日韓併合の真実⑤
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日韓関係略歴
1876年(明治9年)8月、日朝修好条規を締結し、日本が世界で初めて、朝鮮が清の属国ではなく独立国であることを認めた。
第一款 「 朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める 」
1895年(明治28年)5月、日本の日清戦争勝利に伴う日清講和条約(下関条約)が発効し、その『第一条』に規定された条文 「 清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する 」 により、韓国は清国の属国から独立国となる。
ちなみに、日清戦争の宣戦布告にも朝鮮の清国からの独立が謳われていた。
1897年、国号を支那(中国)に名付けられた朝鮮から、大日本帝国をまねた大韓帝国に改める。
1905年(明治38年)9月、韓国の植民地化を進めていたヨーロッパ最強の軍事力を誇るロシアを、日本は国の存亡をかけ、過大なる戦費を費やし(8年分の国家予算相当額)、多大なる犠牲を払いながらも日露戦争で破り、ロシア勢力を韓国より駆逐し、韓国の独立を守る。
1905年(明治38年)11月、日本は韓国を保護国とする。
1909年(明治42年)10月、韓国併合に反対していた伊藤博文が韓国人テロリストにより暗殺される。
ちなみに、韓国人が熱狂的に支持し毎年国を挙げてのお祭り騒ぎまで巻き起こしているテロリスト・安重根は、伊藤博文を殺しはていない。
※ 銃の種類が違う・・・フランス歩兵銃の弾丸が伊藤博文を射殺した弾丸であり、ブローニングの自動拳銃しか持っていなかった安重根ではムリ。 加えて、上方から発射されており、真横にいて即座に取り押さえられた安重根では撃つことができない位置であった。 さすが、歴史をねつ造することが当たり前の朝鮮人の面目躍如である。
1910年(明治43年)8月、日本は、欧米列強及び韓国の総理大臣をはじめとする多くの韓国人たちの要請を受け、アジア最悪の不安定要因であった韓国を併合。 韓国は日本の一地域となった。 ( ※ 欧米列強が植民地化を進めるために必ず行っていた侵略戦争は、一切行われていない。 かつ、収奪を目的とした植民地ではない・・・当時韓国は、世界最貧国の一つであり、収奪できるものなどなかった )
1945年(昭和20年)8月、日本の敗戦に伴い南半分がアメリカ軍支配となる。(38度線以北はソ連支配)
1948年(昭和23年)8月、大韓民国第一共和国がアメリカにより承認される。
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1948年(昭和23年)9月、独立国家大韓民国として 『 反民族行為処罰法 』 を公布。
日本統治時代、日本の援助を受けることで朝鮮発展に貢献した主要人物は「 親日反民族行為者 」に認定され処罰 (最高刑は死刑) を受け、財産は没収された。 また、日韓併合時代の日本を褒めるような発言をしただけでも親日家とみなされ、処罰の対象となった。
このようにして親日家を根絶やしにすると同時に、教育とマスコミを使って反日感情の拡大を図った。
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クリックすると綺麗に見れます 1890年代 (日韓併合前) のソウル南大門大通り(中心街)
通りに面した藁葺きの建物は商店
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日本併合時代の、ソウル市の街並み(南大門通り) 1920年ごろ
日韓併合時代の、ソウル市の街並み
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日本統治前の、南大門(1897年) 手前の藁葺きの小屋は商店街
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ソウル市民の日常生活 1890年ごろ (日韓併合前)
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1940年、ソウルにあった朝鮮ホテルのサンルーム ( 日韓併合時 )
左端の女性は(韓国人)舞踏家・崔承喜
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治世はまったく行わず、昼間から遊びほうける両班(やんばん)
日韓併合前、大変に貴重な写真を撮影するために部屋の装飾を含め最高に着飾った状態
(※染料すら作る能力のなかった韓国では、白と黒と灰色のみの衣服と家の装飾)
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特権階級の両班が遊びほうけていられるのは、国民の半数以上を占める国民(奴隷)よりの 「 無法極まりない搾取 」 があったからである。
この考え方は、いまだに韓国に染みついている。
歴代大統領が退任後、汚職で捕まるのも、このためである。
正確に歴史を語ると、両班以外は奴隷とさして違わない搾取を受け家畜以下の生活に甘んじていた。
韓国で放映されている 「時代劇」 では、カラフルな衣装をまとったおしゃれな方々が、色彩豊かな屋敷を舞台に、史実とは全く異なった素晴らしい活躍をし、全韓国人と韓流ファンの日本人は、かつての韓国(朝鮮半島)は豊かで美しく素晴らしかったと信じ込んでいますが、実は、特権階級の両班が私利私欲にのみふけり、庶民から強奪することしか考えていなかった李氏朝鮮では、人々は乞食(こじき)以下の家畜のごとき生活しかすることができず、染料すら作ることが出来なかったため、国主である支那(中国)から僅かばかりを頂戴(ちょうだい)するのみであり、支配者階級の両班ですら、無色の白地のみの粗末な衣服しかなかったのです。 (※家も白と黒と灰色のみしか色ができなかった)
いかに韓国人は、誤った歴史認識を本気で信じてきたかがよく分かります。
当時、とても貴重な写真を撮影するために、最高に着飾った状態の両班
両班が乗っている一輪車の正式名称は初弦。 正二品以上の高官たちが乗っていた。 引いているのは奴隷。(※工業力が無い韓国では、丸では無くいびつな車輪を作るのがやっとであった)
李氏朝鮮時代(日本統治前)には、このような奴隷身分が半数を占め、さらにその下に家畜以下の扱いをされる白丁という身分も存在した。日本では奴隷制はとうの昔に廃止されていたが、これは日本が特別であり、アメリカを筆頭に、世界的にこのような奴隷制度はごく最近まで存在した。
日本統治の際に身分制度は禁止されたが、人間の意識がそう簡単に替わるわけもなく、多くの奴隷身分出身者は仕事をさせてもらえない韓国を捨て高給をもらえる日本に職を求めて密航した。彼らが、戦後、強制連行された可哀そうな朝鮮人であると認定されたのである。
ちなみに奴隷には、キーセン(妓生)と呼ばれる売春婦も存在した。
現在、従軍慰安婦と呼ばれる人たちのほとんどは、キーセン出身であり、売春を生業としていた職業売春婦たちであった。
従軍慰安婦の正確な呼称は、従軍ではなく、「追軍慰安婦」(大儲けができるため、軍隊を追っかけて駐屯地のそばに売春宿を開設し、金儲けの為に自主的に売春を行った売春婦たち)だったのである。
日本から金をせびるために、そして韓国国民のナショナリズム高揚と20年以上続く不景気の不満のはけ口を外国(日本)に向けさせるため、日本の大手新聞社の口車に乗って後から作った「従軍慰安婦」などという言葉は、日本の為に命を懸けて(多くの方々が戦闘に巻き込まれ亡くなった)怪我をした軍人の手当をした「従軍看護婦」の方々に大変失礼な呼称なのです。
「 分かっているのか、朝日新聞!」
「分かっているのか、NHK!」
と、私は言いたい。
「分かっていないだろ、民主党、そして、社民党!」とも、絶対に言わなくてはいけない。
推薦図書
日韓併合の真実を知る貴重な第1級の資料です。
桜の花出版 2800円+消費税
アレン・アイルランド 著
欧米の植民地政策に精通しているイギリス人行政学者が分析した「 THE NEW KOREA 」が87年を経た今、全文を日英対訳で刊行されました。
植民地研究の第一人者であるアラン・アイルランドが、日韓併合の16年後、大韓帝国を視察し、彼が見聞した現地外国人や宣教師たちの証言など、他にない決定的な資料となります。
日韓併合の真実の姿が、学術的レベルで明らかになります。
決して難しい内容ではありませんので、ぜひ、貴重な蔵書として購入されることを勧めします。
推薦文より抜粋
日韓併合前の朝鮮では日本と全く異なり女性は奴隷同然で何の権利も与えられていなかった。結婚すれば家屋内奴隷(かおくない どれい)として扱われ、それはあまりにも過酷だった。
それ以下だったのは、奴婢(ぬひ)と言われた全人口の半分以上を占める本物の奴隷たちである。 1871~72年の大飢饉では、奴婢の多くが餓死したが朝鮮を支配していた両班(やんばん)たちは清にも日本にも食糧援助を求めず、奴婢たちの死に行くのを全く歯牙にもかけなかった。
日本には存在しなかったこのような非人道的制度を一気に改善し、想像を絶した朝鮮の近代化を行ったのが、日韓併合の真実である。
その真実の姿は首都京城(ソウル)を東京よりも近代化させてしまった日本人の器の大きさで証明されている。
他の一切の西欧列強が無しえなかった信じがたいこの偉業を日本人は誇るべきであり、朝鮮人は心から感謝しなければならない。
しかし、日韓併合で全権力を奪われた両班たちは第2次世界大戦後この事実を覆い隠し、虚偽の歴史をねつ造し、再び権力の座について現在の韓国に至っている。
蒙古来襲時に蒙古の手先となって日本人を凌辱・虐殺したように、今度は、ロシアの手先となって日本を侵略することが目に見えていた当時の朝鮮に対し取った大日本帝国の日韓併合政策は、結果として韓国に決定的な文明の開化をもたらしたのである。
この客観的な事実を当時もっとも著名な植民地研究家のアレン・アイルランドが克明に分析し日本の統治を西欧列強のいかなる政策よりも優れているとして高い評価を与えれいることは括目(かつもく)に値する。
( 桜の花出版会長 ・山口春嶽 )
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「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9