有色人種、500年の悲劇⑤ インドネシア

On 2013年5月1日

 

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インドネシアの場合

 

有色人種14

英国人と共に 有色人種蔑視(べっし)の傾向が特に強いオランダ人によって、 350年も続いたジャワ (現、インドネシア)の植民地支配は過酷なものでした。

原住民(インドネシア 人 )は家畜よりもひどく扱われ、一握りのオランダ人支配者が 数千万人の原住民の生殺与奪の権利を握っていました。本国ではいち早く廃止されていた死刑や流刑は、誰はばかることなく堂々と実施され、1848年までは、体に烙印を押すことさえも行われていたのです。

オランダの植民省が懸命にその公表を阻止しようとしたオランダ人検察官レムレフの報告書によれば、「スマトラ島のタバコ農場では、オランダ人は現地人を米国の黒人奴隷と同じか、それ以下に扱い 「ムチ打ち、平手打ち」は当たり前だった。また現地人労働者の生命は軽視され、ごく簡単に殴り殺された。 スマトラ島の農場では、支配者であるオランダ人が意図的に米を栽培させず、ビルマ・タイからの輸入米に頼っていたので、 島民は米が手に入らず 、生きてゆくためには労働者としてオランダ人が経営する植民地農場で働くしか方法がなかった。刑務所で過酷な労役を課せられていた囚人が、元のオランダ人農場よりも食事の質が良いからと、刑期を終えても出所を拒んだ例もあった」とあります。

近親者の葬儀でも作業を休むことは許されず、病気になると農場内の鉄格子のはまった病棟に入れられはしましたが、抜き打ち検査で係官が目にしたその光景とは、 鉄格子から鼻をつく悪臭が外に漂い、数平方メートルの空間に、男2人、女8人、それから24時間前に死んだ死体が1つ臥(ふ)していた。飲み水も便所もなく、排泄物は土を掻き寄せて排泄物にかけ、壁の隙間から外に押し出すだけだった。 飲み水が欲しい場合には、外を通りかかる労働者に頼み、1日1回支給される食物を水と交換してもらい手に入れるしか方法はなかった。目を覆うばかりの、吐き気すら覚える惨状であったと言います。病気を治す為の病棟どころか逆に、病気になった際の休養や、怠業をさせない為の「みせしめ」としての懲罰小屋というのがその実態でしたが、現地人が虐待により死亡した場合でも、オランダ人農場主の責任が問われることはありませんでした。

太平洋戦争の際にジャワ(インドネシア)占領に参加した近衛連隊の総山(ふさやま)孝雄氏の記述によれば、「オランダ人は高床の家に住み、現地人は土間に寝た。オランダ人は「より取りみどり」で現地の女性を現地妻としたが、オランダ人から夜に呼ばれ相手をさせられる場合に限り、現地妻は床上に寝るのが許された。オランダ人は統治戦略上、混血の子供にはオランダ国籍を与えたので、母親は裏の土間で寝たが、子供は床上に起居して自分の母親を下女のように叱りながら、こき使っていた」とあります。

オランダによるインドネシアの植民地支配は、私たちが考えていたような紳士的な代物ではなかったのです。

また、オランダによるインドネシア支配に関しては、西欧列強による「植民地支配の方法」を大変わかりやすく説明下さっていますので、『侵略の世界史』(清水馨八郎著)より引用させていただきます。

「オランダは、アフリカおよびインド洋の沿岸地域にあったポルトガルの貿易拠点を次々に奪い取り、17世紀中ごろには、現在のインドネシアを中心とした地域に、確固とした拠点を築いた。これ以降、330年間もの長きに渡って、オランダのインドネシア植民地支配が続くのである。

その統治方法は、

一、原住民を文盲のまま放置し、土侯を使って間接統治。

二、キリスト教に改心した者は、優遇して警察官や軍人に登用。

三、オランダとインドネシアの混血自動を中間階級として使用し、民族の分断を図る。

四、社会の流通経済は華僑(中国人)にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の憤慨と憎悪を華僑に集中させる。

五、一切の集会や団体行動を禁止する。

六、全国各地で用いられていた320の部族語をそのままにして、1つの標準語にまとめる企てを禁止する。

以上の方法でインドネシア人から民族意識を奪っていったのである。

またオランダは、コーヒー、砂糖キビ、藍、茶、肉桂などの「強制栽培制度」を導入した。

(※私たちがプランテーションと呼ぶもので「植物の栽培」と教わっただけでしたが、実態は白人国家が贅沢(ぜいたく)をするための植民地農場であり、現地住民は、自分たちが食べるための農作物を栽培することすらできなくなり、たびたび飢饉(ききん)に襲われ、多くが餓死(がし)させられていた。:筆者追記)

しかもオランダは直接手を下さず、諸侯(しょこう)を使って分割統治し、その上前をはねるという、巧妙な政策をとった。人民搾取(さくしゅ)の悪性の恨みを華僑(かきょう)や諸侯に向けさせたのである。

イギリスのインド支配でもそうだが、植民支配を会社経営(※支配国の経営とはせず、民間企業の形を取った。:作者追記)としたのだから、利益の追求が最大目的で、原住民の福祉(ふくし)など眼中にないのは当然である。植民地とは本国の国益中心で、現地から搾り取れるだけ搾り取るために存在するのである。この点、明治以降の日本の植民地政策(日本だけは、拓殖を目的とした日本への併合であった:筆者注)とは雲泥の違いであった。」 (引用終了)

 

 

お勧めの書籍・インターネット情報 

侵略の世界史        清水馨八郎  祥伝社 黄金文庫

裏切りの世界史          清水馨八郎  祥伝社 黄金文庫

 

 

お勧めのインターネット情報

オランダに350年支配されてたインドネシアを、日本軍が9日間で解放

http://www.youtube.com/watch?v=OCy4xlS1EBY

カラーで見るアジア植民地支配 

http://www.youtube.com/watch?v=K70rm_-e-OA&feature=related

シルバー回顧録 

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genin-2.htm#jiei

世界から見た大東亜戦争 

http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_14.html

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

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