有色人種、500年の悲劇⑨ アボリジニの悲劇
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オーストラリアは、白人の国!?
「白人オーストラリア主義」、皆さんも学校で習った言葉だと思います。
私は、オーストラリアとは白人の国(大陸)だと子供のころ信じて疑いませんでした。そして、日本人だけが「名誉白人」としてオーストラリアに住める特権があることを、ちょっとだけ誇りに思っていました。
本当は、どうだったのでしょう?
オーストラリア大陸には4万年以上も前から、ニューギニア方面から渡ってきた50万~100万人のアボリジニーと呼ばれる「有色人種の人々」が、自然に抱かれた平和な暮らしを営んでいました。
, The New Student’s Reference Work, 1914年出版より
1770年、イギリス人のキャプテンクックがオーストラリア大陸に上陸して領有を宣言し、1788年より、入植が始まりました。
アメリカ合衆国のイギリスからの独立により、1788年、アメリカに代わる流刑地としてイギリス人の移民が始まりました。第1船団11艘に乗っていたのは、流刑者を含む貧困層のおよそ1,500人。男女比はおよそ8:2。
最初に被害を受けたのはアボリジニーの女性で、性欲のはけ口として強姦が行われたのです。以降も続々と本国では容れられない、ならず者たちが移民団として送り込まれ、本格的に「開拓」という名の土地の収奪、略奪、虐殺、強姦、拷問、人間狩りが始まったのです。
白人にとって、白人ではないアボリジニーの人々は、人間ではなく、野良犬や野良猫と同じであり、何ら躊躇(ちゅうちょ)することなく、スポーツ・ハンティングの対象として「アボリジニー狩り」を、楽しんだのです。
アボリジニ虐殺は20世紀の半ばまで続いた。 ニューサウスウェールズ州の図書館に残る1927年の日記には 「 週末、アボリジニ狩りに出かけた。 収穫は17匹 」 とある。(『スーチ―女史は善人か』高山正之著(新潮社)より引用)
1828年には全土がイギリスの植民地となり、本格的に内陸までを探検し、農牧地を開拓するためにアボリジニーから土地を取り上げて放逐(ほうちく)、もしくは殺害を繰り返しました。
この結果、最初の移民船団が来てから100年ほど経った1901年には、アボリジニーの人口は67,000人にまで激減してしまったのです。
九州と四国を合わせた位の大きさの、きれいな海と緑豊かな大地をもつタスマニア島のアボリジニーは最もひどく、スポーツハンティングの獲物とされ、当初37,000人ほどいた島民はレジャー気分の白人たちにより皆殺しにあい、1876年、絶滅させられました。
近年までアボリジニーは、自分たちの土地を収奪され続け、人間としての権利すら持つことが叶(かな)わず、「人間の種を与える」というキリスト教会の教えを前面に出した白人たちの野獣のごとき性欲のままに強姦された。また「保護政策」の名のもと不毛のエリアに隔離されただけでなく、アボリジニーの文化を根絶やしにし、アボリジニーの存在自体を消滅させるために、アボリジニーの言葉をしゃべることや伝統の継承は厳しく禁じられ、「文明を与える」という大義名分のもと欧米文化を強制され、ハンティングの動物として狩られたのです。
それだけに止まらず、歴史と言葉と風習と民族を確実に消し去るため、アボリジニーの子供は強制的に親と切り離され遺棄(いき)されるなど、地獄のような逆境の中、何とか生き延びているような状態に置かれ続けたのです。
オーストラリアとは、私たちが思い描いているような、自然と鉱物資源が豊かな、明るい白人国家。 ・・・・・ではなかったのです。
「正しい日本の歴史」 (目次)
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