ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム 東京裁判③

On 2013年8月10日

 

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東京裁判』の正式名称

 

私たちは『 東京裁判 』と覚えてきたから、公正な裁きが行われたと信じ続けてきました。

正式名称を『 極東国際軍事裁判 』と訳したため、日本人の多くは「 国際法の元、悪い国の日本は裁かれたのだ 」と、いまだに信じ続けているのです。

実は、『 極東における、戦争に勝った国々による、敗戦国だけを一方的に自由に裁く、法律なき軍事裁判 』と訳すのが正確なのです。東京裁判とは、私たちが思い描いているような『 裁判 』ではなく、敵軍による、「 軍事行動 」の一環だったのです。

実は、日本が連合国軍と正式に講和(平和)条約を結び、条約が発効したのは昭和27年4月28日であり、それまでは、『 有条件降伏の受諾 』に基づく、「 休戦状態 」だったのです。 これは、もし、連合国側が日本降伏の際交した条件を守っていなければ、日本は再び戦争を行ってもよいと解釈できるのが、ポツダム宣言受諾による降伏なのです。

ですから、裁判ではありえない、中立の立場ではなく、勝った国の人間だけが検事となり裁判官を務めたのです。 例えるなら暴力団の抗争で、勝った方の暴力団が裁判官・検察官となり、負けた暴力団組員を復讐心に燃えて、法律は関係なく一方的に裁くのと、何ら変わりがない状態です。

勝った方は、どのような残虐な行為や違法行為があったとしても(現に、連合国側には多数存在した)、一切裁かれることがないという、まったく裁判とは呼んではいけない、単なるリンチでしかなかったのが、実は、東京裁判の実態だったのです。

11人の裁判官をみれば、一目瞭然です。 本来中立でなければならない裁判官ですら戦勝国人のみで占め、中立国の人間すら入れていないのです。 裁判官、検察官ともに戦勝国人のみであり、バランスを著しく欠いた、裁判とはとても言えない代物となっています。

 

最大の特徴は、根拠となる法律(チャーター)は、戦後、法律などは門外漢のエリート軍人であるマッカーサー元帥により、日本とは全く戦争形態が異なったドイツで行われたニュルンベルク軍事裁判のチャーターを、そのまま流用した、無謀極まりない内容が、「文明」の名の元に公布されました。

また、過去数多の戦争がありましたが、戦勝国が敗戦国を裁いた裁判は存在しません、以降、現在に至るまで、このような戦争犯罪人を裁く裁判が行われたことは、一切ありません。

最も私たちが知らなくてはいけないことは、第2次世界大戦前より、唯一、国際法規(法律)としてあったのが、(ロ)に謳われている、「 民間人の殺害や民間施設の破壊はしてはいけない 」だけだったのです。 (イ)と(ハ)は、戦後に法律としては成り立たない「 事後法 」として、かつ、国際法には全く存在しない内容で作られました。

アメリカ主導で行われた第二次世界大戦でしたので、戦後処理もアメリカの主導で行われ、過去一度も行われたことのない戦争を裁く裁判を、法律が存在しない状態で、アメリカ本国の「日本弱体化命令」により、マッカーサー元帥の決めたルールに基づき裁いたのが東京裁判だったのです。

それだけではなく、被告人は、戦争犯罪の強弱ではなく占領政策に都合の良いように決められ、告訴する前の段階で、マッカーサーにより、すでに判決は決められていました。この事実を諸外国は知っていたから「 茶番劇 」と酷評されているのです。 このような無謀極まりない裁判が、私たちが、素晴らしい国際司法裁判であったと信じ続け、「 批判することは『 裁判を受諾 』したサンフランシスコ講和条約を踏みにじる行為であり戦後の国際関係の否定である!」と、日本の偉い人たちが叫び続けている『 東京裁判 』の実態だったのです。

 

 

東京裁判が行われた背景

 

東京裁判の最も基本となるのは、「 フィリピンで多くの部下を見捨てて逃げるという、あってはならない無様な醜態をさらすことになった 」 原因を作った憎き日本に対し、恨みを晴らすことに燃えていたアメリカの英雄、マッカーサー元帥が信じた、「 今次大戦は日本による侵略戦争であった 」 だけだったのです。

この一点に基づいて、チャーターでは2つの大きな(イ)と(ハ)の罪が、戦争が終結した後に作られ、戦犯が戦勝国とアメリカの日本占領政策の思惑によって選出され、立派な舞台装置を作って、大々的に裁かれたのです。

もう一つの特徴は、日本軍が加害者であるという証拠・証言は証拠確認なしですべてを採用し、偽証罪は一切問わず、弁護人の意見はそのすべてを不採用とした点が挙げられます。

それだけではなく、犯罪者を裁くのが裁判であるにもかかわらず、白人国家(連合国)が400年近くにも渡りアジアで行ってきた侵略戦争や、住民の大虐殺と強姦そして植民地として収奪の限りを尽くしてきた非道なる犯罪行為、アメリカが戦争中、日本に対して行った東京裁判の犯罪容疑のすべてに当てはまる、民間人の計画的大虐殺の共同謀議( 広島と長崎での原爆実験や民間都市への計画的無差別大空襲による民間人の大量虐殺 )の実行や、ソ連が引き起こした、国際条約を踏みにじり領土拡張を目指して満州国や北方四島と樺太で侵略戦争を起こし25万人もの日本人を虐殺しただけでなく、105万の日本人を拉致しシベリア他、ソ連邦の各地へ強制連行し、ソ連発展のための強制労働につかせ、50万人以上を虐待のうえ殺害した犯罪行為などは、一切不問となったのです。

完全な片手落ちの、裁判とは言えない裁判。実際は、二度と日本が白人国家に立ち向かえないよう骨抜きにするため、日本人に 「 かつての日本は悪かった 」 と心の芯にまで刷り込ませる最大のマインドコントロールを行うための劇場、白人国家がアジア諸国に行ってきた植民地政策の苛斂誅求を日本の責任にすり替える手段、そして、単なるマッカーサー元帥の復讐の場だったです。

これが、正しい判決をして下さった(と私たちが信じ続けている)東京裁判の、真実の姿なのです。

 

 

A級戦犯、その真実とは

 

「  靖国神社には、最も悪人であるA級戦犯の東条英機が合祀されているから行ってはいかん!」とよく言われていますが、果たして本当なのでしょうか?

そもそも、A級戦犯とは、なんなのでしょうか?

実は、日本には、極悪人である 『 A級戦犯 』 はいないことを、皆さんはご存じだったでしょうか。

冒頭に挙げたのが、東京裁判における法律(チャーター)の全文なのですが、どこにA級戦犯の記述がありますか?

 

「 実は、ないのです。」

 

ですから、「 A級戦犯である東条英機が合祀された靖国に行ってはいけない 」  というのは、笑止千万な笑い話でしかなく、真っ赤な嘘であり、世界から称賛されてきた「 白人種をはるかに超える高い精神性を持つ日本人 」 の良心の拠り所である、日本独独自の古来より脈々と続く宗教『 神道 』の中核をなす靖国神社を捨てさせるという、「 日本人が国を愛せないダメな国民になるよう仕掛けられたアメリカのワナ 」に、私たちは、完全に引っかかってしまっていたのです。

アメリカの仕掛けた罠があまりにも上手く行きすぎた為、悲しいことに、私たちは、その日本人を貶めるためにGHQがついた『 嘘 』をいまだに信じ続け、日本人としての誇りを失ってしまったのです。

 

それでは、真実の 『 A級戦犯 』 とは、一体なんなのでしょう。

 

実は、冒頭に挙げたチャーターを見ると分かるように、(イ)(ロ)(ハ)だけなのです。

簡単に言えば、法律文書を読みやすくするように、単に区分け記号が付されただけです。日本語では、イ・ロ・ハ。英語だと、A・B・C。これだけの話です。

ちなみに、『A級』などという言葉は、英文の法律にも存在しません。

(A)だから罪が重いというのは、私たちが学校でそう教えられ、テストのために一生懸命覚えさせられ、東京大学や雑誌や新聞やテレビがそう私たちに刷り込み続けた為に、今まで「 思い込んできた虚構 」に過ぎないのです 。悲しいかな、私たちが必死に覚えてきたことは間違いであり、単なる区分け記号でしかなかったのです。

 

 

大川周明の東京裁判感

 

私たち戦後世代はGHQによる検閲に基づいた教育を受けてきたので、大川周明なる人物を知りません。

開戦直後、なぜ日本は大東亜戦争を始めなければならなかったのかという、その目的とそこに至った経緯を国民に対して理論的にかつ実証的にラジオで説明した人物が、大川周明なのです。

大川は日本が明治維新の道義国家から昭和3年の普通選挙制度を経て、汚職にまみれた腐敗政党と官僚そして財閥が利権をあさるような堕落国家に転落したことに憤りをもち、国家改造計画を真剣に考え、1932年、国を思う青年将校(海軍)らによる五・一五事件に連座、逮捕され禁固五年の実刑を受けた経歴を持ちます。

しかし大川は単なる国粋主義者などではなく、英語も達者で広く海外の情報を集め、冷徹に世界情勢を総覧していました。

実は、当時、日本人は新聞とラジオと映画に煽られ気分が高揚して戦争に走ったのではなかったのです。そのような高揚感だけで戦争に走ったとしたら、総力戦を戦い続けることなど不可能です。ましてや「 鬼畜米英 」などの底の浅いスローガンだけで長期の戦争継続など不可能なのです。世界的にも知的レベルが非常に高かった当時の日本人一人ひとりが、論理的に考え、大東亜戦争の大義を理解し支持したからこそ、4年近くにもわたり、おびただしい犠牲者に耐えながら祖国のため大義のために勝利を信じ死力を尽くすことが出来たのです。

残念ながら、戦後教育を受けた私たちは、全く正反対のことを学ばされてしまいました。

戦後、大川周明は、日本人を侵略戦争に思想面から引きずり込んだ扇動者として、A級戦犯指定を受け、巣鴨プリズンに収監され東京裁判で死刑になるはずでしたが、唯一、訴追免除(※裁判途中で精神に異常をきたしたとして入院、その後病状が回復するも、二度と東京裁判に呼ばれることはなかった)されました。彼が喝破した米・英による世界侵略の思惑、大東亜戦争の意義、日本の大東亜共栄圏の正論、そして東京裁判の本質があまりにも正しく、占領軍としては、これ以上、東京裁判に彼を居続けさせることは、GHQの占領政策遂行上リスクが大き過ぎると判断したからだったのでしょう。

その大川周明の「 東京裁判観 」を紹介します。

「 国際軍事裁判は決して正常な訴訟手続きではなく、軍事行動の一種だと考えた。日本の無条件降伏 (※真実は、日本国の有条件降伏に基づく日本軍の無条件降伏。GHQによる洗脳政策の一つとして、私たちは無条件降伏と教わり、今まで信じ続けてきた:筆者注) によって戦争は終止したが、講和条約が調印されるまでは、まさしく戦争状態の継続であり、我々に対する殺生与奪権は完全に占領軍に握られている。わざわざ裁判を開かなくとも、占領軍は思うがままに我々を処分することが出来る。例えば私を殺そうと思えば、Ohkawa shall die (大川は死刑)と言うだけで事足りる。その他に何の手数も文句もいるはずがない。しかるに国際軍事裁判という非常に面倒な手続きをとろうとするのは、そうした方がサーベルや鉄砲を使うよりも、我々を懲らしめる上に一層効果的であると考えたからに他ならない。したがってこの裁判は一種の軍事行動であり、法廷はとりもなおさず戦場である。降伏後の日本に生き残って、今度戦犯容疑者に指名されたことは、いわば最後の召集令状を受けたようなものであり、巣鴨(プリズン)に行くのは戦場に赴くようなものである。出征に際しては、生還を期せぬことが日本人の心意気である。」

(『安楽の門』大川周明全集 第一巻)

 

大川は、東京裁判が連合国の日本に対する復讐するための劇場であり、「日本が、二度とふたたび白人国家に歯向かわないよう、徹底した教育を行うための日本国民への見せしめの場」であることを喝破していたのです。

1946年5月3日、東京・市谷で開かれた極東軍事裁判にA級戦犯として引き立てられた大川は、ウェブ裁判長が開廷の辞を述べ起訴状の朗読に移ったところで、突然、前に座る東条英機のハゲ頭を、何度もペタリと音がするほど強く叩いたのである。 水色のパジャマに下駄履きという異様な風体で出廷し、起訴状朗読の最中も鼻水を垂らしたまま合掌したり、パジャマのボタンをはずして胸をはだけたり、常人とは思えぬ行動をとっていた。 満場の目が彼に注がれていた中での狂態で場内の爆笑を誘ったのである。 ウェブはたまらず、休廷を宣言した。 すると、大川はこれに抗議をするかのように、退廷する裁判官に向かって 「 一場のコメディだ。みんな引き揚げろ 」 と奇声を上げた。

(日米開戦の真実 ~大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く~ 佐藤 優)

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

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