特攻 10 特別攻撃隊の英霊にささげる
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アンドレ・マルローの言葉
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フランスの作家、冒険家、政治家。1945年11月から1946年1月にかけてフランス臨時政府の情報相に任命された。1947年、ド・ゴールが創設したフランス国民連合に参加、広報を担当する。ド・ゴールが下野していた1950年代には『芸術の心理』や『空想美術館』など芸術や美術に関する著作を発表している。1958年6月、ド・ゴール政権成立によって再び情報相を拝命し、1960年から1969年にかけて文化相に在任。この間、1965年には訪中して毛沢東と会見。1974年、訪日し、熊野・那智の瀧や伊勢神宮に参拝、日本文化に深く親しんでいる。 (略歴はウイキペディアより引用)
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日本人へのメッセージ
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。
ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチック(狂信者)だったろうか。
断じて違う。
彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。
人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。
フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなに少ない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。
そういう人たちに、私はいつも言ってやる。
「母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?」と。
私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」
20世紀の思想を代表するフランスの文人アンドレ・マルローは、こういうと床に視線を落としたまましばし瞑黙した。
元リヨン大学客員教授(フランス)で、特操(特別操縦見習士官)3期出身の長塚隆ニ氏は、特攻隊員に対する戦後の急激な評価の変化、その純粋な心を傷つける輩の態度に憤りを感じていた。
長塚氏が昭和49年夏、パリ南方郊外にアンドレ・マルロー氏を訪れた際に聞かれたお話です。
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「特攻隊は、世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」
ビルマ初代首相 バー・モウ
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ぜひ靖国へ、そして知覧(鹿児島県)へ足をお運びください。
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お勧めの本
いざさらば我はみくにの山桜 靖国神社
国民の遺書 小林よしのり責任編集 産経新聞出版
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ご覧いただきたい神風特攻隊の遺書
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyo.html
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ご覧いただきたいインターネット(動画)
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神風特別攻撃隊
https://www.youtube.com/watch?v=gG9okSNRhfU
忘れてはならないもの 知覧特攻平和会館
http://www.youtube.com/watch?v=OfHKiV1-z_s
神風特別攻撃隊 実際の映像
http://www.youtube.com/watch?v=0eXsQo-CpOg
陸軍特攻隊
http://www.youtube.com/watch?v=T6RiyY4zQOo
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「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9