真珠湾攻撃、その真実の歴史  ~その2~

On 2013年4月29日

 

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「リメンバー・パール・ハーバー」は、3回目の標語

 

パールハーバー5真珠湾に向かい赤城を発艦する零戦

「日本による卑怯な奇襲攻撃」というシナリオは、ルーズベルトが独自に発想した戦争参加への手法ではなく、かつて、アメリカは2度、この手法を使って大いに利益を得ていたのです。そのあまりにも上手く行きすぎた成功体験を、日本に対しても行使したのだと思います。

 

(1回目)

現在のアメリカ合衆国の西側と南側にある州は、かつて、メキシコ合衆国の州であった。その中でコアウイラ・イ・テハス州のテハス(テキサツ)と呼ばれた地域にはアメリカ移民が大量に入植し、1835年、アメリカからの移民たちは、メキシコからの独立戦争を始めました。1836年、わずか155人のテキサツ義勇軍で守らせていたアラモアナ砦は見捨てられ、援軍もないまま、自国の領土を守ろうとしたメキシコ政府派遣軍およそ2,000と戦い全滅。

 

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メキシコ軍の正当性と見捨てたことは覆い隠し、悲劇のみが劇的に伝えられ、感動を生み「リメンバー・アラモアナ!」を合言葉に、アメリカは総力を挙げてメキシコ軍と戦い、広大な面積を持つテキサツをメキシコから独立させることに成功、テキサツ共和国となった。

その後、1845年、テキサツ共和国をアメリカが併合。 これを認めないメキシコに対し、

1846年、アメリカは戦争を仕掛け、米墨戦争となった。アメリカ軍が持つ最新式の銃火器に対し旧式の銃しかなかったメキシコ軍は各地で敗退。1848年、カフエンガ条約を締結し講和。アメリカは、メキシコから、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドの広大なエリアを奪い取り、メキシコは、領土の3分の1を失った。この戦いの勝利によってアメリカは、北米大陸における西方への拡大野望を正当化した「マニフェスト・デスティニー」(※)の達成を見たのです。

 

(2回目)

 

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1898年、アメリカの喉仏(のどぼとけ)にあたるスペイン領キューバで起こった独立運動に乗じて、ハバナ港(キューバ)に派遣したアメリカ軍艦メイン号が爆発、260人の犠牲者が出た。

 

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この爆破事件を、スペインによる卑怯な陰謀であるとアメリカのメディア各社が競って書き立て、「リメンバー・メイン号!」の大合唱の元、アメリカ国民の敵愾心(てきがいしん)を煽(あお)り、スペインとの米西戦争が開始されたのです。

実は、アメリカはその1年以上も前から米西戦争に関する具体的な遂行計画を策定しており、各地に軍備と艦隊を配置、瞬く間にキューバを占領、フィリピン独立運動家たちを籠絡(ろうらく)し、スペインの植民地であったフィリピンも奪い、プエルトリコ、そしてグアムをはじめとする太平洋の島嶼(とうしょ)までその支配下に置いたのです。

その後、フィリピン収奪の過程で要衝(ようしょう)となったハワイを、宣教師を先頭に立てた計略と武力をもって強奪、要塞化し海軍の一大拠点を構築。さらなる欲望を内包した「マニフェスト・デスティニー」を達成すべく、(アメリカから見て西方にあたる)太平洋における覇権(はけん)を確立するため、堅牢(けんろう)なる足がかりを完成させたのです。

アメリカ大陸の西方に広がる太平洋、そしてその先にある巨大な市場となるであろう支那(しな:今の中国)を我が手にするために・・・

 

(3回目)

盟友のイギリスおよびソ連をドイツ軍の猛攻から救うと共に、マニフェスト・デスティニーの完成を目指し、支那に(国際法に基づいた)利権を持つ有色人種国家で、地理的にも中国大陸の手前で立ちふさがる日本を撃滅すべく、アメリカとは関係のなかった第1次世界大戦のヨーロッパ戦線で多くの若者が命を落し厭戦(えんせん)気分が蔓延していたアメリカ国民を戦争に向かわしめるため、伝統の手法に則って仕組まれた「リメンバー・パール・ハーバー」

日米開戦1週間前の、12月1日、ルーズベルト大統領は、各地の軍司令部に戦争準備の指令を出しますが、ハワイの軍司令部だけは除かれました。

12月8日未明、ハワイ時間12月7日(日曜日)早朝、日本海軍航空部隊によるハワイ急襲によって死亡したアメリカ兵は、およそ2,400人。おびただしい血が流され、港に係留されていた軍艦(すべて旧型)は沈没、戦闘機も大半が撃破されてしまった。

ルーズベルト大統領がアメリカ議会およびアメリカ国民に対し、大々的に発表した「日本軍の卑怯(ひきょう)な奇襲攻撃」に対し、アメリカの国民世論は激怒、一気に参戦機運が高まり、志願兵が列をなしたのです。

 

パールハーバールーズベルトの野心達成のため捨て駒となったパールハーバー

 

(4回目)

「ベトナム戦争」とは(恐怖の)共産主義の拡大を防ぐべくアメリカが戦った正義の戦争であると、私たちが信じてきた戦争です。

始まりは、

1964年、トンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ軍の駆逐艦に魚雷を発射し攻撃したことにより、被害を受けた『正義のアメリカ』が北爆を開始。

泥沼の戦いが繰り広げられました。

 

となっていますが、真実は全く違います。

 

まず、知っておかねばいけない基礎知識として、

アメリカ合衆国とは軍産複合体による軍事国家であり、世界最強であることに誇りを持ちアメリカの好き勝手な意向で世界を動かそうと画策しているだけでなく、戦争がこの上も無く大好きで戦争経済が主体であるのが、私たちが「自由の国」として憧れてきたアメリカ合衆国の実態です。

現在は、もう一歩進めて、武器なき戦争も世界で戦っています。

 

まず、開戦のきっかけとなった 『トンキン湾事件』 ですが、

1971年、ニューヨークタイムズのニール・シーハン記者が、ペンタゴン・ペーパーズを暴き、アメリカによるねつ造であることを暴露しました。

また、共産主義との戦いも真っ赤な嘘です。

(※ 本題から離れてしまいますので割愛しますが、興味のある方はちょっと調べて頂ければ、ベトナム戦争は何であったのか?がすぐに理解できます)

 

それでは、なぜ、私たちは「共産主義との戦いの戦争」などと信じてしまったのでしょう?

答えは簡単。

マスコミ(映像と論評と記事)によって、そのように誘導されたからです。

かように、マスコミの力は人々を完璧なまでに洗脳することができます、いかようにでも。

 

 

(5回目?)

9.11テロ も、「リメンバー・9.11テロ」 とアメリカ政府は叫び、衝撃映像および劇的な解説と共に世界中に配信された。

9.11テロ攻撃によって震撼(しんかん)したアメリカ人たちは、その脅威を除去すべく一気に介入の方向へ舵を切った。  「リメンバー9.11」 を合言葉に、アメリカ人は一致団結をし、親米諸国に協力させて 「主犯格」 が潜むとされるアフガニスタンに攻め込み、アメリカ政府は世界に向かって 「テロ」 という名の危機意識を醸成することに成功。

その勢いをかってアメリカに敵対していたイラクへ、ありもしない 「大量破壊兵器」 を口実に侵攻を開始。かつてはアラブ世界の学問と文化の中心であったバクダット(イラクの首都)の美しい街並みを、無人攻撃機を使ってゲーム感覚で爆撃し、徹底的に破壊。

中東の中核をなし、将来の有望市場が見込めるアフリカにまで影響力を拡大しつつあった 「反米思想」 の フセイン政権 を撃滅した。

イスラム圏では男の所有物としか扱われない女性に自由を与え、女性への高等教育や社会進出を積極的に支援し、清潔な街並みと治安が保たれていたイラクをぐちゃぐちゃにすることで、アメリカのプレゼンスを再確立。 USドルの裏付けとなっている 石油支配体制(中東でのプレゼンス)の再構築が行われた  『最大のきっかけ(口実)』  と言われている。

 ※最大の不思議は、9.11テロの実行犯が、あっという間にすべて割り出されたことである。 あり得ない速さであった。 そこまでFBIの能力が高い(?)のであれば、事前に防ぐことも可能だったのでは・・・・・? と考えてしまう。

 

2000年11月、フセイン大統領は石油の決済を  「敵国通貨である」  として、USドル から ユーロ に変えた。

産油各国も、イラクにならって ユーロ に変えてしまい、アメリカによる 石油支配体制 は崩れだし、USドル は 基軸通貨 としての立場を失いかけた。

2001年9月、「9.11テロ」が起こり、旅客機に突入された世界貿易センタービルは崩壊した。

 

即座にアメリカ政府は「リメンバー9.11」を合言葉にアメリカ国民と親米国家たちを統合、 「特攻」を仕掛けたアルカーイダの首領たちがこもるアフガニスタンを最新兵器をもって侵攻、世界的な危機感を大演出した。

ちなみに 「アルカーイダ」 は、冷戦時代、アメリカ合衆国が対ソ連(現ロシア)用に作った民兵組織である。

無尽蔵ともいえる最先端の軍事力を持つアメリカ合衆国は、先進諸国による連合軍を組みながらも(言い方は悪いが)貧相な国のアフガニスタン攻略になぜか手間取り、なぜか未だに危機は続いている。 

アルカーイダ攻略に手を焼き続けた(?)アメリカは、アフガン平定を口実にアメリカ軍の駐留基地を14個も作り、それまで手薄だったインド方面に、今では誰も逆らえない絶大な影響力を持つまでに至った。

アフガン侵攻の熱に冒されている世界に向かってアメリカは、イラクには  『大量破壊兵器がある』  という  「だからどうしたの?」  という程度の、訳の分からない空想物語を大々的に発表、アメリカ軍を核とする親米連合軍を編成し攻め込んだ。

 

多国籍軍に攻め込まれる前、フセイン政権は日本に助けを求めたが、小泉首相率いる日本政府はアメリカの意向を慮(おもんぱか)って黙殺。   意見具申した在中東の日本大使を更迭(こうてつ)した。

清潔で綺麗だったイラクの街並みは無残な姿をさらし、フセイン大統領は捕まり絞首刑が執行され、フセイン大統領のもと社会進出を果たし自由を手に入れていた女性たちは又もとの厳しい女性蔑視の戒律に縛られ人としての権利と自由を無くし、治安の良かったイラクは宗派の対立から無法地帯と化し、混とんの中に落とし込まれた。

ブッシュ大統領は  「大量破壊兵器があるという情報は、CIAの間違いであった」  と世界に向かって発表、CIAに責任を押し付け、自分たちも被害者であると言い切った。

 

アメリカ合衆国によるイラクの石油支配体制が復活、イラクを含む産油国たちの決済はユーロからUSドルに戻り、USドルに 基軸通貨 としての強い価値が戻った。

また、将来の有望市場であるアフリカ大陸に、「反米思想」  の浸透を防ぐことにも成功した。

ついでに言おう

このアメリカの暴挙を諌(いさ)めるべく、本気で意見する国はない。

世界最大の経済力と、狡猾(こうかつ)極まりない知恵と、飛び抜けた世界最恐の軍事力を持ち、平然と軍事力を行使することを知っている世界は、沈黙を守ったのである。

 

今のイラクに、フセイン大統領により保障されていた、女性の自由と、そこに暮らす人々の世俗的な楽しい暮らしと安全は無い。

あるのは、破壊された無残な街並みと、破壊され欠乏する飲料水と食糧、宗派の対立からくる争乱、人権無視の厳しい戒律の復活、そしてアメリカ軍の劣化ウラン弾による放射能汚染で急増した子供たちの奇形、甲状腺異常、白血病、ガンだけである ・・・

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o05100393116630332879.11テロの標的となったワールド・トレード・センター

この後、ビル解体現場と全く同じく、周りに迷惑をかけないよう上手に縦に崩壊した。

救助された複数の方々の証言

「何回も爆発音がしてビルが崩壊した」

ツインタワーの跡地には、「ワン・ワールド・トレード・センター」 ( 「世界統一政府」 世界を一つにして支配するという『アメリカの新しいアジェンダ』を冠した名のビルが建つ。

「マニフェスト・デスティニー」 完成後のアメリカの、新しいアジェンダの登場である。

「アジェンダ」 ・・・ どこかの党が好んで使った言葉である。

 

 

※ この事件は、インターネット上では様々な映像、多角的な見解を知ることは出来ますが、30年後にならないと事実が明らかとはならす、現時点では評価ができません。

 

テロ旅客機に突入されたばかりのペンタゴン(アメリカ国防総省)

旅客機の残骸は、どこに?

「え~~~! すべて燃えた熱で、蒸発しちゃったってぇ~!?」

「金属まで蒸発しちゃったって、どんだけぇすごい熱なのぉ!?」

「なんで、手前の芝生がきれいで、建物は熔けてないのぉ~!?」

「旅客機には主翼があったのに、破壊された横幅が小さすぎないかい?」

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だ、この9.11テロの時、悲しいかな、日本人の歴史認識の誤りを見事に突かれ 「日本軍による卑怯なパールハーバー奇襲攻撃の再来!」 を持ち出され、日本の識者たちは、その言葉に過剰反応してしまい、日本人は冷静に事件を見る目を失ってしまった。

 

※全ての写真は、クリックすると綺麗に見れます※

 

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d9444e25c30d6a8171deb8d112331b0cアメリカ軍による爆撃の犠牲となった少女

 

 

 

911以前、アメリカが “ならず者国家” と呼んだ国は、キューバ、北朝鮮、アフガニスタン、イラク、イラン、シリア、スーダン、リビア、パキスタンだった。

これは、政府が 中央銀行 を許可していない国と一致する。

2001年に起きた911以後、アフガニスタンでは2002年に、イラクでは2003年に、リビアでは2010年に、それぞれ中央銀行が設立された。

 

 

 

ルーズベルトの策略

 

ルーズベルト大統領はイギリスのウィストン・チャーチル首相にこう語っています。

「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」

 

昭和16年8月、ルーズベルト大統領は、ニューファンドランドの港に停泊するイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号艦上で、チャーチル首相と大西洋会談を行い、日米開戦を密約、いかに日本に先制攻撃を仕掛けさせるか、協議を行いました。

 

パールハーバー2(左)ルーズベルト大統領 (右)チャーチル首相

(英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ艦上)

 

ルーズベルト大統領は、対日戦争の準備が整うまではイギリスとオランダを使って禁輸処置を拡大し、様々に日本を締め上げつつ、日米交渉を長引かせ、その間、蒋介石軍を援助し日本軍と戦わせることで日本を疲弊(ひへい)させ、戦争準備が整ったところで、日本の命綱である石油を禁輸。

日本が 『独立した国家』 として生き残るわずかな希望に止めを刺した上で、戦わずして無条件降伏とアメリカの属国になることを迫る 「ハル・ノート」 を、日本に突き付けたのです。

「我々が考え要求したいかなるものよりも過酷(かこく)なものであった」と策略家のチャーチルにすら言わしめたハル・ノートを、日本が承諾することなど絶対になく、ルーズベルトは、必ずや日本が戦争を起こすと確信していた・・・

日本時間12月8日未明、彼らの狙いどおりになった。

 

(※) 「 マニフェスト・デスティニー 」

アメリカ合衆国の西部開拓(正確には、白人による北アメリカ大陸での西方へ向かっての侵略)を神の意思による当然の運命という考え方で正当化し、インディアンに対する大量虐殺と黒人奴隷によって進められた白人のための西部開拓を正当化した標語。 

「明白なる使命」  や 「明白なる運命」 などと訳される。  19世紀末以降には、太平洋における海外領土拡張政策にも利用され、太平洋の西方に位置するシナ略奪を計画、その前に立ちはだかる日本を木っ端みじんに粉砕すべく 「オレンジプラン」 を策定、太平洋戦争を画策し実行した。

 

マニフェストマニフェスト・デスティニーを描いた絵画

「マニフェスト」 ・・・ 日本では、民主党 が政権奪取の際、( 拝金主義に染まり、お金ばかりをたかろうとする戦後の堕落した ) 日本人を、マスコミを上手に使って熱狂させるために頻繁に使った標語 「マニフェスト」 は、ここからきている。

 

 

お奨めのインターネット情報

 

戦争はイラクの子どもたちを犠牲にした

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/uruknewsjapan/view/20071222/1198328548

 

地獄の暮らし心地 (心臓の弱い方は見てはいけません! でも、現実なのです)

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/wemustnotkill/view/200711

 

 

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 イラクの子供たちです

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※クリックすると鮮明に見れます※

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劣化ウラン弾の影響は、明らか

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白血病に苦しむイラクの子供

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ガンと闘いながら、一生懸命 勉強する子供たち

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iii90%の子供たちは、清潔な水すら飲めなくなった

 

 

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絶望の中でも、希望の光となって

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悲劇しか生まなかったアメリカ軍を中核とした多国籍軍ですが、唯一、例外がありました。

そう、日本の『自衛隊』です。

彼らだけは、破壊ではなく、破壊され苦しんでいる人々に光を与えるべく、派遣されたのです。

「復興支援」を行うために・・・

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i4デジタルカメラを覗き込む、イラクの少女

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お奨めの動画

イラク 前代未聞の『感謝デモ』

http://www.youtube.com/watch?v=690NvwbZL8c

国内では放送されない自衛隊の活動!!

http://www.youtube.com/watch?v=dVeapFB8VCU

 

 

1977年、イラクのスケッチ

 

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 1977年のイラクの写真。

アメリカ軍による侵略前のような子供たちの笑顔が戻る日は、いつだろうか。

 

 

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「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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