最大の政治団体の一心会を始めとする韓国における合邦推進諸団体は、韓国の混乱と衰微(すいび)を止める手段として合邦に希望を抱いていた。また、李完用(大韓帝国首相)ら閣僚たちも、衰退を続ける世界最貧国の韓国を救う唯一の手段として、合邦に賛成していたのです。

有色人種で唯一列強国に列せられたとはいえ、まだまだ貧しい日本が世界最強のロシア軍と戦い国力を使い果たし、日本の再興を図らなければならない大切な時期に、世界最貧国の蛮族でしかない、治政すらまともにできず、足手まといにしかならない韓国を併合し、援助する余力などどこにもないことを十分に理解していた日本の重鎮、伊藤博文は、日韓併合に強く反対し、財政が破綻し国土や国民が荒れ果てていようとも何とか韓国人主体で発展させようと尽力を尽くしてきた。

しかし、日露交渉のため訪れたハルピン駅で、韓国人テロリストたちにより暗殺されたことで、「韓国が独立国として成り立つよう育成する」目的の『日韓併合』への最大の障害が取り除かれてしまい、韓国の首相や大臣をはじめとする多くの有力者たちが、こぞって日韓併合を唱え、行動し、多くの韓国人及び欧米列強の強い働きかけに日本が動かされる形で、日韓併合は決定的となり、その1年後、日本の首を絞めることになる日韓併合条約が結ばれてしまったのです。(※1)

 

なお、この日韓併合には、別の戦略的目的(意思)を持ったアメリカ(※支那の植民地利権を狙っていた)が日本を疲弊させる意図を持って、大いに賛成し、日韓併合前から「韓国のあまりの貧しさ、ひどさに、交易の相手にならず」として公使館を引き上げてしまうなど、日本に併合させるべく後押しをしていたことを、見落としてはなりません。

 

当初、韓国最大の政治組織「一進会」は、韓国皇帝(高宗)、首相(李完用)に、日本と韓国の対等な連邦である「韓日合邦」の奏上文を提出しました。一進会とは、日露戦争時に設立され、日本軍への物資輸送等に大きな働きをした韓国最大の政治結社であり多くの韓国人がこぞって参加、日本の勝利に貢献した組織です。 彼らは日韓同盟によってロシアの侵攻を阻止することが、ロシアの大韓帝国に対する影響力を弱め、さらには欧米列強のアジア侵略を防ぎ、朝鮮の復興になると考えていたのです。

しかし彼らは、日韓の間では、余りにも国力・文明がかけ離れていたため 「併合」の道を選びました。 「日韓双方の国力の差・文明の程度の差から『日韓対等合邦』は事実上不可能であり、 『連邦制』では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。 従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、 大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である」としたのです。

朝鮮の専制王朝が最後まで文明開化を拒み、快楽のための過度の浪費で、極貧と飢餓に疲弊する民族を放置していることを見るに見かねて、日本の全面協力を得て民族の再興を期する為、民族の繁栄を希求し、滅亡を事前に防ぎたいという念願から、大韓帝国の首相(李完用)ばかりでなく、大臣たちまでもが、日韓保護条約、日韓併合条約に賛成し、調印したのです。

こうして1910年8月22日、「韓国併合ニ関スル条約」が日本と韓国の間で結ばれ、日韓併合がスタートしたのです。

 

この日韓併合は、日本による侵略による植民地化ではなく、破産状態にあった世界最貧国・韓国側からの強い要請と、欧米列強の思惑、そして日本の国益(ロシアの脅威に対する国防。※真実は、国益に関しては後付け・・・国防であるならば、殖産興業及び教育や医療などに力など注がず、欧米植民地のように人民はそのままに捨て置き、軍隊の駐留と要塞の建設そして兵站の確保で事が足りる)が一致したため結ばれた『条約』に基づくものであり、日韓双方の合意がなされた『併合』(一つの国となること)であることを、日韓両国の歴史教科書では故意に隠している所に、「日帝36年の七奪」などという虚言がはびこる、今に続く問題の根があるのです。

韓国は、資源も農業も産業すら全く無いばかりか不衛生極まりない世界最貧国の1つであり、国民は読み書きすらできず、日本にとって得るものは全く無く、手間だけがかかる植民地にする価値など全く無い国だったことを、私たちはきちんと知っておくべきです。

日韓併合は、アジアの安定化を望む西欧列強からも合意・賛同を得ていました。

何の価値も魅力も無い韓国を、アジアの植民地拡大に血眼になっていた欧米列強は、日本に押し付けたのです

その結果として、平和裏に併合の条約が韓国政府と結ばれ、日本国にの一部となりました。

しかし戦後、アメリカとソ連が朝鮮半島を占領し、占領政策の一環として「反日」を国是とさせるべく、すべての歴史事実は書き換えられ、真実は消され「日本の侵略」となってしまいました。

 

日韓併合前、日本が日露戦争に勝利した2年後の明治40年、留学のため来日した、日本の保護国となっていた
大韓帝国の11歳になる皇太子・垠(ウン)殿下を、日本人は朝野を上げて大歓迎し、明治天皇、皇后も大変に
可愛がられ慈しまれました。
太子大師(皇太子の主任教師)に任命されていた伊藤博文も孫のように垠を慈しみ、安重根に暗殺された後、
垠はよく「伊藤公が生きておられたら」と語っていたと伝えられています。
 
日韓併合後、日本は、朝鮮の皇族、貴族は、日本の華族と同等の処遇をおこないました。
大正5年、成人した垠(ウン)殿下には、昭和天皇の妃候補であった梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)妃が
嫁(とつ)がれた。日本の皇室と同等の地位を与えられていたのである。
植民地にしたのであれば、このような結婚など、絶対に行われない。
いまだに「韓国を植民地にした」と言ってはばからない有名大学の偉い教授達や学校の教科書では、この事実1つ
に関しても、納得のいく説明ができていない。
それだけではなく、併合後、李王家は皇族の一員として高い地位を与えられたのです。
相和20年の敗戦時、総理大臣の年俸が1万円だった時に、李王家の皇族費は120万円と皇室に次ぐ巨費である。
方子妃の生家梨本宮家などはわずか3万8千円に過ぎない。 さらに本国朝鮮に150万坪を越す土地や4千万円
以上の預金を所有していた。
また、日本の朝鮮統治下で、朝鮮人道知事も総数42人おり、侯爵が7人、伯爵④人、子爵20人、男爵36人、
総数69人もの貴族が認められたのです。それだけではなく、大日本帝国議会の国会議員にも、朝鮮人がいました。
果たして、収奪だけを目的とする植民地政策で、このような奇怪な事実があって良いのでしょうか?

 

(※1)日韓の歴史教科書では、伊藤博文は、韓国人・安重根によって暗殺(世界常識:テロ行為)されたとなっており、彼は韓国では国民的英雄となり、毎年、国を挙げての盛大な催しが行われています。テロリストを国の英雄に祭り上げる韓国人の精神構造は、世界常識からすれば異常なのですが、日本人は、マスコミだけでなく国会議員ですら、そのことに言及しないどころか追従しているのです。

しかし、もっと重要な事実が判明しています。

実は、安重根は、伊藤博文を殺しては、いなかったのです。

伊藤博文を射殺した銃は、その弾丸からフランス歩兵銃であることが分かっており、安重根が持っていたブローニングの自動拳銃ではなかったのです。かつ、射角から判断して上方(駅舎2階)から撃たれており、伊藤博文のすぐそばで凶行に走り、その場でロシア官憲に逮捕された安重根では、撃つことが不可能な位置だったのです。

韓国人は、今でも、まったくの別人を国家の英雄として尊敬し、ソウル市には「安重根義士記念館」までもが、1970年に建設され、毎年盛大なセレモニーが行われています。ここからも、国威発揚さえできれば「真実の歴史」などはどうでもよいという、戦後以降、極右勢力が支配し、右傾化している韓国民の心を見て取ることが出来ます。

 

朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」より

日韓併合前の朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べています。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ」

(日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画)

 

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

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