アジアの証言 

On 2013年5月30日

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アジアの証言

 

 

日本により、富の源泉であった植民地支配を「大東亜戦争」で負けて追い出された恨みから「悪の枢軸」と学ばせている白人国家(欧米)と特亜(シナ・朝鮮)以外では、日本は有色人種を解放したヒーローと学校で教育している。

 

「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損ねたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が英米と対等に話ができるのは一体誰のおかげか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためだ。われわれは12月8日(※)を忘れてはならない」 タイ王国 ククリット・プラモード首相

(※)昭和16年12月8日、日本軍は、パールハーバー攻撃と同時に東南アジア各国へ進出、アジアの植民地支配を続けてきたイギリス軍とオランダ軍とも戦闘状態となる。間違えてはいけないのは、大東亜戦争で戦った相手とは、植民地支配を続けてきた白人国家の軍隊であって、アジア各国のアジア人たちとは(白人の督戦隊により強制的に日本軍に銃口を向けさせられたアジア人以外)、戦っていない。

白人たちの植民地支配からの「アジア解放の戦い」は、昭和16年12月8日、この日に始まったのです。

 

「 ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した 」 ビルマの元 ・首相 タキン・ヌー。

 

「 私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。
敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました 」        アジス(マレーシア ・マラヤ大学副学長)

 

「 日本時代にこそ、今日の台湾経済発展の基礎が培われた 」 台湾 李登輝総統

 

「 日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。  自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。  すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。  さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。  卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。  日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している 」     韓国 朴正熙 5・6・7・8・9代大統領 ( 現女性大統領の 父親 )

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「 インドの独立は日本のおかげで30年早まった。  インド4億の国民は深くこれを銘記している 」   グラバイ ・デザイ博士   インド弁護士会会長   ( イギリス軍による、支配者イギリスに逆らったインド人戦犯の裁判で、証人として法廷に出廷した日本人将校を前に )

「 日本軍はマレー人を一人も殺していません。  日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。  それに、日本の将兵も血を流しました 」  マレーシア ラジャー ・ノンチック上院議員

 

「 インドが今日独立できたのは日本のお陰であり、それはひとりインドだけではなく、ベトナムであれ、カンボジアであれ、インドネシアであれ、旧植民地であったアジア諸国は、日本人が払った大きな犠牲によって、独立できたのである 」   インド ラダ ・クリシュナン大統領

 

「 私の人生で今日ほど幸せだったことはなかった。 わが国土から英国が追放され、偉大な日本がアジア民族を解放してくれた。   我々の古代の遺産と国土、文化、宗教を取り戻してくれた。   … 私は死ぬ前にこの幸せな日を送ることができた喜びに泣いた 」  タキン・コード・マイン (ビルマ、タキン党指導者・詩人)
 
 

「 どうして日本は謝るのでしょうか。  あの戦争でマレー人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ったのではないですか。  その結果、マレーシアは独立できました。  大東亜戦争なくして、マレーシアもシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないのです。  (中略)   日本がアジアのために払った大きな犠牲を、この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです 」    マレーシア   ガザリー ・シェファー外相

 

「 われわれの多くの者が長い間さまよい、救いを求めて与えられなかった荒野から、われわれを救い出してくれたのは、東洋の指導国家、日本であった。・・・ 歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人世界から離脱させることに貢献した国はない。  しかしまた、その解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸民族そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない 」

「 真実のビルマの独立宣言は 1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日 に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」  ビルマ (現ミャンマー)  バウ ・モウ初代首相

 

「 ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない 」  インド国民軍 ハビブル ・ラーマン大佐

 

「 約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果、その独立を失えり。  英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり  。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い ・・・ 愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・・ ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。 ・・・ ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・ 」    ビルマ初代首相 バ ・モウ 「 独立宣言 」 より  ( 一問に百答 日下公人 PHP研究所 )

 

「 ソウルから日本を眺めていると、日本が ”心” という字に見える。  北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。  日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。  (中略)

現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。  最後はハル ・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。  ”事態ここに至る。 座して死を待つよりは、戦って死すべし” というのが、開戦時の心境であった。  それは日本の武士道の発露であった。  日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。  それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。  日露戦争と大東亜戦争 ー この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。  この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。(中略)

大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。  彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。  戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。  日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。  日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。  ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。  二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである 」   朴 鉄柱 ( 韓国 韓日文化研究所 昭和42年10月講演より )

 

「 この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた 」  H ・G ・ウェルズ  ( イギリス 歴史学者 ・作家 )

 

 昭和天皇崩御の時、日本の官庁は2日間喪に服した。しかし、インドは、国民に対して3日間の喪に服すことを政府として発表し、政府関係の庁舎には半旗が掲げられた。また、世界でいち早く葬儀への参列を発表したのは、インドネシア大統領であった。

 

 

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中国と韓国だけは、なぜ、反日なのか

 

現在のシナ・朝鮮における政権は、正当性を全く持っていない。

南北朝鮮は、終戦間近でもいいから、少しでも日本と戦ったならまだしも、アメリカにより独立が実現され、南はアメリカの、北はロシアの傀儡政権でしかない。

中国共産党政権も、日中戦争当時、日本軍とは戦わず、卑怯にも中国国民党軍の陰に隠れて悪いことばかりをしながら逃げ回っていただけで、戦後、アメリカの謀略とソビエトの援助により、国民党からかすめ取っただけの政権である。

ゆえに、「反日」を徹底して掲げることで国民の目を外の敵に向けさせることで団結させ、政権維持の正当性を誇示しようと涙ぐましい努力をし続けているのです。

 

  支那側の国際法を踏みにじった戦闘行為から始まった日本軍の支那での戦いを、国を挙げて「侵略だ!」と徹底批判している中国の、最重要人物、中華人民共和国設立の父である毛沢東主席の言葉を、『中国・韓国が死んでも教えない近現代史』(黄文雄著・徳間文庫)より引用します。

ちなみに、実は、今の中国政府(共産党一党独裁政権となった中華人民共和国)は、日中戦争当時、国民党(蒋介石)軍の陰に隠れて暗躍するだけで、日本軍とはまともに戦っていません。よって、日中戦争に関して、そして靖国参拝に関して、日本を批判する資格など持ち合わせてはいない国(政権)なのです。 

それどころか、戦後、中国共産党軍は、日本が築いた満州国の豊かな財産を継承し、旧日本軍によって教育されただけでなく、日本軍から取り上げた武器・弾薬・兵器で、米・英・ソに煽(あお)られて日本軍との戦争で消耗した国民党軍と戦い、勝つことができたのです。その結果、今の共産党中国が誕生できたという、隠された、歴史の真実まであるのです。日本に対して、感謝しても感謝しきれない大恩を感じるべき国、それが、現在の中国の本当の姿なのです。

朝日新聞が事実無根の記事で特集を組み、中国共産党に連絡までして煽(あお)らなければ、中国共産党政権は、「靖国反対」の論陣を張らなかったことも、付記しておきます。

「昭和41年、日本社会党の佐々木更三委員長が率いる訪中団が毛沢東に面会し、日本の「大陸侵略」の「過去」について謝罪を表明した。しかしその時、自信たっぷりと呵々(かか)と大笑いしてこう言った。

「日本の軍国主義は中国に大きな利益をもたらした」

「日本の皇軍なしに、我々は権力を奪取することはできなかった」

 中国人は自信にあふれる毛沢東時代には、「世界革命、人類解放」の使命に燃え、プロレタリア独裁に対しても自信たっぷりであった。 しかし革命3代目の紅朱体制の指導者たちは、これまでの自信を完全になくしてしまった。

 毛沢東ら第一代の革命元勲たちは、「馬上天下を獲る」という易姓革命の原理に従い、銃口から政権を取ったため、社会主義革命家としての正当性があった。しかし3代目指導者たちの権力のあり方は、ただ最高実力者の鄧小平から指名されただけで、しかもまったく民意に基づいていないため、権力者としての正当性に対する不安がある。

 党・軍部内部の資源配分の確執による権力安定への動揺もあり、財政、金融、国営企業改革問題の挫折から、経済的不安もある。(※それだけでなく、共産党指導部による汚職がはびこり、貧富の格差は激しく、中国各地で毎日のように起きている体制批判の暴動は、年間20万件を超える。:筆者注)

 そこで社会主義崩壊の最終防衛のイデオロギーとして、反日による愛国主義と民族主義の育成が必要不可欠となった。

 政治腐敗などの国内諸問題に対する不満、怨念をそらすために日本を主敵として、民衆の力を結集し、外敵に向かわせる必要があったのだ。

 建国から60年、運動につぐ運動、革命につぐ革命で、中国は7,000万人もの自国民を殺した。国づくりの失敗を責任転嫁するために、どうしても南京大虐殺を主題とする「過去」を繰り返し民族に教え続け、民衆の恨みを外に向けさせなければならない。(中略)

 現政権の日本に対する優位を確立するためには、日本の過去に対する反省と謝罪の継続かと永久化を行う必要がある。

 同時に、現在のチベットなど周辺諸民族に対する弾圧、軍事占領、植民地化、さらに将来の台湾に対する武力行使の非難をかわす目的もあるだろう。日本の「過去」に対するたえざる譴責は、現在中国が犯している侵略行為、そして犯そうとする侵略のもくろみをかわすための行為であることは明らかである」

1000年もの間、支那(中国)の属藩として支那になることに憧れ続け、小中華を自認してきた韓国もまた、サムスンと現代(ひゅんだい)以外にめぼしい企業がなく、そのサムスンは外資に54%の株を握られ(現代はおよそ50%)、全ての銀行も外資に乗っ取られている。

また、20年以上前から経済状態(国民の生活状態)がどん底にあり、国民生活の低下による怨嗟の声を「日本憎し!」に向けさせようとしている考え方の基本は、まったく同じなのです。 ( ※ 1997年には、経済が破たんしIMFの救済を受けた。 その時の最大の援助者は、日本)

 

 

日露戦争で、有色人種解放の種は撒かれていた

 

 鎖国を止め世界に門戸を解放して間もない、東のはずれにある有色人種の小さな国、日本が、世界最大の軍事大国であった白人国家・帝政ロシアに破った。
 この予想外の勝利は、帝政ロシアの侵略の脅威にさらされていた周辺のヨーロッパ諸国(白人国家)、西欧列強のなすがままに搾取されていたアジア・アフリカ、そして中東諸国に、限りない希望をもたらした。
 軍事大国ロシアが総力を挙げて作り上げた旅順要塞は難攻不落を誇り、西欧列強から「永久要塞」とまで評されていたが、敵よりも少ない兵力で短期間に陥落させた乃木希典大将や、世界最強を謳われたバルチック艦隊を日本海海戦で破り日本を勝利に導いた東郷平八郎元帥は、英雄として世界各国で讃えられた。

インドのジャワーハル・ネール首相が述懐しています。

「小さな日本が、大きなロシアに打ち勝ったことは、インドに深い印象を刻みつけた。日本が最も強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができたのならば、どうしてそれがインドにできないことがあろうか。長い間インド人は、白色人種であるイギリス人に対する劣等感にとらわれていた。イギリス人の長い間の支配や、1857年の反乱の野蛮な弾圧が、それを養った。兵器法によって、インド人は武装を禁じられていた。
 我々に与えられた教育までもが、我々に劣等感を与えた。そしてヨーロッパ人は、アジア全体が一つの取り残された大陸であり、将来長くヨーロッパの支配を受けるべきものだと、思い込んでいた。
 それゆえ、日本の勝利は、アジアにとって、偉大な救いであった。そしてインドでは、我々が長くとらわれていた劣等感を、取り除いてくれたのである」
 中国革命の祖であり、毛沢東、周恩来、蒋介石など革命の指導者たちの父であった孫文もこう語っています。

「アジア人とヨーロッパ人を比べるのに、以前は世界で優秀なのは白人だけだと考え、何事も白人の独占となっていた。
 我々アジア人は、白人におよびがたきものと諦め、中国人だけでなく、アジアのすべての民族が絶望していた。そこへ日本が忽然と興り(おこり)、世界の一等国になったのを見て、アジアの民族に、無限の希望が輝き始めた。白人のやることはアジア人にもやれた。
 皮膚の色の違いは、知力や才能の優劣とは関係ない。そういうことがわかったのだ」

 

 日露戦争の日本の勝利の影響はアジアだけでなく遠くアフリカにも及び、1977年、日本アラブ協会理事だった田中正明氏はエジプトのアンワル・サダト大統領を訪問した折、大統領からこう言われて驚いたそうです。

「私は近く日本を訪問するが、その時は真っ先に明治神宮を訪問するつもりだ。

今日エジプトが独立し、このように繁栄をきたしたのも、その根源をたどれば明治天皇様の率いる日本軍が、白人帝国主義のチャンピオンたるロシア帝国を破ったことに起因する。
 エジプトで今なお愛唱されている『日本の娘さん』という歌は、日露戦争に従軍看護婦として出征する日本の女性を讃えた詩なのです」

 

 

 

アジア諸国の日本人観

 

白人は糞をしてる最中に黄色人種が入ってきても平気。有色人種に食べさせる食べ物は、家畜と同一。

食べ物を渡す時も、動物にエサをあげるがごとく、地面に投げて拾わせるのが当たり前であった。日本軍が進出して最初に驚いたのが手渡しをしようとすると受け取らないことだったという。

落としたタバコを拾わすのにも、言葉を使わず、アゴで拾えの合図。荷物を運ばすのも、足でけって合図する。白人は子供ですら、唾を吐きかける。白人女性は全裸で部屋に居る時に、有色人種が入ってきても平気だが白人男性が入ってきたら大騒ぎ。有色人種の奴隷が目の前に居ても、セックスを見せつける訳でなく平気で続ける。つまり、黄色人種は人ではなく猿だったのです。

 

キリスト教を絶対的な宗教と信じる白人は、「神が作った人間とは、白人のことであり、白人以外は人間ではない」「白人以外は人間ではないのだから、何をしても許される」という宗教観に基づく絶対的な考え方があった。アジアの人々に対する白人の家畜に対するような対応は、自然なものだったのです。

 

究極の差別主義。

 

アジアの人々は、人では無かった。

この絶対差別主義の世界を塗り替えたのが、日本だったのです。

 

今でも、ビルマの建国記念日には、日本の「軍艦マーチ」「日本陸軍の歩兵の歌」が流れる。

 

フィリピンの独立記念のポスターにも、日本軍のポスターが貼られる。

私たちは、学校で、そしてテレビから「フィリピン人は、フィリピンを侵略して自分たちの戦争遂行のために物資を略奪した日本を恨んでいる」と学んだ。

しかし、戦後に作られたフィリピン国歌にはこうある。

 「誉れ高い英雄たちの生まれた国(※日本)を崇めよ」

 フィリピンは、親日国家だったのです。

 

アジア1平成7年、フィリピン・マニラ市内に張られたフィリピン共和国独立記念日のポスター

 

欧米人のアジア観に多大な影響を与えた、フィリピンの基地で発足した『神風特別攻撃隊』は、フィリピン人の誇りであり、祖国を護るために自らをも犠牲にしたその勇気は賞賛され、今でも学校で、その「愛国の精神」が、教えられている。

その、世界が賞賛してやまない尊い精神を、日本人は捨て去った。

 

インドのオールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つ、インド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像がある。

白人の不敗神話が絶対的であった20世紀、実現不可能とあきらめていた白人国家からのアジア独立を実現し、アジア人の自尊心を再生したのは、実は、日本人だったのです。

 

    アジアインド独立の英雄チャンドラ・ボーズを記念して名づけられた、インド、オールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像  

(※左側の日本兵が持つ日の丸に注目;日本の軍人が持つ『旭日旗』が、はためいている)

 白人国家である欧米以外では、日本は有色人種を解放したヒーローと学校で教育している。(※共産党中国と朝半島は除く。日本軍と死闘を繰り広げた蒋介石の国民党軍が流れ統治した台湾は「愛日国家」)

 

 もし日本が戦わなかったら、朝鮮人は現在もシナかロシアの奴隷であろう。シナは、イギリス・フランス・アメリカ・ロシア・ドイツによりずたずたに引き裂かれ分割されて勢力下に置かれていただろう。
 そしてすべての有色人種は、今でも、白人の奴隷であったろう。

 日本が白人国家の大国と戦った、日露戦争、大東亜戦争の結果、すべての有色人種に「有色人種でも白人に勝てる」自信と、その自信に裏付けられた自尊心と、祖国と己に対する誇りを取り戻し、アジア各国だけでなくアフリカ、中近東諸国までもが白人国家と戦い、独立を果たすことができ、それまで「有色人種は家畜以下」としか見做(みな)していなかった白人は、以降、有色人種を人間として見るようになったのである。

ここに、1919年、日本が国際連盟に提出した『人種的差別撤廃提案』で目指した「すべての人種の平等」が実現できたのである。

 

 

 

モンゴル

3.11大地震の時、国家公務員が全員、1日分の給料を震災復興のために寄付してくれた。

この額は、モンゴルにおける過去最大の寄付金額である。

 

 

 

 

お勧めの書籍

 

アジアが賞賛する日本とあの戦争 

日本が戦ってくれて感謝しています 井上和彦 産経新聞出版

 

世界から見た大東亜戦争 名越二荒之助編 展転社

 

 

日本人はとても素敵だった  

楊 素秋  菜の花出版

本3

 

 

 

お勧めのインターネットサイト

 

テレビが日本国民に伝えたくないブータン国王の演説

http://www.youtube.com/watch?v=2udKKREpIEQ

 

自虐史観からの解放

http://www.youtube.com/watch?v=sRJLdjk1b1w

 

ニューギニアで日本人と共に戦った台湾・高砂義勇隊【大東亜戦争】

http://www.youtube.com/watch?v=hKpVDy6os9Q

 

自虐史観から真実の歴史認識へ 

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm

 

マレーシア国定中学校歴史教科書 

http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page014.html

 

新・世界は日本をどう見ているか

http://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM

 

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

http://www.youtube.com/watch?v=hj5N8SsyohY

 

「韓国人は好きですか?」フィリピンの片田舎で聞いてみた

http://www.youtube.com/watch?v=HtLSSbYOhds

 

大東亜戦争の名言・格言(face book)

https://www.facebook.com/ww2asia?ref=profile

 

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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