ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム 東京裁判①

On 2013年8月4日

 

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村

応援クリック お願いします!

 

 

最大のイベントは、東京裁判

 

 

「 戦争責任を問われるべきは、日本ではなくルーズベルトである 」

チャールズ・A・ビーアド ( 歴史学者 ・ 元コロンビア大学教授 ) ルーズベルト大統領と第2次世界大戦より

 

 

私たちが、「 日本は間違った戦争をした 」 と信じるようになった最大の原因であり、NHKや毎日新聞・朝日新聞・テレビ朝日系列の番組では、いまだに日本軍がいかに酷いことを行ったかを検証する特集やテレビ番組が流され続け、私たちから日本人であることの誇りを奪い取り、学校やすべてのマスコミ各社も呼応して、日本人に贖罪意識(しょくざいいしき)を高めるべく教育・広報活動を徹底して行い続けている「 最大の根拠 」ともなっている、『 東京裁判 』 の真実の姿とは、いったい、どのようなものだったのでしょうか?

 

「 復讐に燃えていたマッカーサーは、日本を残忍な 「 侵略国家 」 とするために、その証拠として残忍な 「 指導者 」 を作り上げ、そしてそれを実行した残忍な 「 将兵 」 を東京裁判で作り上げた 」   ( 変幻自在 高山正之 )

 

私たち日本人にとっては、天動説がまかり通っていたキリスト教全盛時代のヨーロッパにおける「 地動説 」がごとき話ですが、真実の歴史ではいったいどうだったのでしょうか?

 

東京裁判

東京市ヶ谷『極東軍事裁判所』

東京裁判1

 

 

 

東京裁判、真実の評価

「 東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰すからやめたらよかろう。 なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。 ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島・樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果はない 」
バイロン・プライス ( 米・陸軍法務官 ) ( 1945年12月のニューヨーク・タイムズ紙にて  『 東京裁判の正体 』)

 

「 この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・( なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば )日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うからである 」

C.A.ウィロビー少将( 米・GHQ参謀第二部長:マッカーサー元帥の情報参謀で、GHQでは諜報・保安・検閲( 特にプレスコード )を管轄した。 東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れた東京裁判のレーリング判事(オランダ)に対する言葉。 ベルト・ファン・A・レーリング判事  『  The Tokyo Trial and Beyond  』  より引用 )

 

「 我々が負けていたら、確実に戦犯に問われていただろう 」

 アメリカ空軍カーチス・ルメイ少将 

カーチス・ルメイ少将:無差別爆撃による日本の本土焦土化作戦を発案、指揮し、日本の「木と紙でできた家屋」を効率良く破壊延焼する専用焼夷弾を開発、民間都市への無差別爆撃により50万人以上の民間人を婦女子だけでなく、赤ちゃんに至るまで焼き殺した。 ( 東京裁判の C戦犯 相当 )

東京裁判では、(最も罪が重い)C級の罪に当たるが、先勝国民ゆえ裁かれることはなかった。

昭和39年、日本政府により 「 勲一等旭日大綬章 」 を叙勲。 ここまでの勲章は、現在に至るまで、自衛隊のトップですらもらえていない。

この受勲を画策したのは、小泉元総理の父親、当時の防衛庁長官であった小泉純也。( ※ 1 )

( ※ 勲一等の授与は、日本国憲法(と法律)で天皇親授が規定されているが、昭和天皇は、在位中唯一の憲法違反を犯し、ルメイへの親授を拒否された)

 

「 極東国際軍事裁判所は、裁判所の設立者から法を与えられたのであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁判所ではなかった。パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなかった。 それは、政治権力の道具にすぎなかった 」

W・O・ダグラス( 米・連邦最高裁判所、裁判官 1949年6月27日の意見書  1948年11月、東京裁判被告のアメリカ連邦最高裁判所への再審請求について )

 

「 本能的に私は、全体として裁判をやったこと自体が誤りであったと感じた。 当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ 」

ウイリアム・シーボルト ( GHQ外交局長、対日米国政治顧問 )

 

「 軍事法廷はかく裁いた。だが歴史は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである 」
エドウィン・O・ライシャワー博士 (  米・元駐日アメリカ大使、ハーバード大学教授 『 将軍の裁判 マッカーサーの復讐 』 日本版裏表紙に寄せた文章より  )

 

「 敗戦国であるという点から日本軍の残虐行為が強調されるのでしょうが、純粋に軍事史の具体例として検証した場合、むしろ米軍の方の残虐性が目立つのです 」 

ドイツ軍退役将軍ウーレ・ウエットラー  (  現役時代は北大西洋条約機構(NATO)の作戦本部参謀や戦車部隊司令官を歴任  )

 

「 東京裁判 は、いくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情にかられた、公正ならざる裁判であった 」

ジョセフ・ベリー・キーナン  ( 東京裁判の主席検事。昭和20年11月29日、トルーマン大統領から、日本の戦争犯罪者捜査の法律顧問団団長に任命された )

 

「 国際法に基づく厳密なやり方をあきらめて、特別法廷で蛮行ともいえる見せ物的な公開裁判を行うべきではない 」

  ウィリアム・ウェッブ ( 極東国際軍事法廷(東京裁判)の裁判長 )

東京裁判開始以前の昭和20年6月26日、クイーンズランド州首席判事時代、準備中の東京裁判について、オーストラリア外務省宛ての書簡の中で。 ( 朝日新聞 平成7年2月8日付 )

m

パール判事(  東京裁判の裁判官11人の中で、唯一、国際法の専門家 ) からのメッセージ

 

「 復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。 こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけであって、究極的には後悔をともなうことは必然である 」 ( 東京裁判におけるパール判決文より ) 

 

「 この裁判の一番の被害者は 『 法の真理 』 である。  我々はこの 『 法の真理 』 を奪い返さねばならない 」   昭和27年10月、到着した羽田空港にて記者団に。

 

『 東条英機以下、すべての戦犯に対し、全員無罪 』  ( 東京裁判におけるパール判事の判決文「主文」)

「 わたくしが日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。 わたくしは日本の同情者として判決したのでもなく、またこれを裁いた欧米等の反対者として裁定を下したのでもない。 真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。 それ以上のものでも、それ以下のものでもない。 誤解しないでいただきたい 」 ( 昭和27年10月、帝国ホテルでの歓迎レセプションにて)

 

昭和27年11月、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、『 子孫のため歴史を明確にせよ 』 と次のように述べられた。

 「 1950年のイギリスの国際情報調査局の発表によると、『 東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない 』と書いてある。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって3カ月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。 しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。 他の判事は全部有罪と判定し、わたくし1人が無罪と判定した。 わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。 しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。 おそらく明確にできないのではないか。 だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。 これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。
 要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。 東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。 歴史を明確にする時が来た。 そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。 ・・・ これが諸君の子孫に負うところの義務である。

 私は1928年から45年までの18年間の歴史を2年8ヵ月かかって調べた。 各方面の貴重な資料を集めて研究した。 この中にはおそらく日本人が知らなかった問題もある。

それを私は判決文の中に綴った。

この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが分かるはずだ。

しかるに、日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。

そしてあなた方は、自分らの子弟に

「 日本は犯罪を犯したのだ 」
「 日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ 」と教えている。

満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分研究していただきたい。

日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃(たいはい)に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たる訳にはゆかない。

彼らの戦時宣伝の欺瞞(ぎまん)を払しょくせよ。

誤られた歴史は、書き換えられねばならない 」

 

「 東京裁判の影響は、原子爆弾の被害より甚大だ 」

昭和27年10月、広島原爆慰霊碑の 『 安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから 』 の碑文の翻訳を、パール判事が聞いて。

「 この 『過ちは繰返さぬ 』という過ちは誰の行為をさしているのか。 もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。  それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。  ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。  落した者が責任の所在を明らかにして 『 二度と再びこの過ちは犯さぬ』 というならうなずける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。 その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。 さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である 」

 

 

 

 ( ※ 1 ) 小泉純一郎

 

Koizumi_(cropped)_during_arrival_ceremony_on_South_Lawn_of_White_House

第87・88・89大内閣総理大臣。父親は在日朝鮮人、母親が日本人のハーフといわれている。

テレビを主体にマスコミを上手に使い、敵を作り2者択一を迫る解りやすい政治手法は無知な大衆を熱狂させて一大旋風を巻き起こした。キャッチフレーズは「改革なくして成長なし」―。ワンフレーズ政治で「構造改革」路線をひた走った。

アメリカに言われるままに竹中平蔵と組んで構造改革を行い、その本丸であった郵政民営化を行い、日本の国力を大幅に削いだ確信犯である。

9.11テロの際、アメリカ政府より「原子力発電所が特攻を受けても建物は大丈夫であろう。しかし、全電源喪失になった場合は甚大な被害が予測されるため、非常用電源を原発から離れた安全な場所に確保する」よう重要電が入ったが握りつぶす。その結果、3.11大地震の際、全電源喪失を回復できず、福島第1原発の爆発が起こった。

都知事選の際は、アメリカメジャー(オイル メジャー)の意向をくみ細川元総理よりも目立つ形で「反原発!」を叫び石油やガスの輸入拡大を画策。アメリカの意向に沿った(新しく出た「親日派」の保守)田母神としおを落選させるべく、細川を使って都知事選をかき回し、テレビ討論会のすべてを潰した。(最後の最後で1つだけ細川が番組出演し討論会もどきが放映されたが、まったく討論会の体にはさせなかった) 結果、無名に近い田母神としおは名前と人柄と政策を多くの都民にアピールできず、メジャーになりきれず、落選した。

しかし、すべてのマスコミまでもが「アメリカの意向」を汲んで田母神としおを落選させるべく無視する中、インターネットの力だけで61万票を超える得票を得たことは瞠目に値する。(※この時、特にひどかったのは産経新聞であった)

 

なお、福島第1原発を本当に爆発させた実行犯は、民主党の管 直人。(当時総理大臣)

「逃げるのだけはうまかった!」と揶揄(やゆ)されるかつての左翼戦士は、自衛隊に活躍させたくなかったのか反原発運動を引きずっていたのか、全電源喪失後、大型発電機と特殊配管を自衛隊の大型輸送ヘリで運搬させることを拒否。冷却水の循環をストップさせ続けて水蒸気爆発させたことは、原子力専門家の間では有名な話。

菅

 

 

お奨めのサイト

小泉純一郎の真実

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/cd338f29b568998ef98d1b54148f711c

 

拉致問題に衝撃の真実!青山繁晴が暴露する、小泉純一郎が北朝鮮との交わした驚愕の密約とは…

https://www.youtube.com/watch?v=JnnLvyFHFbw

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

Comments are closed.