真珠湾攻撃、その真実の歴史 ~その4~
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ハワイでの対応
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ハル・ノートを日本側に伝えた2日後の昭和16年11月28日、パール・ハーバー在泊の空母エンタープライズに坐乗する航空戦隊司令官W.F.ハルゼーに『戦闘命令第一号』が、極秘裏に下りました。この時、アメリカは、事実上の対日戦に突入したのです。
しかし、日米の歴史書では、いまだに、12月8日の日本軍の真珠湾攻撃まで、アメリカ合衆国は日本との和平への道を求め続けていたと、語り継がれています。
近年、アメリカの機密公文書の情報公開により次々に明らかになった新事実として、
アメリカよりの最後通告となったハル・ノートに対する、日本政府が在アメリカ日本大使館宛てに送られた交渉打ち切り通告の暗号文(アメリカ呼称:パープル暗号)を、アメリカは既に国防省のブラック・チェンバーによって解読済であり、ルーズベルト大統領以下政権スタッフ全員は、交渉打ち切り通告の内容を知っていたことが明らかとなっています。
また、択捉島(えとろふとう)の単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した日本連合艦隊のハワイへの航路はアメリカ船籍の太平洋航路と重なっていたのですが、アメリカ本国より艦船が一切近寄らぬよう指示が出ており「真空地帯」となっていました。
アメリカ軍は、日本海軍の暗号電文もほとんど解読済みであり、かつ日本連合艦隊の行動を無線傍受(※無線封鎖による隠密行動は悪天候のため完璧ではなかった)によりキャッチしており、パールハーバーのあるハワイ州以外は、奇襲攻撃以前から本国より命令が下され臨戦態勢を敷いていたのです。
12月8日、日本海軍によるパールハーバー攻撃の1時間20分前、一体となり世界戦略を練ってきた同盟国、イギリスが、マレー半島にて日本陸軍の奇襲攻撃を受け交戦状態となった。戦端が開かれたことは即座にアメリカ本国に報告され、アメリカ全軍に戦時体制が下達された。
しかし、アメリカ全軍の中に、太平洋の要衝、ハワイだけは含まれていなかった。
日本との戦争の危機を知らなかったのは、ハワイに司令部を構えるアメリカ太平洋艦隊司令長官のキンメル提督とハワイ方面陸軍司令長官ショート将軍だけであった。
ハワイに設置されていたレーダー監視網は、ハワイに迫りくる日本軍の飛行編隊を捉えていた。しかし、通常の監視体制であり「その日到着する補給機部隊が、予定より早く到着した」としか、判断されなかった。
ハワイ時間12月7日(日曜日)午前7時49分、日本軍がマレーへ侵攻したことすら知らされていなかったキンメル提督は、休日ゴルフに出かけようと玄関を出て迎えの車に向かった。その時、日本軍機による爆撃が開始された。
なお、パールハーバーを母港にしていた空母3隻を含む「新鋭艦」の22隻は、アメリカ本国の命令により外洋に出ており、日本海軍の空爆時、パール・ハーバーに係留されていたのは、老朽艦のみであった。
昭和16年12月7日、日本の海軍機から撮影された攻撃当日の真珠湾
※ 改修が必要な老朽艦だけが列を成して並んでいる。
※ 浅瀬に係留されており、ほとんどの艦は引き上げられ改修艤装を施し、戦闘力をアップさせ戦線に復帰させた。
ルーズベルト大統領は、日本海軍によるパールハーバー攻撃前日、家族と朝食を取りながらこうつぶやいた。
「明日、戦争がおこる」
『操られたルーズベルト』 カーチス・B・ドール(ルーズベルトの長女の夫)著
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「政治の世界では、何事も偶然に起こるということはない。
もし何かが起こったならば、それは前もって、そうなるように謀られていたのだ」
フランクリン・D・ルーズベルト
「ルーズベルトなどの指導者たちは、パールハーバーにおける米軍を故意に裏切った」
日本海軍による真珠湾攻撃が行われた当時、アメリカ太平洋艦隊司令長官兼合衆国艦隊司令長官であったハズバンド・キンメル大将の証言 (ニューズウィーク昭和41年12月12日号)
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(※1)ルーズベルト大統領
私たち日本人が抱いているイメージとは異なり、人種差別意識が高く好戦的な『超の付く嫌日・排日主義』の持ち主であり、祖父が支那でのアヘン密売により一代で大きな財を築き、支那に対してとっても甘い記憶を一族共通の認識として持っている。だけでなく、蔣介石夫妻により見事に取り込まれた親シナ派であった。
ハル・ノートとは、ルーズベルト大統領の策略に基づき、アメリカ議会に諮(はか)られることなく、アメリカ国民に一切知らせることをせず、ハリ・デクスター・ホワイトにより作成され、極秘のうちに日本に手渡された、ソ連とイギリスの救済と巨大市場が見込める支那の利権を獲得すべく、日本に最初の一撃を打たせ、アメリカ国民を一丸となって参戦に向かわせるための「最大の仕掛け」。
ルーズベルトの陰謀は最高機密であり、大統領以外に知らされていたのは、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官の3人だけであった。
ハル・ノートが日本に手渡される前日、この4人が会合した内容をスティムソンが日記にこう記(しる)しています。
「 我々が過大な危険にさらされないで、日本に最初の一弾を撃たせるように、どのように誘導していくかが話し合われた 」
ハル・ノートは、三国同盟の破棄および日本が当時の国際法に基づき多くの犠牲を払って獲得した中国権益のすべてを放棄させるなど、帝国主義そして力(軍事力)を背景とした植民地支配が世界の正義であった当時では、特殊権益を持った地域からの撤退は日本の弱体化を招き、日本が欧米諸国の植民地になることを意味した。
ハル・ノートに書かれた要求は、日本の独立国としての存続が不可能となる内容であり、後に「 戦う前に降伏したことになる降伏文書 」「 ハル・ノートを突き付けられたならば、モナコのような小国であっても国の存亡をかけて戦かったであろう 」とまで評された。
有色人種に対する白人支配が未来永劫続くことが出来るよう、また、支那の利権をアメリカのものとするため、日本を国際社会からの脱落に追い込むべく、日本に一方的不利な要求を突き付けたのです。
「日本が絶対にのまない」ことが最も大切でした。
そのためにハル・ノートを受諾した場合の見返り条件が全く書かれていないという、まさに日本を戦争に引きずり込むためだけに作られた内容だったのです。
ハル・ノートを日本に手渡した11月26日、ハル国務長官は、スティムソン陸軍長官に電話でこう話している。
「もうこれで私の役目は終わった。もはや、日本との問題は、貴官と海軍長官ノックスの手にゆだねられた」
お勧めの書籍
新 歴史の真実 前野 徹 講談社α文庫
パール判事の日本無罪論 田中正明 小学館文庫
裏切りの世界史 清水馨八郎 祥伝社黄金文庫
お勧めのインターネット情報
アジアが愛した日本 アジアを愛した日本 歴史の真実
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西鋭夫 思考停止する日本人 (スタンフォード大学フーバー研究所 教授)
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史実を世界に発信する会
日本人が知らなければならない太平洋戦争の真実
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「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9
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