真珠湾攻撃、その真実の歴史 ~その3~
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「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった
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アメリカ合衆国は、日本海軍によるパールハーバー攻撃のずっと以前より、大消費地として植民地化を狙っていた支那、特に日本が支援していた満州国の利権を強奪すべく、着々と計略を実行に移していた。
その最終段階として、国際法の『中立条約』に違反し、中国軍に2つの援蒋ルート(南部仏印とビルマ経由)を使って、イギリスと共に戦闘機・戦闘車両・重火器を含む軍事物資を大量に送り込んだばかりでなく、空軍兵士(フライング・タイガース)までをも送り込み、日本軍機と戦闘を行うなどなど、日本軍とはすでに交戦状態、戦争を起こしていたのです。
「国際法の基本原則によれば、もし一国が、武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出しを禁止し、他の当事国に対して、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、この紛争に軍事干渉をすることになるものであり、宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」 (東京裁判 裁判官 ラダ・ビノード・パール ※国際法の世界的大家)
「国際法」に照らしても分かるとおり、米・英両国は、日本に対して「宣戦布告をせずに戦争を仕掛けていた」のである。
しかもこのことは、日本政府が再三にわたり注意を喚起したところであり、彼らはこの勧告をあえて退けて、敵対行為を続行していた。
昭和20年12月、アメリカ上下院合同調査委員会で、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将は、共和党H・ファーガソン上院議員につぎのことを認めた。
「アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライングタイガー社の社員に偽装して中国へ行き、戦闘行動に従事していた」 (『パール判事の日本無罪論』田中正明著より引用 )
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フライング・タイガース
中華民国の蒋介石と(妻の)宋美齢、アメリカ陸軍のスティルウェル推将
蔣介石夫妻は、上手にインフォメーション(広告宣伝)活動を行うことで、「悪逆な日本軍により侵略されつつある可哀そうな中国」を見事に演出、アメリカからの支援を取り付けていた。
今の日本に最も足りない行動である。
※ 蔣介石夫妻は、キリスト教に改宗することで、キリスト教国であるアメリカ人の絶対的な仲間意識を見事に演出した。
「第二次大戦で蒋介石総統の中国国民党軍に協力、中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜したことで知られる「フライング・タイガース」は、日米開戦半年前の1941年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット259人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と6日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。
同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、国防総省自体、陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、約100人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、このほど退役軍人として認められたという。(中略)
さらに同紙は、「フライング・タイガースは大統領と米軍中枢の承認を受けている」との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(1942年)も見つかったとしている。
真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを示すものとして議論を呼びそうだ」 (読売新聞、平成3年7月8日)
中国軍に偽装した「フライング・タイガーズ」
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日本爆撃計画
実は、それだけではなく、中国空軍に偽装したアメリカ軍の爆撃機で日本本土への空襲を計画していたことまでもが、近年明らかになっています。
昭和16年年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書『JB355』にOKのサインをした。これは、10月1日までに、350機の戦闘機と150機の長距離爆撃機を中国に供与して、中国の基地から神戸、京都、大阪の三角地帯と横浜、東京地区の産業地域を爆撃する計画だったのです。表面上は中国空軍にやらせる計画でしたが、その中国空軍の中枢にいるフライング・タイガーズが実働部隊として行うことが決定されており、アメリアよりの増強要員が中国軍(蒋介石軍)に送られました。
このJB355計画は、大統領の許可を得て進行し、順調にいけば9月末あるいは、10月には日本本土爆撃が行われるはずであった。しかし、欧州戦線が急迫し、大型爆撃機をそちらに回さなければならなくなったために、中国への供与が遅れることになり、結果として、日本本土爆撃は実施できませんでした。しかし、これはアメリカによる単なる対日戦に備えた戦争計画と言ったものではなく、中国を通じたという形ではあるが、アメリカ大統領がサインをした、アメリカ軍による、日本本土への爆撃命令なのです。
日本への先向爆撃計画「JB-355」を承認したルーズベルト大続領のサイン入り文書
「 1941年7月23日。 了解―ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ方式を採るかについては再検討されたし。 FDR 」
『「幻」の日本爆撃計画 』(アラン・アームストロング著、塩谷紘訳) (日本経済新聞社)
12月8日の真珠湾攻撃を、今でもアメリカ人のほとんどは、日本の卑怯な不意打ち攻撃 “sneak attack” であると信じています。日本人も、「和平への道を求めていたアメリカへ無謀な戦いを日本軍は仕掛けた」と信じ続け、いまだにNHKテレビを始めとするマスコミ各社が喧伝し続けています。
真実は、その5ヶ月も前に、ルーズベルト大統領がアメリカ軍による日本本土への攻撃計画に対し、正式なゴーサインを出していたのです。
日本陸軍は、支那各地に張り巡らせた情報網により、このアメリカ軍の動きをつかんでいた。故(ゆえ)に陸軍も「日米開戦やむなし」の結論に至ったものと推察できます。
そればかりか、このJB355計画は大統領補佐官ロークリン・カリーが中心となって昭和16年初めから進めていました。5月9日にこの計画について大統領に覚書を提出したのに対し、5月15日にはルーズベルトからその具体化を進めるよう指示の書簡が送られていました。
即ち、ルーズベルトは陸海軍からの提案を単に承認したのではなく、ずっと前からカリーを通じてこの計画を進めさせていたのです。ルーズベルト大統領は、私たち日本人が信じてきたような「平和を求めた親日家」などではなく、戦争をこよなく愛し、対日和解など全く考えていない、むしろ白人を超える能力と人格を持つ日本人を許さず、徹底的に嫌い、4つの島に閉じ込め、この世から抹殺しようとすら考えていた、
獰猛(どうもう)極まりない「好戦的な大統領」であったと言えます。
真実の歴史は、「アメリカの方が先に『宣戦布告』をせずに、日本との戦争状態に突入した」と、客観的な資料からも断言できるのです。
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「太平洋の覇権を我が手に」
天皇陛下による玉音放送が流れた日、アメリカ時間で8月14日、日本のポツダム宣言受諾を知ったニューヨークタイムズの社説にこうあります。
『太平洋の覇権を我が手に』という大見出しの下に、
「我々は初めてペリー以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これでアジアの市場と覇権は、わが物になったのだ」 (『裏切りの世界史』清水馨八郎著より引用 )
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お勧めの書籍
新 歴史の真実 前野 徹 講談社α文庫
パール判事の日本無罪論 田中正明 小学館文庫
裏切りの世界史 清水馨八郎 祥伝社黄金文庫
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お勧めのインターネット情報
正統史観年表(フライング・タイガー)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-134.html
ABC NEWS
http://www.youtube.com/watch?v=C1cX_Fr3qyQ (前半)
http://www.youtube.com/watch?v=2Uf_3E4pn3U (後半)
日米開戦 アメリカ最大のタブー
http://www.youtube.com/watch?v=-IVN_HVS8DY
史実を世界に発信する会
No!自虐史観
http://ameblo.jp/hironk2005/day-20111210.html
「正しい日本の歴史」 (目次)
http://rekisi.amjt.net/?page_id=9
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