ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム⑨
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そして日本から戦犯がいなくなった
昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を果たし、主権が国民の手に戻ってきました。
「 自由に発言することが出来るようになった日本国民からは、歴史的事実とは全く異なる、不当な東京裁判とその判決に激しい批判と抗議の渦が巻き起こりました。 戦犯とされた方々の名誉回復が叫ばれ、戦犯釈放は国民運動として盛り上がり、4,000万人( ※ 当時の日本の人口は7,000万人 )もの署名が集まったのです。 戦犯の汚辱を晴らせとの声は、与野党を問わず国会でも沸きあがり、昭和27年12月9日、衆議院本会議で 「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案」 が提出され、昭和28年8月3日、衆議院本会議で少数の労農党を除く超党派の多数会派によって圧倒的多数をもって採択されました。 この結果、戦勝国の一方的な軍事裁判によって有罪判決を受けたすべての人々は、日本の国内法では犯罪者とみなさない法的基準が明確に打ち出されたのです。
昭和28年、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法( 以下援護法という )、遺族に対する援護処置が講じられ、戦犯とされた人々の遺族( およそ1万人が戦犯として処刑された )にも遺族年金や弔慰金が支給されるようになったのです。
援護法や恩給法では、犯罪者は対象になりません。 つまり国が戦犯などいないと認めたわけで、事実、戦犯とされた方にも選挙権が与えられていました。
東条英機以下のいわゆるA級戦犯を始め、戦争裁判で刑死・獄死した者も法律上は,相手国の軍事行動による 「 法務死 」・・・すなわち公務による死亡として扱われています。
そして、いわゆるA級戦犯とされた人々は、昭和31年3月31日までに、いわゆるB・C級戦犯とされた人々は、昭和33年5月30日をもって、連合国側の同意を得て、全員が釈放されたのです。
戦犯など、日本国内にはいません。
60年前に国民の総意で決定された事項なのに、いまだ戦犯の汚名を着せ続け、先人の尊い魂を貶めるマスコミ・知識人と称する人たち。 その間違いをだれも指摘しないばかりか、多くの与野党の政治家も、国民も、何の疑問もなく 「戦犯」 という言葉を使っているのですから、この国は異常としか言いようがありません 」 (『 新 歴史の真実 』 前野徹著より引用、一部加筆 )
国際法により講和条約締結後は軍事裁判の判決が消滅してしまう事実を、それだけでなく、日本国民の総意として 「全戦犯の罪が消滅」 した議決を、そしてサンフランシスコ講和条約第11条に基づき戦勝国の同意を得て特赦を行った史実を、東京裁判をはじめとする各国で行われた軍事裁判で死刑になった方々を軍事行動に伴う『 公務死 』と国会決議で圧倒的多数をもって議決した真実を、なぜか、現代に生きる私たち日本人は消し去ってしまい、日本国内には 「 戦犯は日本にはいないのである 」 という事実を消し去り、アメリカによって作られた罪の意識を心の中で大きく育て、学校とマスコミが徹底して喧伝し、存在する意義を失った東京裁判を、日本人だけは 『自虐史的 』に誤った形で伝えることが 「正義」 となり、後生大事に抱きしめ続けているのです。
戦犯判決は、国際法上、他国が行なう事が出来ませんので、国内での判断・判決が優先されます。
当時の国会決議にて、すべての戦犯と呼ばれる人々の名誉回復宣言が成された以上、講和条約締結前の 「休戦状態」 ( ※ 講和条約を結ぶまでは、大東亜戦争は継続中 ) の最中に行われた 「 敵軍による軍事行動の一環 」 であった東京裁判 ( ※ 単なる敵軍による軍事裁判 ) は、講和条約締結後に行われた国会決議により、アジア各国で行われた軍事裁判を含め、全て無効になったとみるのが正しい国際法規の解釈となります。
「 東京裁判及びアジア各国で行われた軍事裁判で有罪になった人たちは、日本の法律では、全員無罪 」 が議決されたのです。
また、日本の司法当局により告訴された戦犯容疑者は誰一人おりませんので、戦争犯罪人は、日本には誰一人存在していないことが確定されているのです。
よって死刑判決を受け絞首刑となり殺害された人々が、戦争中の敵軍の軍事行動による死亡である 『法務死』 となったことは、国際法上からも、戦争継続中( ※ 休戦中 )の敵軍による殺害行為であり、正しい判断だったのです。
日本が独立後、戦犯が、日本だけでなく、世界で消滅してしまったことを示す事実があります。
A級戦犯として有罪判決を受け禁固7年とされた重光葵は、日本が独立後、刑期を残して赦免され、その後、衆議院議員に3回当選し、昭和29年に鳩山内閣の副首相と外務大臣となり、日ソ国交回復交渉や国連加盟交渉に取り組み、国連加盟も成し遂げた。 昭和31年12月18日、連合国軍組織を引き継いだ国際連合 ( ※ 日本に対する「 敵国条項 」が、今でも存在する )の総会で、重光は演説を行い喝采を浴びたのである。
戦争犯罪人が、国連(敵軍の集団)の場で演説できるのか、それどころか喝さいまで浴びるだろうか?
彼は、公職引退後(死後)、勲一等まで授与されている。 ( ※ 前科のある者に、勲章の授与は無い)
また、戦犯として、終身刑を受けた賀屋興宣は恩赦後、衆議院議員に5回当選し、池田内閣の法務大臣を務め、公職から引退後に叙勲を打診されたが辞退した。
A級戦犯被疑者だった岸信介は、内閣総理大臣にまでなった。(※朝鮮戦争が勃発し、裁判が中止となった。言ってしまえば、その程度の裁判であった)
私たちが 「 戦犯 」 の名の元、悪人と決めつけていた人たちとは、実は、こういった方々だったのです。
いかに戦後の歴史教育が、「 ウソで塗り固められていた 」 のか、少しはご理解いただけましたか?
「正しい日本の歴史」(目次)
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