有色人種、500年の悲劇③ 奴隷

On 2013年5月1日

 

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奴隷9

 

奴隷となったインディオ、インディアン

アメリカ大陸に白人たちが入植した当初は、インディオ(インディアン)は唯一入手できる労働力として、新植民地の経済前進に不可欠のものでした。

また、入植してきた征服者たちに農民はいなかったため、インディオ(インディアン)なしでは農業を営むことが出来ず、食料の生産ができなかったのです。

コロンブスは、こう書き記しています。

「インディオこそ富そのものである。なぜなら、彼らは地を掘り、我らのパンやそのほかの糧食をつくり、鉱山から黄金を取り出し、人間と荷役動物の労役のすべてをするのが彼らだからだ」

西欧人にとって、インディオ(有色人種)は、人間ではなかったのです。

ラス・サカスは、こう書き記しています。

「スペイン人は手に入れたインディオを、男なら金採掘に、女なら畑仕事に活用した。この奴隷たちには雑草のような食物しか与えなかったので、過酷な労働と飢餓でばたばたと倒れていった。

荷役の運搬には、すべて奴隷を牛馬のように使った。重い荷物を背負わされ100キロ、1000キロの道を歩かされた。インディオの背中や肩は、重い荷物ですりむけ、まるで瀕死(ひんし)の獣のようだったが、スペイン人はムチや棒や拳固で、容赦なく彼らを痛めつけたのである。彼らはインディオたちを野獣として扱ったのである」

こうして、何万年もの昔からアメリカに暮らしていた、数千万人を超える「本来のアメリカ人」であるインディオ(インディアン)の人びとは、絶滅に近い状態まで激減させられたのです。

 

奴隷が足りない!

 

奴隷気に入らない黒人奴隷を絞首刑で木に吊るして「さらし者」にしていた

 

アメリカ大陸に侵出した西欧人は、反抗するインディアン(インディオ)を見境なく殺していったため(特に北アメリカ大陸)、「本来のアメリカ国民」が激減し、奴隷となる原住民が不足してしまいました。

これでは、金銀の鉱山が発見されても採掘に使える奴隷が足りない。輸出用のプランテーションで白人にとって大変高価な貴重品であった砂糖やコーヒー、綿花、タバコなどを栽培し工場で精製するにも奴隷が足りない。支配者の家や工場や道路を作るにも土木作業をさせる奴隷が足りない。白人の身の回りの世話をさせる奴隷も足りない。

そこで彼らが考えたのは、すでに一部が支配下にあったアフリカから奴隷を連れてくることでした。彼らは、見境なく原住民を殺し過ぎた結果、労働力不足に気が付き、アフリカから奴隷を収奪することを思いついたのです。白人たちは人を大勢殺しておいて、その穴埋めにまた大勢の人たちに悪事を働く。しかし、「白人のみが人間であり、有色人種を人間とは認めていない」彼らには、何ら罪悪感が生まれなかったのです。

私たちが輝かしい未来への発見とイメージしていた「新大陸の発見」とは、以後、500年もの長きに渡る、有色人種の受難の始まりでしかなかったのです。

「航海の歴史」とは『後悔の歴史』でしかなった。

 

そして、アフリカ人の奴隷狩りへ

 

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1日の仕事量のノルマが達成できない場合は手首をオノで切断されていた

奴隷8

 

白人(主にスペイン人)は、アフリカ大陸の北部沿岸の一部地域を支配していました。奴隷狩りの初期段階では、沿岸部で狩猟民族(白人)の技を使い、動物を捕えるように待ち伏せをして通りかかった黒人をさらっていく方法が採られたのですが、乱獲の結果、獲物となる黒人が減少、支配していた黒人たちを使って、奴隷狩りを始めたのです。

黒人を使った奴隷狩りには、三つの方法がありました。

一、白人奴隷商人と契約しているアフリカ人部族に他部族への戦争を仕掛けさせ、集落を焼き払い殺害し、捕虜を大量に捕えて奴隷商人に売り渡させることで、黒人を、安物の鉄砲やたばこや酒、ガラス玉と交換する。

二、首長が白人奴隷商人と組んで同胞を売り渡す。

三、奴隷商人と契約している海岸沿いの部族が鉄砲などの武器を買い、その武器で内陸部にある他部族の人間を捕らえ、不要な人間は殺し、奴隷として条件に合う人間を奴隷商人に売り渡す。

 

奴隷10奴隷狩り

集められた黒人奴隷は海岸に集められ「奴隷の家」に収納され奴隷船が来るのまで待たされました。奴隷の家は、6畳ほどの部屋に15~20人が押し込められ、1軒あたり数百人もの奴隷が収容されていました。

奴隷船での船旅はおよそ2ヶ月、一艘あたり奴隷を500人~600人積み込むのがふつうでした。黒人奴隷に許された空間は、1人当たり、長さ180㎝、幅40㎝、高さ80㎝ほどしかなく、あまりの狭さと不衛生極まりない環境下、途中で病気になったり死亡すると海に捨てられ、アメリカ大陸まで無事に届けられるのは、5人~10人に1人だった。

 

奴隷奴隷船

 

奴隷2奴隷船の船倉断面図

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奴隷3すし詰めにされた奴隷:18世紀の奴隷船ブルックス号の船倉

奴隷船用の船倉は上甲板と下甲板の間の中甲板にあり、その高さは120~150cmだった。

有色人種25

このようにして、アフリカ大陸からは働き盛りの若者たちが男女を問わず捕えられ、奴隷として主に中南米に連れてこられたのです。輸送途中での死亡率から逆算して、最大推計で1億人もの黒人が奴隷として捕らわれ、新大陸に向かって送り出されたと言われています。

広大なアフリカ大陸の人口が極端に少ないのは、奴隷商人により仕組まれた部族間の戦争や、働き盛りの若者を大量に奴隷としてアメリカ大陸に奪われてしまったからなのです。

また、いまだにアフリカ諸国で民族紛争による内戦が絶えないのは、白人諸国が植民地支配をする際、民族を一切無視し、自分たちの都合だけで国境線を決めてしまったためなのです。勝手に引かれた国境線のため、民族が入り乱れ、または、引き裂かれたために起こっている悲劇なのです。

 

 

 

 

「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9

 

 

 

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