インドネシア侵攻の真実

On 2013年6月4日

 

 

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「350年続いた軍事力を背景にしたオランダによる植民地支配を、わずか9日間の戦いで終わらせた日本陸軍。インドネシアの独立国作りは、ここから始まった」

 

 

オランダによる植民地政策

 

インドネシアは資源が豊かで、西欧人は 「エメラルドの首飾り」 と呼んでいた。

 

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Nederlandsindieオランダ領インドネシアの領域

1596年、オランダはヨーロッパが欲しがっていた香辛料 (※ 肉の臭みを消してくれる:大変な高値で売れ、銀と同じ価値を持っていた) の最大生産地インドネシアに艦隊を派遣。

1602年、インドネシアを侵略、香辛料を独占し、以来、東インド会社を拠点に収奪を繰り返した。
面積にしてインドネシア60分の1の小国オランダが、その後、350年間もインドネシアを植民地にして搾取を続けた

その政策は苛酷を極め、軍事力(暴力)を背景にインドネシア人の土地を次々に奪い、田畑を香辛料や砂糖・コーヒーの畑に代えさせプランテーション<奴隷農場>で作らせた。 インドネシア人の主食となる米はタイから輸入、他の農作物も作ることを許されず、オランダ人に逆らうと食糧が手に入らない仕組みを構築。 

多くの餓死者を出させながら、タダ同然で子供のころから「オランダ人の優雅で快適な生活を支える奴隷」としてこき使い続けたのです。

これら無法なオランダ支配に対しインドネシア人による独立闘争は何度となく起こされたが、力のないインドネシア人たちはすぐに制圧され、多くのインドネシア人たちが(女・子供に至るまで)見せしめの拷問や虐殺にあった。

 

オランダがインドネシアで行った植民地政策の特徴を挙げれば、次の諸点である。

1・ オランダの安全と利益に関係のない限り放任して、人民を文盲のままにして置き、各地の土候(サルタン)を使って、間接統治したこと。 つまり、徹底した愚民化政策を敷いた。


2・ 才智にたけたアンボン人とミナハサ人とバタック人を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官や軍人として登用した。そして、気に入った女を見つけると野獣のごとき性欲を満たすために強姦、結果生まれてきたオランダとインドネシアの混血児を中間支配階級として使い、民族の分断を策した。


3・ 社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア国民の憤慨と憎悪は華僑に集まるように仕向けて、オランダ人はいい子になり通した。


4・ オランダ人は、立地条件が好くて、高燥で風景のすぐれた地域に、堂々たる別荘街を設けて、現地人の住居を寄せつけず、オランダ人を現地人の及びもつかない高等な人種と思わせ、抵抗をあきらめさせるように仕向けた。


5・ インドネシア人の団結を恐れ、一切の集会や団体行動を禁止した。 3人のインドネシア人が路上で立ち話することすら、許さなかった。禁を犯せば、反乱罪で処罰した。


6・ オランダはインドネシア国民の統一を阻止すべく、全国各地域で用いられていた320の種族語をそのままにして、一つの標準語にまとめようとする企ては絶対に許さなかった。

こうしたインドネシアからの徹底した搾取により、小国オランダは大いに栄えたのである。

 

 

独立までの略歴

昭和16年8月、オランダは300年に渡る友好的な日蘭貿易の歴史を踏みにじり、日本の生命線である石油をオランダの植民地であるインドネシアから輸出することを止めた。(ABCD包囲網)

白人国家の仲間であるアメリカとイギリスの甘言に乗って、友好関係を続けてきた日本を裏切ったのである。

昭和16年12月8日、日本政府は米英との戦争を起こすも、友好の歴史が長いオランダとは、平和の裡(うち)に原油の輸入を再開すべく、交渉努力を重ねた。

しかし、オランダは、有色人種でしかない日本と戦争になっても勝てると確信しており、最終的に交渉を拒否。

日本に対して宣戦布告を行った。

日本は、オランダ領インドネシアからの石油資源の輸入は、かなわぬ夢となった。

昭和17年3月1日、オランダにより一方的に止められた石油資源確保を目指し、今村均中将率いる陸軍の主力第16軍5万5千はオランダ領インドネシアに上陸。 わずか9日間の戦闘でインドネシア全域のオランダ軍を主力とする、イギリス、アメリカ、オーストラリアの連合軍9万8千を降伏させた。

それまで350年もの長期にわたったオランダのインドネシア支配を、わずか9日間の戦いで、日本軍は撃ち破ったのである。

 

インドネシア12

ジャワ島を進撃する日本陸軍

 

この時、私たち戦後世代では理解ができない、とても不思議な現象と遭遇したことに気づかれましたか?

 私たちは、「日本軍がアジア侵略をし、アジア人と戦争し、アジアの人々に多大なる苦痛を与えた」と学校で学び、テレビが放送し、国会議員たちがひたすら謝罪し、新聞や雑誌や参考書には、日本軍のアジア侵略が書き継がれてきました。

もし、私たちが信じ続けてきたアジア侵略の歴史が正しいのであれば、日本軍の相手となるのは、インドネシア軍に所属するインドネシア人でなければなりません。

しかし、日本軍と戦ったのは、なっ、なっ、なんと! インドネシア人ではなく、オランダ人であり、アメリカやオーストラリアに住む白人たちだったのです。

 

「一体これは、どうしたことでしょう!?」

 

「白人種たちは、インドネシア人の為に、彼らに代わって、命を投げ出す覚悟で日本軍と戦った」のでしょうか?

 

私たちが学んできた歴史では説明ができない真実の姿が、この本を読み続けることで、明らかになっていきます・・・

オランダ軍を打ち破った日本陸軍・今村大将は直ちに軍政を敷き、それまで抑圧されていたインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、投獄されていたインドネシア独立運動の指導者たちの釈放、法制度、オランダの愚民化政策で行われていなかった教育制度、イスラム教の制限の撤廃、オランダにより禁止されていた民族共通語としての母国語(インドネシア語)教育、誇りを取り戻すために歴史教育の開始ほか、病院や道路、上水道設備、学校、工場などの様々なインフラ整備を進めたのです。

 

 インドネシア3インドネシアの人々から大歓迎を受けた今村均中将(最終階級大将)

 

 

インドネシア語を公用語にすることで、多言語社会で国家としての統一が取れず、オランダ植民地支配が続き搾取され続けてきたインドネシア人を、団結させることに成功したのである。
そして、インドネシア人指揮官が率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織させ、日本軍政下ではあったものの、インドネシア人がこれまでのオランダ統治下では決して得ることのできなかった権限を与え、軍事教練を行った。終戦までのわずか3年半の日本軍による統治だったが、インドネシア人に教育を施すことにより、自信と誇りと「祖国独立の実現への夢」を与えたのである。

(※ 白人侵略者たちは、何よりも反乱を恐れ、侵略した先の人間たちに軍隊どころが武器などは一切持たせない )

 

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日本の敗戦後、昭和20年8月17日、初代大統領に就任したスカルノは独立を宣言した。

 

インドネシア4独立宣言を読み上げるスカルノ大統領

ところが、日本軍に駆逐されたオランダは9月下旬、「インドネシア人は極めて従順な支配しやすい種族である。日本軍が降伏してしまった現在、我々が上陸すれば、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」 と考え、インドネシアの独立宣言を無視してイギリス軍とともに、再度インドネシアを 『 侵略 』 すべくスラバヤに上陸した。
しかし、インドネシア軍はもはや従順ではなかった。日本軍によって訓練され、日本が降伏した後、日本軍が命がけで横流しをしてくれた武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍はたちまち一個師団が全滅してしまう。

 

インドネシア独立戦争には、旧日本軍兵士 およそ2,000~3,000名が、己の良心、生き様、そして 武士道精神 に基づき、本国の命令を無視、脱走兵の汚名を着ることで故郷に残した家族が肩身の狭い思いをする苦悩をも乗り越え、インドネシア独立のために、命を懸けてペタの中心となって戦ったのである。
スラバヤの市街地を占領するのに100日間も費やしたイギリスは軍事制圧を断念、和平交渉に転じ、1946年11月12日、インドネシア・オランダ間で暫定的な停戦協定が成立するや軍隊を撤退させた。

しかし、スラバヤでの 『侵略戦争』 で、市街地を灰にし、約2万人ものインドネシア人を殺害したことに対してイギリスは、何ら謝罪も補償もしなかったのである。

 

イギリス軍は撤退したが、オランダはインドネシアの再植民地化をあきらめなかった。

1947年1月24日、オランダは再びインドネシアに対して軍事行動をしかけた。

このころ、東京裁判 では、戦勝国の一員としてイギリス・オランダの両国は、インドネシア独立を支援した日本の指導者を 『 侵略戦争 』 を行った罪で裁いていた。
オランダ軍は戦車、飛行機、重機関銃など近代装備の部隊約10万人。 インドネシア共和国軍は兵員こそ200万人だったが、武器は日本軍より秘密裡に渡された小銃4万丁と数百の野砲、トラック、弾薬、軍刀ぐらいで、大半の兵士は竹槍を手に立ち向かった。

 

インドネシア5

 

 

しかし、日本軍に学び鍛えられた彼らは、昔の彼らではなかった。

 

ここからインドネシアの独立を守るための、侵略者『オランダ軍』との壮絶な戦いが始まったのである。 4年半にもわたる 『オランダ侵略軍』 との戦争で、インドネシア側が払った犠牲は婦女子も含め死者だけで80万人、負傷者は1,000万人を超え、無差別爆撃で失われた財産・家屋の被害額はとても算出できる額ではなかった。

ところが和平交渉では、オランダはインドネシアの犠牲者に謝罪するどころが、驚くべき要求をインドネシア側に突きつけた。

インドネシアが受けた被害を補償するどころか、「オランダの戦費」、「インドネシア政府のオランダ人官吏の恩給」、「オランダ人所有の不動産の権利を認めること」、「北スマトラの油田の開発費を払うこと」などまで要求したのである。

インドネシアは独立を認めてもらうため、この理不尽極まりないオランダの要求を、泣く泣く飲まざるを得なかった。そして完全独立を達成し、オランダによる再侵略の心配がなくなった1963年、ようやく、それらオランダの 「理不尽な要求」 を世界に向かって否認した。

 

当時のインドネシア外相であったアブドルガニー氏は、江崎道朗氏のインタビューにこう答えている。
「我々はようやく力がついてから全世界の見ているところでオランダとの約束を全部破り捨てた。つまり 植民地主義 と戦うには力がないと勝てない。オランダと戦う力、つまり 軍事能力 を戦時中、日本 が与えてくれたおかげで我々は 独立 することができた」

 

これが、『 東京裁判 』 で裁判官となり、「日本の侵略戦争」 を裁いてきたイギリス、オランダという白人国家の真実の姿なのである。 ちなみに、すべての白人国家は、植民地で行った、侵略、拷問、虐殺、略奪、強奪、強姦、輪姦に関して、何ら謝罪や賠償は行ってはいない。 

日本だけがこれらの白人国家から非難を浴び続け、いまだに謝り続けているのです。

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オランダ人の残虐性

白人の中でも特にオランダは酷かった。

戦時中、日本軍がインドネシアをわずか9日間で落とすと、すぐに降伏して「第1次大戦の時に日本人が優遇したドイツ人捕虜のように大切にしろ」と要求しました。

要求の通り日本人はオランダ捕虜の面倒を見てあげたにも拘らず、戦後、自分たちが日本軍の前にわずか9日間で降伏したふがいなさを隠すため、「残忍な処遇を受けた」とデタラメを言って日本人に対してB・C級戦犯裁判をおこない、連合軍の中で最多の226名もの日本人を処刑しただけでなく、

拘留中の日本兵を天井から吊るして人間サンドバッグにして何人も、なぶり殺した。

これが、日本人が 「正義の裁判」 と信じて疑わない東京裁判の判事を引き受けた国のやっていたことなのである。

これは日本人としてよく覚えておくべき事実です。


 インドネシア11

 

 

インドネシア人は日本をどう思っているのか?

戦後、多くのインドネシア人は、日本により教育を受けることが出来たこと。日露戦争で世界最強の軍事力を持った白人国家のロシアに日本が勝利したことと。日本軍がわずか9日間でオランダ軍 (白人)を殲滅(せんめつ)したことで「有色人種でも白人に勝てるのだ」という自信を得たこと。そして多くの日本兵の犠牲があって独立できたことに、大きな感謝の心を日本に持ち続けている。

独立戦争で命を落とした元日本兵は、1,000名を超えた。彼らはジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめとする各地の英雄墓地に葬られた。戦後、生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられ、亡くなった時は国葬となり、儀仗兵(ぎじょうへい)に担がれて英雄墓地に埋葬される。

また、インドネシアの独立記念日には、男女2人に皇軍の扮装をした1人を加えた計3人で、国旗を掲揚しているのです。

ちちなみに「インドネシア独立」のことを”ムルデカ17805”と言う。

ムルデカは、独立と言う意味です。

178は、8月17日を表します。

では1945年なのに、なぜ05なのか?

それは西暦ではなく、日本古来からの暦である紀元節(皇紀2605年)によって表されているからなのです。

昭和33年、訪日したスカルノ大統領は日本へ感謝の意を表し、特に、独立戦争で大きく貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。

また、スカルノ大統領が最も尊敬し敬愛している人物の一人に、日本陸軍 今村均(ひとし)大将がいたことを知っている日本人は、極わずかしかいない。戦後、今村大将がインドネシアに行けば、国を挙げての国賓待遇であった。そのご子息がインドネシアに渡るだけでも、国を挙げての大歓迎となったほどなのに・・・である。

これらの事実を、政府もマスコミも、学校教育の現場でも、日本を悪く言うことで快感を覚える日本のエリートたちによって創られた 『 日本の 自虐史 の歴史 』 を教える都合上、隠し続けたのである。

 

一切学校では教えず、テレビをはじめとするマスコミが黙殺する 『 日本陸軍の真実の姿 』 が、「インドネシア独立の歴史」 の中にもあるのです。

 

 

インドネシア9インドネシア独立軍旗

 

インドネシア公人の日本に対する発言

 

インドネシア スカルノ元大統領の発言

「我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである」

 

モハメッド・ナチール元首相の発言

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」

 

アラムシャ元第3副首相の発言

「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」

 

インドネシアタイムスのジャマル・アリ会長の発言

「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない」

 

インドネシア ユドヨノ大統領の発言

「国のため戦った兵士のために参拝を行うのは当然だ」

 

インドネシア 元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍の発言

「今、インドネシアでもその他の国でも、大東亜戦争で日本の憲兵が弾圧したとか、労務者を酷使したなどと言っているが、そんなことは小さなことだ。 いかなる戦場でも起こり得るし、何千年前もそうだったし、今後もそうだ。日本軍がやった最も大きな貢献は、我々の独立心をかきたててくれたことだ。 日本人はインドネシア人と同じように苦労し、同じように汗を流し”独立とは何か”を教えてくれた。 これはいかに感謝しても感謝しすぎることはない。このことはペタ(日本軍が育成した祖国防衛義勇軍)の訓練を受けたものは、一様に感じていることだ。 特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍約千人(※一説には3千人以上:筆者注)帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと闘い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえて殊勲賞を送っているが、それだけで済むものではない」

 

ブン・トモ元情報相の発言

「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった」(昭和32年の来日の際の発言)

 

サンパス将軍(元復員軍人省長官、東欧大使を歴任)

平成3年、村山首相(旧社会党:現民主党と社民党)がASEAN諸国を謝罪して回った時、インドネシアの東欧大使を歴任したサンバス将軍は、

「日 本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。  そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。  村山首相は日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。  かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である 」

と、嘆いていた。 (『(中島慎三郎「アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論」『祖国と青年』1994年2月号)

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インドネシア6村山富市元首相

 

 

インドネシアの「中学3年用の歴史教科書」より引用

「 日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。

第1に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。 

第2に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。

第3に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた 」

 

 

インドネシア、市井の人々の証言

 

 

1922年生まれ、R・H・M・ハッサン・ラハヤさんの体験

インドネシア7

 

 私は、大東亜戦争中、日本の軍政監部の指導の下で色々なことを学ばせて頂き、さらには、日本に留学までさせて頂きました。それによって、私は成長させて頂き、人生が拡がっていきました。ですから、私は日本に大変感謝しています。・・・
歴史上初めてアジア人が白人に勝ったという1904~5年の日露戦争のことについては高等師範学校時代に本を読んで知りました。私は歴史が好きでしたから、ジャカルタの高等師範学校に入った後に、そういう日本についてのことを知るようになりました。
インドネシアではオランダがそういう情報をストップしていて、自分たちに都合のよいことばかりを流していました。それでも私たちは、アジア人で一番初めに白人を負かしたのは日本だということを知ったのでした。・・・
真珠湾攻撃の翌年、1942年1月に日本はオランダに宣戦布告をしました。香港を取り、フィリピンを取り、それからマレーシアを取り、そして、いよいよインドネシアにも上陸する、ということになりました。・・・
私たちは非常に希望を持っていました。日本がオランダを追い出し、インドネシアを解放してくれるという期待が日ごとに現実味を増してきたからです。どうしてもオランダ人を追い出さなければいけない、というのが私たちの気持ちでした。特にイスラム教徒はそうでした。

日本が攻めてくるということは本当に有り難かったです。日本人によってオランダ人が追い出されるのですから、私たちは大喜びしました。
日本軍はジャカルタを占領すると、オランダ軍司令部のあるバンドゥンに向い、1942年3月9日にインドネシアのオランダ軍は日本軍に降参したのです。それはたった一週間のことでした。「350年もの間インドネシアを支配していたオランダが、たった一週間で降参」したというのは本当に信じられないことで、私たちはなかなか理解出来ませんでした。日本人、つまり私たちと同じアジア人が白人を大東亜から追い出すことが出来たのは、正に大勝利でした。私たちは日本国民に大変感謝しました。また、それは神様の恵みでもあると理解していました。
インドネシアから日本によってオランダが追い出され、インドネシアが独立するということは神様の恵みなのです。・・・・
その部隊は二週間ぐらい村に駐屯していましたが、その間に、私は兵隊さんたちと色々と話をしました。彼らはみな優しくて、私の家へ遊びに来るようになりました。・・・私の母は朝から晩まで一生懸命に色々なお菓子を作ったり、ナシゴレン(インドネシア風チャーハン)などを作って食べさせていました。兵隊さんたちは母のことを「お母さん」と呼んで、家にやって来ては「お母さん、ライスを作って下さい」などと頼み、母が張り切って作っていました。・・・また兵隊さんたちは律儀にそのお礼にお金を払おうとするのでした。私は「ノー、ノー、いらない、いらない」と言うのですが、みなきちんと払っていました。

 

1919年生まれのM・ユスフ・ロノディプロ氏の体験

インドネシア8

 

 オランダによってインドネシアは17世紀以来、350年も占領されていました。オランダの統治時代の生活は酷いものでした。というのは、オランダがこの地に来たのは、この国で生産されたものをヨーロッパに持っていくためだったからです。それが、植民地主義の始まりでした。・・・今私が住んでいるのはジャカルタ市の中心地ですが、オランダ時代は、インドネシア人は住むことが出来ない地区でした。・・・
殆どの人々には教育の機会がなく、読み書きが出来ない子供たちも沢山いました。・・・それは「インドネシア人を無知蒙昧のままにしておく」というオランダ政策の一つだったのでした。オランダ人は原住民であるインドネシア人に対して、はっきりと下等階級という扱いをしていました。・・・・小さい頃の私をもっと傷つけたのは、町の中心地にあったスイミング・プールでした。プールの入り口には大きな看板があり、「犬とインドネシア人の立ち入り禁止」と書かれていました。・・・

第2次世界大戦前、アジアのほとんどの国は白人たちの植民地となっていました。それを、日本が白人たちと戦うことによって解放したということは間違いのない真実です。
それは始まりからそうだったのです。つまり、それは1904年の日露戦争からでした。私は第2次世界大戦前から、日本がロシアに勝ったことを知っていました。そして、日本の発展していく様を見てきました。
当時私は、日本はアジアを代表する国だと思いました。日本のお陰で、白人だけが強いのではない、私たちもまた強くなれるのだと思うことが出来たのです。日本の日露戦争の勝利は私たちを非常に勇気付けたのです。
日本は、当時アジアで唯一白人と対等だった国でした。私たちインドネシア人はきちんとした教育も受けられず、何の権利もなく、白人に対して自分たちは劣っていると考えていました。自分たちが白人と対等になれるとは思っていませんでした。
そしてまた、日本以外の一体誰が、アメリカを攻撃しようなどと思ったでしょうか。それを実行したのは唯一日本でした。「日本だけが、アジアを支配し続ける白人に立ち向かっていったのです。」・・・・
日本がインドネシア人に行った訓練は非常に重要なものでした。それは肉体的に鍛えただけではなく、インドネシア人を精神的にも鍛えたのです。そして私たちは大きな成長を遂げました。・・・
もし日本がいなければインドネシアの独立までには、さらに百年かかっていたかも知れません。それを、日本はたったの3年半に縮めたのです。

 

 

日本に占領されたのは幸運だった

  インドネシアが日本に占領されたことは、私たちにとって幸運でした。さもなければ、インドネシアの独立運動は遅れていたことでしょう。日本の占領が無かったとしても、おそらく独立はできたと思います。しかし、果たしてどれくらいそれが遅れていたか、私にはわかりません。

それゆえに、私は日本軍に感謝しています。もちろん彼らがインドネシア人に対して荒々しく粗暴だったことも事実ですが。

軍事訓練においても、何かミスをすればすぐに殴られました。ただ、戦場において何かミスをすれば、それは死につながります。だから、そのように厳しかったのでしょう。

そして私たちインドネシア人は、日本軍の占領時代の厳しい訓練を通じて、戦う精神を得ることが出来ました。戦争前のオランダ時代は、私たちは支配者であるオランダ人の言うことに、ただ「イエス。イエス」としか言えませんでした。しかし今、私たちは「ノー」ということが出来ます。

なぜならば、私たちには誇りがあるからです。

(スリオ・ウィリオハディプトロ 元インドネシア国軍大将)

 

作者 :  桜の花出版編集部 出版社 :  桜の花出版

「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」より引用

 

「日本が侵略し大変な被害を与えた」と言われている、東南アジアにあるインドネシアの方々の証言です。これが、「日本が侵略した」と私たちが学び信じてきた国々での、真実の姿なのです。

 

 

平成6年、村山富一首相(旧社会党、民主党と社民党に分裂)は、東南アジア歴訪で謝罪を繰り返していることに対し、 マレーシアのマハティール首相から 「日本は謝罪外交を止め、アジアが平和と繁栄のためにリーダーシップを取るべきだ」 と諭されました。

 

 

 

お勧めの書籍

「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」 桜の花出版編集部

本2

 

 

「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」 佐藤 守 著     青林堂

ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神   水間 政憲 著    PHP

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必読の書籍

祖国愛 今村均 甲陽書房

インドネシア13 この稿は、終戦直後、進駐軍が、大和民族の精神弱化を強行した時期、それまで不遇の地位にあった人々が、これに便乗し、祖国の伝統と歴史とが、いかにもつまらぬものであったかのような文や言説を、盛んに致したことに憤慨し、執筆したものであった。
 今日に至っては、米・英および多くの国が、逆に日本民族の優秀性をしきりに説きはじめているのに、なおわが国のいわゆる進歩的文化人は、あらゆる手段、特に教育において青少年に対し、祖国を軽視せしめるような行為や論説をつづけてやまない。
(以下省略)
昭和四十二年六月 今村 均

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お勧めのインターネット情報

KAZUYA  チャンネル 

https://www.youtube.com/watch?v=Bfua7nvXqhQ&list=TLtuI2iXbVA8kyMDExMjAxNQ&index=4

 

アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】(動画)

http://www.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4&feature=endscreen&NR=1

 

インドネシア独立記念パレード

http://www.youtube.com/watch?v=ElAoXeGmj2k

 動画では、パレードの前日祭に集まったインドネシアの人々が、日本の歌である『愛国行進曲』、『愛国の花』、『太平洋行進曲』などを皆で楽しげに歌う様子が捉えられている。みな一様に明るく楽しげに、まるで昔を懐かしみ愛おしむかのように、声をそろえて日本のメロディを口ずさんでいる。日本の国旗(日章旗)も見える。

戦後の自虐史観を植え付けられた日本ではもう二度と見られない、そして日本のマスコミでは絶対に取り上げられない、身を挺してインドネシア独立を導いた日本への思いが、この動画にはありありと映し出されている。

まさにそれは、異国に咲いた愛国の花。戦後教育で失われた日本人の魂のかけらが、確かにそこにはあった。

 

 ムルデカ 17805 インドネシア独立と日本軍兵士

http://www.youtube.com/watch?v=3Q_4DuH1K08

 

インドネシア独立戦争と日本

http://www.youtube.com/watch?v=RPRgmowYy1U

 

インドネシア独立戦争

http://www.youtube.com/watch?v=HPWS4h3WmI4

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

 

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